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2022年8月号特集

Vol.293 | 幼児・小学生の英検受験に向けて

パルキッズたちと英検の関係を正確に理解する

written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)


※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。

引用・転載元:
https://www.palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-2208/
船津洋『幼児・小学生の英検受験に向けて』(株式会社 児童英語研究所、2022年)


幼児・小学生の英検受験に向けて かれこれ20年以上に渡り、「パルキッズ」では会員制の掲示板を運営しています。そこでは、日々、指導員がパルキッズ会員の皆様のお悩みにお答えしているわけですが、その内容は、教材の取り組み方、次の教材ついて、読解力と暗唱について、あるいはオンラインレッスンついて、などなど多岐に渡ります。その中でも最も多いご相談のひとつが「英検対策」に関するものでしょう。

 「英検ジュニア(旧・児童英検)を受けると良いのでしょうか?(答えはNo)」「いつ、何級から受けると良いのか(答えは本文中に)」といった受験級や受験時期、あるいは本人の英語のレベルと受験級に関するご質問から、「正答率が低くて困っています」「本人が分からないと言います」「テストに落ちてやる気を失ったらどうしましょう?」(このあたりも本文参照)といった、どうもうまく行っていないというお悩み、あるいは「do で聞かれたら do で答えるようにさせています」「内容を理解できていないようです」「文法は教えなくて良いのか?」「イディオムは?」「単文をたくさん覚えさせると良いと思うのですが」 (これも本文を読んでください)などの学校英語に先祖返りするような内容や、「英作文が苦手です」(これは拙著『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)に詳しく書いてあります)といった “最近の英検事情” に関するお悩み、はたまた「英検準2級合格のコツを教えてください」(本文で答えておきましょう)といったご相談まで受けています。

 折しも秋口の試験の季節も近づいてきています。今回は、本稿1回分を割いて、英検受験に関する基本的な考え方をお伝えすることにします。(具体的なメソドは『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)、また「英検1級まで受験の目安」を書いた『パルキッズ通信2019年3月号』、「筆記や面接対策」を書いた『パルキッズ通信2018年9月号』などをご参照ください。)
 些末な問題と対策を読んで覚えるよりも、全体を本質的に理解しておけば、上記で挙げられるような疑問が生じて思い悩むことを予防できます。根本的な理解は、間接的あるいは直接的に英検5級から準1級までの英検対策にもなるので、まずは「パルキッズ」たちにとっての「英検」を理解するところから始めましょう。


パルキッズ達はFLAではなくSLAなので受験対策が異なります

パルキッズ達はFLAではなくSLAなので受験対策が異なります まずは、パルキッズ生がそもそもほかの英語学習者とどのような異なる発達をしていくか、しっかり理解しておく必要があります。ここを間違えてしまうと、せっかくの「パルキッズ」の学習もなかなか成果に繋がりにくいので簡単に説明しておきます。
 「パルキッズ」で行うのは、”SLA : Second Language Acquisition、第二言語習得、留学生や帰国子女のような外国語習得メソド”、あるいは3歳くらいまでのスタートならバイリンガル教育(simultaneousまたはsequential bilingual)メソドと呼べる方法で、英語を習得させていく方法です。”FLA : Foreign Language Acquisition、外国語習得、学校の英語のような教育メソド” ではありません。
 SLAもしくはバイリンガル教育で英語を身につけていく “幸運” に恵まれた子どもたちの英語力は、FLAで英語を「勉強」することになる、不自然な言語学習を強いられる子たちとは違う育ち方をします。FLAの子たちは主に教室で、あるいは親からの指導によって、アルファベットを “覚え” たり、単語を “覚え” たり、日常的な言い回しを “覚え” たりすることを求められます。
 形式的に強制されるわけでなくエンターテインメントの体裁は取っていますが、本質的には与えられるアイテムをひとつずつ “覚え” る、つまり、指導者側が「簡単だ」と思うものから徐々に「難しい」内容を “覚え” させられるやり方に終始します。
 このようなやり方(FLA)で育つ子には、知覚力(連続音声を単語単位に分節する能力)が弱く、産出においても了解度が低い(ネイティブに通じない)、読んだり聞いたりした英語を日本語に訳す、会話においても(本当に理解しているのか訝りたくなるような)繰り返し同じようなフレーズ(”maybe, OK, yeah…” など)ばかり使う、といった傾向があります。もし読者の皆様の中に、学校英語のみ、あるいはそれに準じた学習法、または英会話などで育った方がいらっしゃれば、いくつか、あるいはすべてが当てはまるかも知れません。ちなみに、僕は運良く高校で1年間留学して、SLAで英語を習得できたのがラッキーでした。

