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2023年7月号特集

Vol.304 | 読めるけど分からない

「隠れ学習障害」を克服する

written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)


※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。

引用・転載元:
https://www.palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-2307/
船津洋『読めるけど分からない』(株式会社 児童英語研究所、2023年)


読めるけど分からない 最近、色々なところで見かけるようになりましたが、どうやら、日本人の国語力、特に理解力はずいぶんお粗末な状態になっているようです。お粗末な理解力は、お粗末な思考を生みます。しかし、それは表出されない限り分かりません。聞くところによると、ツイッター(Twitter)の別名は「〇〇発見器」らしいですが、表出されてようやく「ああ、この方はお粗末な思考しかできないのだな」とその人の思考の有り様が分かるわけです。
 ツイッターは匿名なので、安心してご自身の思考の程度を露呈させてしまうことになるわけですが、友人間でも知人間でも、発言しなければ、その方の思考の有り様は闇の中。当たり障りのない会話をしている限りにおいては、みんなフツーな人のカテゴリーに収まっていることになります。

 さて、話してみなければ「思考の有り様」は評価することはできませんが、「理解の有り様」も秘密のベールに包まれています。
 読ませてみれば、すらすら読める。でも内容を聞いてみると、まるで理解していない人がいるのです。これは、子どもに限ったことではなく、困ったことにそんな大人も少なくありません。つまり、脳の中はブラックボックス、見た目は「ふむふむ」と理解していそうで、賢そうなことを言う人も、突っ込んで聞いてみれば、「あれあれ?単にリピートしているだけ?」となることも少なくないのです。

 理解できているか否かは、確認しないことには分かりません。例えば「イソップ物語」の肉を咥えた犬の話(あえてタイトルは申しませんが)を聞いて、その寓話からどんな知識を引き出せるかのが重要なポイントになります。
 話を聞かせた後に「どういう意味か分かる?」と聞くと、とある子はその話を丸々記憶していて、繰り返して話すかもしれません。またとある子は、話を要約して自分の言葉で再話するかもしれません。また、別の子は「欲張ったらいけない」とひと言で本質をついてくるかもしれません。このように、記憶しているだけで理解していない子がいる一方で、文に書かれていない内容、作者が行間に込めたメッセージを読み取ることができる子もいるわけです。

 世の中、あるいは教育業界でも「読解力」は「読んで理解すること」とひと括りに扱われていますが、実は「読む力」と「理解する力」は別の能力です。これに関しては、もう十数年に渡り『パルキッズ通信』で主張していることですが、漸くにして世の中の「心ある人」の一部に、その理解が共有されつつあることを心強く感じているところです。「読力」に関しては『パルキッズ通信』の以下のリンクも参照していただけけば幸いです。

★『パルキッズ通信2012年04月号
★『パルキッズ通信2021年11月号
★『パルキッズ通信2018年11月号


読めても分からない子どもたち

読めても分からない子どもたち 読めるけれど理解できない子どもたちに関しては、『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(新井紀子著 東洋経済新報社)に詳しいですし、また、『パルキッズ通信2022年9月号』でも触れています。読んでみると、理解できない子の多さに目を見張るばかりです。いつの間に、日本人はこれほど残念な知力の人ばかりになってしまったのか。
 これは、五十年ほどかけて変化してきた言語教育のあり方が、すでに時代遅れになっていることに気づかずに、その旧態然とした奇妙な国語教育に縛られているからだと分析します。
 戦後の復興期から集団就職とか「金の卵」に象徴されるような団塊世代への教育が、未だに子どもの教育の主流になっているのです。つまり、「読み書き算盤」ができれば良い、と。そして、読み書き算盤の能力を身につけるべく、数式をひたすら解かされたり、漢字の書き取りを繰り返させたりするような教育がいまだに行われているのです。
 確かに字を綺麗に書くことは、昭和の時代、あるいは平成の初期には嗜みとして重宝されました。サラリーマン、特に女性たちは綺麗な字を書けること、さらには計算を間違わないことが求められたわけです。