 これに対して「パルキッズ」で育つ子どもたちは、SLAで英語を身につけていきます。この子たちには、いきなり大量の英会話や英語の絵本が与えられます。単語も4年間で3500語程与えられます。ここだけ見ても、FLAとはアプローチが真逆であることに気づかれるでしょう。
 この子らの学習法の最大の特徴は、「日本語」が(英語とセットにして)与えられないこと、「文法」を教えられないことです。「パルキッズ」たちは、FLAの子どもたちとは異なり、英語を “覚え” ることを要求されません。豊かで質の高い言語環境から母語を身につけたように、英語を身につけさせるやり方です。「いくら学習しても、習得とは違う」とクラッシェン(Stephen Krashen, アメリカの言語学者)が言ったような「習得」を目指すのがSLAです。
 これに関して詳しくは後述しますが、FLAで教えられる文法と、SLAで身につける文法は本質的に異なります。前者は「こうあるべし」というような文法で、実際の言語の運用とは異なります(=規範文法)。言語学では、こちらはもはや下火です。他方後者は「母語話者間で違和感なく通じる」ような文法で、記述文法とも呼ばれます。こちらが、現在の言語学の主なターゲットです。
 つまり、学校では違和感があろうとなかろうと、(教科書的な)正しい文を産出すること(知覚に関しては無視します)を目的として、規範文法に沿った学習をしているわけです。もっともこの方法、めざましい成果が聞かれないのが残念な点ではあります。
 そして繰り返しますが、「パルキッズ」式は留学生が英語を身につけるように、あるいは子どもたちが母語を身につけるように英語を身につけるプログラムです。
 そもそも、我々日本人は日本語の文法のことなどまったく気にせずとも「母語話者間で違和感なく通じる」レベルの(記述文法に従った)日本語を産出できているわけです。同様に、英語の規範文法(学校文法)に関しても、読んだり聞いたりした英語をそのまま理解できる程度の日常的な言語の使用ができるようになってから、つまり小学生のうちに英検準2級くらいまで取っておいてから、中学で学べば十分事足りるでしょう。


分かっているけど説明できない

分かっているけど説明できない さて、「パルキッズ」のSLAですが、この学習法で英語を身につける子たちは、大量にインプットされる英語から文法を作り出していきます。この文法には、語の並びやイントネーションなどの規則も含まれています。当然のことながら、音素の知識も身についていきます。従って、興味深いことにアメリカ人の子どもが /th/ を /f/ で置き換えて発音するようなことが、「パルキッズ」たちには自然と起きるのです。英語圏の子が英語を、日本人が日本語を身につけるような、自然な言語習得ができているわけです。
 ところで自然な言語習得とは、あるいは、自然に習得された言語知識とはどういったものでしょう?
 例えば、皆さんは格助詞「~に」の使い方を間違えることはないでしょう。それでは「お母さん -に- 読んでもらう」「犬 -に- 噛まれる」「学校 -に- いく」「2時 -に- 着く」の「に」の使いわけのやり方(英訳するときどんな前置詞を使いますか?)を、外国人に尋ねられたら、皆様ならどう答えますか?
 おそらく「わからない」が最も自然な答えでしょう。つまり母語話者の運用能力としては、十分に「分かっている」はずなのですが、説明できないという意味では「分からない」と答える以外ないのです。直感的には、とある文に関して「これは正しい」と分かるのですが、「なぜそれが正しいのか」は分からないのです。
 これはパルキッズ生たちが、英検を受験する際に日常的に起こっていることです。彼らはなぜか理由は知らないが、正しい答えを選べるのです。(ただし、プレッシャーを与えると勘が鈍るのでこの限りではありません。)

 例えば、英検の日本語版のような「語彙・理解力」を問う試験があったとしましょう。市販の幼児向けのプリントのような内容・レベルのものを想像してください。
 さて、そこで我が子が半分しか点が取れなかったとします。そんな時、どう感じますか。もちろん「この子は日本語が分かっていない」と、自らの子どもへの接し方を大いに反省するのは健全でしょう。しかし、そのようなテストを受けさせる親御さんの元に育つ子なら、その程度の日本語の語彙はすでに持ち合わせているはずです。
 多くの方は「こんなことは既に知っているのに、なぜ間違えたのだろう?」と感じるでしょうし「読めなかったのかな?」と思うかも知れません。ひょっとすると試験会場の雰囲気が苦手だったのかも知れませんし、単に気分が乗らなかったのかも知れません。また、回答の記入の仕方に混乱したのかも知れません。


Who ate what?

Who ate what? 日本語の例を見たので、英語の例も見てみましょう。Bob ate apples. をwh疑問文にすると、主語を尋ねる疑問文と目的語を尋ねる疑問文の2つができ上がります。Who ate apples? と What did Bob eat? です。なぜ、前者は単に Bob を Who に入れ替えただけで疑問文になるのに、後者では What を語頭に持ってくるのでしょう。日本語には、そんな規則はありません。さらになぜ、前者では入ってこない did が、しかも名詞と倒置して、後者では使われているのでしょう。
 これを説明できますか?知り合いに英語のネイティブがいたら、尋ねてみるのも面白いと思います。しかし、ある程度シンタクスに馴染みがある人でなければ答えられないでしょう。では、この規則をどのように教えると良いのでしょうか。教える本人すら理解できてなければ、説明など望みようもないわけです。結局、「こういうものだ」と “覚え” させるしか方法はないのです。
 しかも、絶望的なことに、我々が英語教育の対象としている幼児たちは、まだ論理が苦手です。具体的な論理は理解できたとしても、文法のような高度に抽象的な論理は理解できません。すると「この場合には do-support があるよ」と直してみても、「うんうん分かった」と表面的には合意しても、すぐに元に戻ってしまう。つまり、彼らが自然に文法を理解するまで待たなければならない。それどころか無理に教えることは、彼らが現在行っている自然な英語習得の妨げにすらなってしまうのです。

 我々が既に十二分に知っているはずの日本語の知識を改めて問われても、上手く答えられないのと同様です。子どもたちは、英語を聞き取ることができる、頭の中でもきちんと意味理解ができている。それでも、その知識がそのまま素直に解答用紙に反映されるとは限らないのです。特に幼児期の場合には、その傾向が強く、あまり無理強いすると、心が壊れてしまったりします。

 加えて、英検はそもそものデザインが、中学校の英語のレベルに合わせて行われています。言い換えれば、規範文法の「権化」です。FLAの中学生を対象とした規範文法の試験に向かって、SLAで自然に文法を獲得した「パルキッズ」たちがスムーズに答えられないのは、年齢が低ければ、ある程度仕方がないことでしょう。


モデルケース

モデルケース しかし、ご心配なく。「パルキッズ」で育った英語力に読解力を付け加えれば、鬼に金棒。英検5級から受験を始めれば、あれよあれよという間に準2級まではクリアできるだけの能力はあるのです。プレッシャーを与えず、文法指導や、日本語訳を与えずに、自然に大量の英文に触れさせれば、どんな子でも小学生のうちに準2級はクリアできるのです。
 