 今もそうでしょうか?僕は小学校の時分から、繰り返しの筆算や漢字の書き取りの課題が大嫌いでした。四則の計算は仕組みを理解して必要に応じて解ければ良いわけですし、漢字も読めれば良い、字が汚くても相手に伝わる程度に書ければ良いと、生意気にも考えていたわけです。
 余談ですが、高校時代、米国に留学して代数の授業を履修した際に求められたのが、まず log とか sin, cos などの計算ができる「電卓」を買うことでした。つまり、アメリカ方式は「計算などの低位の知的労働は電卓にやらせれば良い」、人は「現実世界の問題をいかに計算式に落とし込むか、といった高次の労働をする」方式だったのです。
 ついでに、アメリカではタイプライターの使用も高校では必修でした。綺麗に字を書くことではなく、「思考を音声に落とし込む」そして「音声を文字に落とし込む」ことができれば、あとは機械に任せれば良い、という合理的な考え方が行われていたわけです。

 もう一度問います。今の時代を豊かに生きるにはどんな技術が必要ですか?もちろん「字を綺麗に書けること」は素晴らしいことです。また、「正確に速く計算できること」も素晴らしいことです。ただ、それだけでお子さんたちが豊かに生きていけるとお考えですか?

 さて、ここからは「読む」だけではなく「理解する」という高次の心的作業について書き進めることにしましょう。理解力を高めることが、人を支配する思考の基礎になっていることをご理解いただけると期待しつつ書いて(打って)参ります。


エピソード記憶

「増やす型思考」と「減らす型思考」 文を理解できない子どもたちは、文章題から正しく数式を導き出すことができません。そんな子たちは、「エベレストは世界一高い。富士山とエベレストはどちらが高いか」という問題を解けなかったりします。「理解」ができないので当然の帰結として、知識の「一般化」も知識を活用した「外挿(推測)」もできないのです。

 例えば、英検の長文読解問題を解く時に、皆さんはどのような手順を踏みますか。英検でなくても構いません。現国(現代文)の問題を解く時に、まず何をしますか。試験慣れされている方なら、おそらく「設問に目を通す」ことをするのではないでしょうか。
 言語心理学的にはそれも間違いではなく、確かに “効率の良い” 問題の解き方ではあります。なぜなら、最初に設問を読むことで背景知識が活性化されるからです。つまり、これから読むテキストがどんな内容なのか予測ができるのです。そのような予備知識があった方が、テキスト理解にも役立つことは分かっています。
 しかし、それは理解を助けるテクニックであって、理解力そのものではありません。いくらそのような練習を繰り返しても、それは乏しい理解力を助けることができても、理解力を育てることにはならないのです。

 中学入試の国語の問題を解いてみてください。大人ほど高い理解力があれば、最初に設問を読むことをせずとも、テキストを読んだ後に問題をすらすら解けるはずです。ただし、英文や大学入試の現国のレベルとなると、それをすらすらと処理できるほどの高い理解力を持っていないので、最初に設問を読む羽目になります。
 繰り返します。テキストのレベルに比べて理解力が低いため、設問を先に読むことをひとつの “テクニック” として行なっているのです。そして、それを当たり前だと思うようになっていきます。結果として、問題は解けても、理解力は低いままで少しも向上しないのです。

 それに対して、「エピソード記憶」という考え方があります。
 経験したことなどが、強烈に記憶に残っていることがありませんか。どんな服を着ていたか、誰がなんと言ったか、そのときの景色や風、あるいは土や花の匂いなどまで、鮮明に覚えていることがあります。これが、エピソード記憶です。  少し詳しく見ていくことにしましょう。


短期記憶でなく長期記憶

思考の整理をせずに、記憶する項目を増やす現代のあらゆる教育 人の記憶は、長期記憶と短期記憶の2つに分かれる(Atkinson & Shiffrin, 1971)そうです。確かに、経験したことのように、大人になっても忘れないような記憶もあれば、電話番号や車のナンバーのように、頭の中で繰り返し続けないと消え去ってしまう記憶もあります。
 そして、長期記憶には、手続的記憶と宣言的記憶の2つがあるそうです。手続的記憶とは歩き方、自転車の乗り方や歯の磨き方などの記憶で、一度できるようになると無意識のうちにできる処理のことです。
 他方の宣言的記憶は、さらに、エピソード記憶と意味記憶の2つに分かれます。意味記憶とは、「猫」という意味と /neko/ という音を結びつけておくような記憶のことです。他方のエピソード記憶とは、日差しと暑い空気と素朴さを纏った「ワイオラの小豆ボウルがおいしかったね」というような、上で述べたような「経験」というトータルな情景の記憶を指します。

 長期記憶の手続的記憶は、「トレーニング」によって自然に達成されます。また、同じく宣言的記憶の意味記憶も「勉強」という形で自然と行われます。しかし、エピソード記憶という、極めて強力なツールに焦点が当たることは少ないのです。「活き活きとした鮮やかな情景」として長期記憶するエピソード記憶という優れた道具は活用されないまま、単なる「暗記」という無味乾燥な記憶が「勉強」の名の下に行われるのが今の日本の学校教育です。

 エピソード記憶は、特別なことではありません。日々の体験を通して、極めて日常的に誰でも行なっていることなのです。その「機能」を「育てる」ことをすれば、付け焼き刃の試験勉強や単語帳の丸暗記といった「低次の記憶」に頼る必要がなくなるのです。一度「心内表象化」と呼ばれる「高次の理解」が達成されれば、それは「エピソード記憶」となり、まるで自分が体験したことのように、いつでも鮮やかに思い出すことができるのです。

 例えば、
 「ブランコが好きな小2のマミちゃんというお姉さんがいる年長さんのソウ君は、滑り台の好きなマサキ君という弟のいる年中さんのユイちゃんと積み木で遊ぶのが幼稚園での日課です。」

 問1 : ソウ君はマサキ君と滑り台で遊ぶのが好きですか。
 答え : ①はい、②いいえ、③わからない

 この文を読んで、皆様の頭の中ではどのような処理が行われますか。意味を理解できますか。それとも理解できませんか。言い換えれば、意味を理解できたという方は、登場人物の4名の関係を「イメージ」できたのでしょう。そして、意味が理解できないという方は4名の関係を「イメージ」できなかった。そして、この文がテストの地の文として提示されると、イメージできない人は、「記憶」に頼るか、あるいは、設問とテキストを行き来しながら「えーと、誰がなんだっけ?」と考えなくてはいけません。

 しかし、理解力の高い子はそうではありません。これら登場人物の関係や、それぞれの特徴を「イメージ」できるのです。これを専門的には「背景知識の活性化」と呼ぶそうです。
 つまり、理解力の高い子は、年長のソウ君を中心に、ブランコ好きな小二の姉のマミちゃん、一緒に積み木で遊ぶ年中のユイちゃん、その弟で滑り台が好きなマサキ君という関係が、イメージできるのです。もちろん、10人いれば10人ともにソウ君やマサキ君、あるいはブランコや滑り台の具体的なイメージは異なります。しかし、自分の過去の記憶からなる「背景知識」を活性化して、それらをまるで体験しているかのように「心内表象」を作り上げることができるのです。これが、エピソード記憶です。

 そして、エピソード記憶は短期記憶と違い、勉強して「記憶」する必要がないのです。頭の中に記憶という痕跡として刷り込まれており、いつでも思い出せる長期記憶となるのです。


背景知識の量とその活性化がキーワード

背景知識の量とその活性化がキーワード お話を読んだり聴いたりして理解するために、必要となるのが「背景知識」の活性化です。背景知識とは「とある知識を理解するために必要な土台となる知識」のことです。
 例えば「桃太郎」だと、「おじいさん、おばあさん、山、柴刈り、川、洗濯、大きい、桃、鬼、犬、猿、雉…」などなどの知識、意味と音がセットになった概念がなければ、正しく理解できません。「しば(柴)かり」を「芝刈り」と理解すれば、心の中では「芝刈り機を持って山へ行く老人」のイメージ(「心内表象」)が浮かんでしまいます。これでは、「昔々」の話ではなく「現代のアメリカ」の話になるかもしれません。しかも、「山」へ「芝刈り機」では、イメージができないのです。
 ここで、理解力の高い子は「推論」を働かせることになります。つまり、「しば」とは「芝生」のことではなく、別のものではないか?と思考が前進します。しかも、「かる」が「刈る」ことと推論すれば、何か植物を取りに行くのではないか、さらには、ひょっとすると燃料となる「木切れ」を集めて自分で使うか、人に売るのではないか、と想像することができるのです。こうなると、桃太郎のストーリーに沿った理解をしていることになります。
 後段でも触れますが、背景知識が活性化されて、ストーリー展開と齟齬があることから、「しば」は「芝生」ではなく「木切れ」かもしれないと推論され、これ自体が新語の獲得につながっているのです。