 「パルキッズ」たちの英検受験は、4年前後のインプットがあり、小学生になっており、1000語ほどの英単語が読めるようになった時期を目安にしましょう。もちろん、もっと早く年中さんあたりで5級、4級、3級、準2級などに合格するケースもあります。
 しかし、早ければ良い、というものではありません。英語教育のゴールは「成人した我が子の社会活動の足を引っ張らない英語力の習得」です。つまり、より優秀な教授陣のもと、優秀な学生と切磋琢磨し学問を究め、自分の就きたい職種に就き、思う存分に能力を発揮するために、足枷にならない英語力です。このような英語力は、高校1年生くらいまでにそのベースを作っておけば良いのです。つまり、英検準1級です。小学生で焦る必要などありません。ゆっくりで良いのです。
 英検受験を焦ってしまうと、どうしても親子関係が不安定になりがちですし、指導に日本語が入り、理屈っぽくなってしまいます。子どもは直感力に優れてはいますが、上で述べたように、幼児期にはそれほど論理性は高くないのです。説明しても分からない我が子を見ては親がストレスを感じ、また説明されても分からない子ども自身もストレスを溜めることになるでしょう。

 「パルキッズ」たちに英検を受験させるのであれば、十二分に機が熟すまで待つ。つまり、十分なインプットが行われ読解力が身につくまでは、淡々とインプット並びに読力育成を目指す。そして、スラスラ読めるようになったら、受験させましょう。

 一般的に、規範文法で学習を進めてきた子たちは、4級までクリアできても、なかなか3級にはてこずるようです。これは、僕が中学生だった40年以上前から、あまり変わっていないようです。また、同様に規範文法で進めてきた子たちは、ほんの一部の子が頑張って2級まではクリアできるものの、準1級には届かない傾向にあります。そもそも準1級を、留学することなく取得すること自体、相当難しいことです。
 他方、「パルキッズ」たちは、5級~3級まではポンポンとクリアします。その後に、少しだけ準2級との間に壁があります。しかし、読書習慣が身についている子なら、準2級程度は問題なくクリアしてしまいます。また、「パルキッズ」たちは、その後の準1級に対しては大した壁がないようです。大量の読書(つまりインプット)から豊かな語彙と理解力が身についているので、後は作文の練習をする程度で準1級までは合格できます。おそらく、中学生のうちに準1級をクリアできる子が多いでしょう。
 このような英語力に恵まれた子たちは、大学受験の英語も問題なくこなせるので、時間に余裕ができ、ほかの教科に手が回ります。英語にかまけることのない余裕の大学受験、羨ましい限りです。


英検は “目標” ではなく “行きがけの駄賃”

英検は目標ではなく行きがけの駄賃 ところで、なぜ子どもたちに英検を受けさせるのでしょうか。掲示板を眺めていると、「英検合格」が目標になっているような事例も目にします。上に述べた様に「早ければ良い」と勘違いしているような方も散見されます。そもそも、英検は英語学習の目標にすべきものなのでしょうか?
 これに関しては明確に「否」です。英検は「行きがけの駄賃」のようなものです。大きくなった子どもたちの、学問や社会生活の足を引っ張らないような高い英語力がゴールなのですが、そこにたどり着くまでに英検という「オマケ」がついてくるわけです。また、この「オマケ」が、中学受験をはじめ各種受験に有利なのですから美味しい話です。しかしこの「オマケ」に目がくらんでしまっては、感心できないことは言うまでもないでしょう。
 「人生において重要なスキルとしての英語を身につけさせる」という高い志から始まったSLAメソドによる英語教育も、英検受験の年齢にさしかかると、FLA教育に先祖返りしてしまうかのように、やれ「レベルに合わせた学習法だ」「知識だ」あるいは「文法や日本語訳だ」となってしまうのですから、なんとも残念なことです。

 せっかくここまで来たのですから、自信を持ってSLAを継続してください。そして、世界で十分戦える英語力を身につけさせるための行きがけの駄賃として、とりあえず「小学生のうちの英検準2級の合格」を目指しましょう。ここまで来れば、英語を日本語のように直感的に処理できるだけの英語脳が身についていますので、あとは目標として「高校1年までに英検準1級」を設定しておけば良いのです。