 つまり、文字を読んでそこから意味を引き出す、あるいは、その文字列を記憶するといった「低次の作業」から一歩進めて、「状況」を正しく把握するために推論を行うといった「高次の作業」をすることが、正しい文章理解につながるのです。そして、正しく文章が理解されれば、鮮やかな「心内表象」として脳内に痕跡が残ります。これが「エピソード記憶」となり、覚えようとしなくても記憶に残ることになるのです。

 整理すると以下のようになります。
 インプット → 背景知識の活性化 → 心内表象化 → エピソード記憶 → 長期記憶

 そして、一度「長期記憶」となった情報は、いつでもアクセス可能となります。要するに、試験中に読んだテキストが長期記憶となれば、その後の設問には「あれ?どこに書いてあったっけ?」「何色のどんな模様のシャツだっけ?」「右に曲がるのはポストの角だっけ、交番の角だっけ?」などと思い出そうとしなくても、「心内表象」としてイメージが浮かんでくるので、まるで目の前にその情景が浮かんでいるように、楽々と答えることができるのです。

 そのためには何が必要なのでしょう。豊富な背景知識が必要ですし、同時に読んだり聴いたりした内容が、心内表象化されないといけません。


「聞いて理解すること」と「読んで理解すること」の違い

「聞いて理解すること」と「読んで理解すること」の違い 「背景知識の活性化」とか「心内表象化」など大層な言葉が出てきますが、それらはどのようにして身につけていくのでしょうか。実は、大したことではありません。背景知識を活性化したり、心内表象化することは、大層なことではなく、練習する必要もありません。言語を身につけた人なら、誰でも日常的に行なっていることなのです。
 上の「桃太郎」の話を引き合いに、考えてみることにしましょう。桃太郎の話を “聞いて” 理解するためには、それ相応の背景知識が必要です。一部の未知語があってストーリーを誤解しても、「どうもこの解釈だと変だな」と誤謬に気づき、「こう考えるとどうだろう」と改めて推論を精緻化していくと、未知語の整合性がとれてきます。

 これは、お話を “聞いた” 場合です。日本語を母語として身につけている我々は、耳から入ってくる日本語の処理を自動的に行ってます。つまり、ダラダラと続く連続音声を語の単位に分節し、その後、頭の中の辞書を参照してそれぞれの語の意味を引っ張ってきます(語彙項目の活性化)。
 その後「お爺さんとお婆さんがいる」「川がある」「洗濯物がある」「お婆さんは川へ行く」「お婆さんは洗濯する」「桃が大きい」「桃が流れてくる」などの命題が頭の中で再構築されます。これで、背景と登場人物という、道具立てが揃います。あとは、それら命題をつなぎ合わせてストーリーをイメージすること(心内表象化)が行われるわけです。

 ただ、です。お話を聞く場合にはそれで良いのですが、”読む” 場合には別の手間が余計にかかります。つまり、まずは目の前にある文字を知覚する必要があります。これ、簡単そうで実は大変な作業です。日本語は英語のように分かち書きで書かれていないので、単語の発見が少し難しいのです。外国人の日本語の習得でも、随分と問題になっています。
 読む場合には、文字は一旦音声化されなくてはいけません(多くの読者、特に初学者は音声化を飛ばす処理ができない)。従って、知覚された文字を頭の中の辞書に参照します。するとそこには、さまざまな音(漢字なら、音読み・訓読みの音)がリストされています。「生」の項目を見てみると「ショウ、セイ、なま、い、う、お…」などがあり、この中から文脈に合う正しい音を選ばなくてはいけません。
 「生きる」では「ショウきる?なまきる?」「ああ、いきるか…」と正しい音にたどり着いたら、これでようやく音声が出来上がるわけです。つまり、聞く場合にはここから始めれば良いのですが、読む場合には文字情報を音声に変換する「音韻符号化」という作業が必要となるのです。
 これらの処理は、短期記憶や長期記憶とは異なる、ワーキングメモリと呼ばれる機能が行います。聞いた情報の処理では、聞くところから、分節、意味の取り出し、命題化までは、ほぼ自動化されています。従って、理解すること、つまり命題を統合してストーリーを正しくイメージすること(心内表象化)にワーキングメモリを占有的に割り当てられるのです。
 しかし、読んで情報を処理する場合には、文字情報から正しく音韻符号化するという作業が加わります。そして、これがワーキングメモリを圧迫するのです。すると、高次の作業である、命題の統合、ストーリーの理解にメモリを割くことができなくなります。