文科省の丸投げ方式

文科省の丸投げ方式 数年前、大学入学共通テストの英語の試験を外部委託するという施策が、一部の「英語は使って身につける主義」の専門家とその専門家に踊らされた文科省の間で、決まりそうになったのを覚えていらっしゃる方も少なくないでしょう。挙げ句の果てには、筆記試験の採点も特定の大手企業に外注することになっていたようですが、「大きい政府」の一大勢力を構成する文科省が、まるで「小さい政府」のように、民間に丸投げしようとは呆れてものが言えません。
 もっとも、文科省が自ら、学生たちの英語の学力評価の能力を「有していない」と、公にしたことには意味があると思います。つまり、教育現場には自分たちの作った指導要領に沿った指導を徹底させておきながら、「その評価は外部に」丸投げを試みるほどに、心許ない集団であることが露呈したわけです。しかも、そこには、特定の企業と仲良しな教育畑の議員さんが関わっているとのニュースを見たりすると、「神聖なる教育の場」を汚されているようで、気分が鬱々としてきます。
 決して、役所や役人を批判しているのではありません。優秀なお役人たちも日々頑張っていらっしゃることでしょう。変えたいと本気で思っているお役人もいらっしゃるでしょう。でも、変えられない。もはや、個々人の気概や能力の問題ではなく、システムが自らを変える能力を有していない、ただそれだけのことでしょう。残念ではありますが。
 結果として、その文科省の指導を受けている現場の教職員の皆様には、心より同情いたします。また、その教育システムに子どもたちを送り出す保護者の皆様方には、くれぐれもそのようなシステムであることを理解した上で、しっかりと我が子の教育はご自身で行われることをお勧めいたします。


驚異的な一貫性

驚異的な一貫性 さて、成果の程がよく分からない「文法・訳読」方式の教授法ですが、これは何も文科省が始めたことではありません。
 かつてバベルの塔に怒った神様が、出アフリカから言語を分派していき、現在では数千の言語が存在します。そして、それら未知の言語と遭遇したとき緊急回避的にピジン語が生じ、それがクレオールとなります(混成言語)。その後、言語に堪能なものが出れば、文法規則を記すようになり、後続の者たちはそれに習うこととなります。
 日本でも、江戸期にはせっせと蘭語の著作が写本され、翻訳されてきました。幕末になると蘭語は最早世界の中心でないことに気づき、独語に仏語、そして英語へと興味の対象は移ります。しかし、ここにおける言語は、学問の対象というよりは、法律や戦術、医学や物理化学などの学問を取り入れるためのミディアム(媒介者)に過ぎませんでした。
 それらの外国語の学問所では、日本各地から飛び抜けた秀才たちが集まり、切磋琢磨し、文法学習、訳読、並びに辞書の編集などが行われていたわけです。
 辞書が単語帳に変わっただけで、あるいは時々外国人の先生が話しに来てくれることが目新しい程度で、基本的な外国語に対する取り組み方は、150年経った今でも変わっていません。もっとも、当時は選りすぐりの秀才たちが学習者でしたが、今日では、どんな凡才でも外国語を習わなければならないのは気の毒なところです。
 その結果生み出されるのが、英検2級すら持っていない大半の大学進学者、外国語の授業で中学レベルの内容を教えなくてはならない気の毒な大学教授たちです。これらはお話にならないので別としても、旧帝大生でも、英検準1級を持っている人にはなかなかお目にかかれません。概して「英語はダメです」「2級までです」と仰います。すでに書いたように、確かに2級と準1級の間には、埋めがたい溝があります(「パルキッズ」たちは別です)。
 理系で大学院へ進学するような学生は別として、旧帝大に行くような秀才でも、その多くは2級止まりなのです。ちなみに、この議論は何も目新しいものではなく、渡辺昇一先生と平泉渉氏の『英語教育大論争』にも見られます。これが1974年(昭和49年)の話ですので、50年も前の議論に未だに決着がついていない、いや、それどころか「これは現在の話ではないのか?」と訝るほど、何も変わっていないのです。驚くべき一貫性ではありませんか。