 つまり読解のためには、音韻符号化という余計な作業が入ってくる。これがワーキングメモリを圧迫する。従って、聞いて理解できるが、読んでも理解できないということが起こるのです。これが文字を読んで音声化できるが、理解はできないという現象の正体です。

 さて、問題のありかがはっきりしました。以降は、その解決法を見ていくことにしましょう。


ワーキングメモリの開放

ワーキングメモリの開放 インプットされた情報が心内表象化されれば、エピソード記憶となり、単なる暗記をする必要がなくなります。言い換えれば、理解力に優れた子ども、一度聞けば文全体を理解し、その行間に込められたメッセージまでも読み取れるような子どもに育てるためには、この心内表象化の能力を磨けば良いのです。
 しかし、すでに述べたように、心内表象化とかエピソード記憶というのはトレーニングするものではありません。人が自然に行なってしまう作業です。この心内表象化の作業に対して、十分にワーキングメモリーを割り当てられるように、他の作業を自動化すれば良いのです。加えて、豊富な背景知識があることが、心内表象化をスムーズにすることは言うまでもありません。

 つまり、文字情報の音韻符号化を自動化すれば、その分、ワーキングメモリは解放されます。同時に語彙を豊かにすれば、舞台装置や登場人物の設定を行う命題表象化で、未知語を推測する手間が省けます。結果として、こちらもワーキングメモリの解放につながります。以上の2つのことが、命題表象化までの自動化を促進し、整合性の取れたストーリーを心内表象化するという、意味理解に多くの資源を投入することを可能にするのです。

 さて、ここからは、音韻符号化の自動化と、語彙の強化の方法について具体的に進めていきます。以降のキーワードは、黙読ではなく音読で実践する「素読」と「多読」です。


音韻符号化を自動化する「素読」

音韻符号化を自動化する「素読」 素読は、音韻符号化の自動化を促します。結果として、ワーキングメモリを高次の心内表象化に割り当てることができます。
 重要なのは、素読にせよ多読にせよ、音韻符号化や意味や命題の表象化を目指す場合には「黙読」ではなく「音読」を用いることです。
 素読といえば、英語では「7-day English」一択ですが、日本語の音韻符号化を促したいのであれば、小学1、2年レベルの読み物をたくさん読ませることが効果的です。素読なので、意味理解は二の次です。あくまでも音韻符号化の自動化を目指します。そのため、できる限り子どもにとって馴染みの深いストーリーを選ぶと良いでしょう。
 昔話でも、イソップ寓話でも、今までに読み聞かせてきた絵本でも構いません。子どもが内容を理解するのにまったく苦労しない、つまり意味や命題の表象までは「思考」を要さない内容が良いでしょう。

 日本語の場合には、音声化にさほどの困難は伴いません。しかし、英語の場合にはそう簡単にはいきません。正しい音声化が必要となります。そうなのです。せっかく読むのですから、正しい英語の発音で読まなければいけません。

 ここからの2段はややこしい話なので、飛ばしてくださって結構です。

 これには理由があります。人間には音韻ループと呼ばれる音韻情報を司る機能があります。この音韻ループは、音韻情報を記憶しておく音韻ストアと、実際に音声化を正しく行うための構音リハーサルの2つの機能から構成されます。
 耳から入った音声が、日本語のように、すでに十分慣れ親しんでいる音声ならば、耳から直接音韻ストアに参照され、正しい情報が引き出されます。しかし、英語の音読のような場合には、一度、構音リハーサルに回されて、そこで、繰り返し音声が(心の中で)再生されます。その後、繰り返された英語の音声は音韻ストアに長期保存されるようになりますが、この段階でできる限り「正しい英語の音声」が記憶された方が良いのです。なぜなら、英語を聞いたときに「正しい英語の音声」で記憶された語があれば、すぐにそこにアクセスできますが、読んだ語が「間違えた音声」で記憶されてしまうと、聞いたときに語の音声情報が一致しないからです。つまり、聞いてもその語にアクセスできないことになります。