 しかし、その間にも研究は進んでおり、専門家の間では様々なことが分かってきています。外国語習得において障壁となっている様々な母語の音声・音韻知識や、インプット不足からは外国語習得が達成し得ないことなど、外国語の習得にあたり「実践してもあまり意味のないこと」や、逆に「すべきこと」は明らかになってきているのです。
 しかし、そのような知見は活かされることはありません。「声」が小さいのです。いや、おそらく音声学や音韻論の研究者たちは、研究の成果を文科省に積極的に売り込むような精神を持ち合わせていないのでしょう。そうこうしているうちに、文法・訳読教育を悪者(確かに正義の味方ではありません)にして、”CEFR : Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment、外国語の学習・教授・評価のためのヨーロッパ言語共通参照枠、セファール” や “CLIL : Content and Language Integrated Learning、内容言語統合型学習、クリル” などという、ヨーロッパや米国・カナダ移民に対して適用された指標や指導法を、そのまま日本に持ち込むということがしれっと行われています。
 大学生に対してそれらが行われることに関しては、まったく異論はありませんが、例えば、中学生に対して英語で授業を行うなどといった愚は、少なくとも公教育の場では避けられるべきことでしょう。英語を聞き取れない、正しい発音も知らない、文法も知らなければ語彙も乏しい、そんな学生に、日本語で教えても大変な英語を、英語で教えようというのです。これがいかに効率が悪いかは、専門家でなくても、おそらく小学生でも分かる論理ではないでしょうか。


規範文法と商業主義

規範文法と商業主義 さて、なんとか「英会話」をねじ込むことに成功してきた官民共同体ですが、結局、学生たちの文法・訳読能力が英語力の担保になることは変わりません。そして、そんな “システム” の中核を成す規範文法と切っても切れない学習法が「段階を踏ませる(と勝手に彼らが思っている)指導法」です。
 日本の教育の問題点は「知識偏重だ」と言われていますが、「知識」があることは悪いことではありません。それよりも「考えさせない」ことの方が大問題です。例えば、極端な話をすれば、「かけ算九九」を小学生で(今日では幼児でも)”覚え” させられています。確かに “覚え” てしまえば、知識内での設問に接した際に、瞬時に答えを導き出すことができます。しかし、このように “覚え” る過程には、今日推奨されるところの “考え” る余地などありません。
 九九から始まって、各種数学の公式、方程式の解き方から、物理公式等々、結局意味も理解できずに “覚え” ているだけの子どもがどれだけ多いことか。文科省にすれば、 “考え” ることを推奨しているわけですから、このあたりにメスを入れて欲しいところです。
 しかし、教育現場にはまた別の問題があります。本当に賢い学生は人口のほんの一握り、すべての学生が賢いわけではありません。つまり、すべての学生に対して、 “考え” るという高度な精神労働は期待できません。そこで、 “覚え” させることにならざるを得ないのです。
 そして、これは算数や国語だけではなく、英語に関しても同じです。簡単な(と誰かが勝手に決めた)ものから、徐々に難しい(と、これも誰かが勝手に決めた)ものへと学習を進めさせることになるわけです。具体的には、単語のテスト、和文英訳、英文和訳、長文読解にリスニングテスト。結局、「英検」にならざるを得ないのです。
 当然、学校教育に準拠することで信頼を得て、売り上げを確保ことを目指す民間からすれば、「文科省が言うなら、じゃあ我々も」と右倣えの姿勢で営業戦力を展開することになります。そこについてくるのは、本人の実力とは直接に関係のない(容易に測定可能な)技能を「○級」と測定する手法です。
 このようにして、多くの民間企業(もちろん一部気概のある企業は除きます)では、学校教育の先取りに過ぎない教育を提供するわけです。そもそも、学校教育では成果が上がらないわけですから、それを先取りすることで得られるメリットは、高校受験や大学受験の際の、つまり将来的な時間的「余裕」を産む程度ではないでしょうか。