 少しややこしい話になりましたが、これが、できる限り正しい発音で、素読・音読することの理由です。日本語も英語も、素読で音韻符号化の自動化を目指してください。
 特に、英語を読めても理解できない子の場合には、この音韻符号化にメモリーが割かれてしまっていることが考えられるので、まずは文字を音声に変換するところまでは自動化できるように「7-day English」などでトレーニングしてください。


多読で語彙獲得

多読で語彙獲得 さて、素読は、音韻符号化の自動化を促し、理解のためにワーキングメモリを解放することにその意義がありました。続く多読は、ストーリー理解の前段階にある、意味や命題の表象化をスムーズにする働きがあります。命題までが正しく心の中に描かれるようになれば、こちらも意味理解のためにワーキングメモリを解放することに一役買うこととなります。

 ちなみに、素読は必ず「音読」で行う必要がありますが、多読も可能であれば音読することをお勧めします。
 本を読んでいて、気づくと上の空で読んでいたという経験はありませんか。僕などは、結構あります。特に暇つぶしに読む小説などは、こんな状態になることが少なくありません。読み進めるうちに雑念が入り込み、そちらの思考がワーキングメモリを占領してしまうのです。しかし、音韻符号化(黙読でも構音リハーサルを通して音声化している)は自動化されているので、どんどん読み進んでいきます。しかし、もちろん、素読のように意味は頭に入ってこないのです。それはそうです。別のことを考えているのですから。

 これを避けるために「音読」がお勧めです。音読は、音声と内容、あるいは音声化が自動化されていれば内容に意識が向かうようになります。その結果、音読の方が黙読より内容理解の成績は高くなるのです。

 さて、音読で多読を進めることにより語彙を豊かにする件について、説明しておくことにしましょう。多読は intensive & intentional(集中的・意図的)な学習ではなく、extensive& incidental(広範・付随的)な学習を目指します。
 集中的・意図的学習では、文意を考えながら、未知語に出会えば辞書を引き引き読み進めることになります。反対に、広範・付随的な学習は、大雑把に意味を把握することを目指し、未知語に出会っても辞書を引かずに読み進めます。
 日本の英語教育は前者が中心ですが、前者は言語を身につけるために必要な大量のインプットとは相性が悪く、結果として高い成果をあげることができません。他方後者は一見雑な学習法に思えますが、大量のインプットが可能となり、結果的に脳の帰納学習を促し、文法理解や新語など新規学習項目の内在化(習得)も達成されます。
 新語には10回出会うことで、その5~15%が推論から意味を学習され、無意識のうちに内在化されていきます。

 ただし、未知語があまりにも多い文章は多読には適していません。95~98%が既知語(少なくとも基本的な意味を知っている)でないと、思うように学習が進まないこともあるようです。A4用紙1ページで大体500語ほどなので、1ページに10~25語くらい未知語があると、そろそろ意味理解にも支障を来すようになるという計算です。
 こちらは多読用のプログラム「The Book of Books」などをお使いいただければ良いでしょう。


語彙の重要さ

語彙の重要さ さて、最後になりますが、語彙の重要性について書いておくことにしましょう。
 聴解の場合には、単語単位に分ける文節、レキシコン(心内辞書)へ意味の問合せ、意味を命題の単位にまとめて認知、そして整合性の取れたストーリー理解へと進みます。読解の場合には、そこに文字を音韻符号化するという作業が加わります。
 従って、読解の場合には、理解に使うべきワーキングメモリを消費してしまう音韻符号化の自動化が必要でした。また、レキシコンに語が登録されていなければ、その語の意味を推論から導くという余計な処理が必要となります。これもワーキングメモリを消費するので、できれば避けたいわけです。
 逆にいえば、豊かなレキシコンを持っていれば、未知語の推測という手間がなくなるので、ワーキングメモリは全体の理解(表象化)に専念できます。そして、心内表消化がスムーズに行われれば、耳から入った情報はエピソード記憶となるわけです。
 これは、読解の場合にも同じで、豊かなレキシコンに加えて音韻符号化の自動処理が行われていれば、ワーキングメモリは心内表象化に専念できるので、目から入った文字列もスムーズにエピソード記憶に変わっていくことになります。

 多読の件では、多読による繰り返しのインプットから、文法や未知語の内在化ができると述べました。もちろん、多読からもレキシコンを豊かにすることは可能ですが、語彙は独立して増やしておくことも重要でしょう。

 ちなみに、日本語では読解力の半分が語彙で説明できるそうです。つまり、語彙を豊かにすれば、ダイレクトに理解力が高まるのです。英語では、さらにその傾向が強いようで、読解力の67%が語彙で説明できるそうです。日本語よりも英語の方が、文章理解における語彙の影響が強いことになります。
 日本語、英語共に語彙を豊かにすることは日常的に心がけましょう。


目標は2000ワードファミリー

目標は2000ワードファミリー 日本語も英語も、まず基礎語彙の習得が必要です。基礎語彙とは、身体部位や身の回りのものなど日常的に使用される1000語程度の語彙です。これは日常生活で簡単に身につきます。英語の場合にも、「パルキッズプリスクーラー」で十二分に賄われています。
 その後に、機能語と呼ばれる語群の習得、特に読めるようになることが重要です。機能語は文法的な役割を果たす語で、それ自体には意味がないので、読んでみないとその実態が掴みにくいものです。英語では前置詞、代名詞、接続詞など、日本語では助詞などがそれに当たります。これらは200語程度なので、すぐに読めるようになるでしょう。
 その後には、基幹語彙と呼ばれる日常生活や雑誌などの読解に必要な語群をマスターすることになります。これらは、ざっと5000語程度です。これだけあれば、まず大抵の文は理解できるようになります。

 日本語の語彙を増やすのに、最も簡単な方法は「幼児教室プログラム」を使用することです。幼児向けの教材ですが、小学生でも十分に使えますし、小学中学年や高学年で学ぶような内容も(もちろん幼児向けも)含まれているので、小学中学年くらいまでは、十二分に新鮮に楽しめる内容でしょう。

 英語の場合には、「パルキッズプリスクーラー」と「パルキッズキンダー」で3500語程度は収録されているので、ワードファミリーを含めると、軽く6000~7000語はカバーできます。繰り返しますが、これらを読めるようになることが大切です。  ここから先は「7-day English」「The Book of Book」に取り組めば、英検準1級程度まで学習を進めることができます。


 さて、今回は読むことと理解することを中心に考えてきました。いかに最近の日本人の読解力が劣化しているのか、そして、その原因は理解力が低いことであり、その遠因には音韻符号化がスムーズに行われないこと、そして語彙の貧困さが挙げられることがわかりました。
 そして、理解力の低い子たちは、結果として低次の「記憶」による学習に頼らざるを得ないこともわかりました。すると、試験も「コツ」や「一夜漬け」にならざるを得ず、結果として大した成果が上がらないこともご理解いただけたでしょう。

 皆様におかれましては、記憶や反復練習をさせるのではなく、理解や思考力を高めるようにお子様を育てていただけるよう、祈っております。


【編集後記】

今回の記事をご覧になった方におすすめの記事をご紹介いたします。ぜひ下記の記事も併せてご覧ください。
言語力の差を決定づける幼児期の絵本の与え方
「覚える」より「考える」ことを好む子どもに育てる方法
夢を叶える親の心得
英検に合格出来ない理由方
子どもの将来を決めるのは何か?

【注目書籍】『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)

特集イメージ9 児童英語研究所・所長、船津洋が書き下ろした『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)でご紹介しているパルキッズプログラムは、誕生してから30年、10万組の親子が実践し成果を出してきた「超効率」勉強法です。書籍でご紹介しているメソッドと教材で、私たちと一緒にお子様をバイリンガルに育てましょう。


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プロフィール

船津 洋(Funatsu Hiroshi)

1965年生まれ。東京都出身。株式会社児童英語研究所・代表取締役。上智大学外国語学部英語学科卒業。実用英語技能検定1級取得。30年以上に渡る幼児教室・英語教室での教務を通じて幼児の発達研究に携わるかたわら、「パルキッズ」などの英語教材を始めとした幼児向け教材を多数開発。また、全国の幼児・児童を持つ親に対して9万件以上のバイリンガル教育指導を行う。講演にも定評があり、全国各地で英語教育メソッドを広めている。著書に20万部のベストセラーを記録した『たった80単語「読むだけで」英語脳になる本』(三笠書房)をはじめ『どんな子でもバイリンガルに育つ魔法のメソッド』(総合法令出版)『ローマ字で読むな!』(フォレスト出版)『英語の絶対音感トレーニング』(フォレスト出版)など多数ある。

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