 と、まぁ、手厳しく書いて参りましたが、思い出してください。「日本語訳は与えなくて良いのか?」「文法は?」「イディオムは?」などのご質問は、それらがそのまま規範文法的な発想なのです。皆様は規範文法、つまりFLAが絶望的な効果しか上げられないことに嫌気が差して「パルキッズ」にたどり着いたのではないでしょうか。どうぞ、そこをお忘れにならないでください。
 また、「内容を理解しているかどうか分からない」というご意見もありますが、これに関しては説明し始めると、おそらくまた別の特集記事ほどになるので、ここでは触れないことにしておきます。しかし、すでに述べたように、直感的なSLAを目指すのであれば、たっぷりとしたインプット、そして読解力を育てること、この2点を行っていただければ、それで十分です。


単語を和訳で覚える?

単語を和訳で覚える? すでにお気づきでしょうが、ここまで “覚え” ると引用付きで記して参りました。賢明な読者の皆様におかれましては、 “覚え” ることが “考え” ることを阻害していることにご注目ください。繰り返しますが、覚えることが悪なのではありません。覚える必要のないものまで覚えさせようとすることに、問題があると指摘しているまでです。
 例えば、僕も散々制作に関わって参りましたが、社会科や理科のキーワードあるいはストーリーを覚えさせるために楽曲を使うことは、とても効率がよい教育法だと思います。歌は何といっても覚えやすい。
 河川の長さや、国立公園、湾や半島に平野、火山帯などなど、名前や数字の羅列は歌で覚えるのが楽です。また、歌で予めインプットしておけば、実際にその場に訪れる機会に恵まれたときに、とても高い学習効果を生むでしょう。
 原子番号や、植物、地層や鉱物の種類、あるいは恐竜や様々な実在する生物なども細かく固有名詞でインプットすると、高い知覚力が育ちます。歴史的事実や年代も、歌で覚えてしまえばこれほど楽なことはありません。現在、夏休みですから「幼児教室プログラム」などを使用して、積極的に予習すると良いと思います。

 このように歌などのツールを用いて覚えることは、呪文のように字句を記憶するより余程楽で楽しい作業です。しかし逆に、学校ではこのような効率のよい学習が行われない代わりに、算数の公式が教えられます。
 例えば、「1時間に進む距離が時速」であることを理解させれば、別に公式など教えなくても正しく答えが導き出せます。しかし、このように考えることをさせず、つまり理解をしているかどうか分からないままに公式を記憶させ、それにより流れ作業のように定式化された問題を解かせる訓練には、大した意味を感じないのは僕だけではないでしょう。
 「は・じ・き」などと覚えている学生たちに、「ここから渋滞3キロ、5分」あるいは「渋滞5キロ、3分」の際の「時速」を計算させてみましょう。前者は確かに “渋滞” ですが、後者は “渋滞” の定義に当てはまらないことを直感的に理解できるでしょうか。
 覚えた公式に数字を当てはめ、筆算するようにトレーニングされた子どもたちは、おそらく、キーワード「は・じ・き」を思い出して、どことどこがかけ算なのかを思い出し、与えられた数字(単位を揃えようとすれば優秀な方か)を当てはめて、実際に計算してみる。これで5分くらいかかるのではないでしょうか。
 他方、公式などではなく「1時間に進む距離が時速」であることを物理量で理解できている子は「1時間は3分の20倍(あるいは1時間の5%)なので、5キロを20倍(あるいは0.05で割る)して時速100キロ」なので「これは渋滞じゃないよね」という結論に、2、3秒でたどり着けるのです。

 “覚え” るということは、様々な事実を目の当たりにして、そこから一般化や自らの法則を引き出すために “考え” る作業を無力化させます。簡単な話です。論理がまだ未発達な子どもたちにとって、また頭の柔軟な彼らにとって、”考え” るより “覚え” る方が遙かに楽なのです。人間は楽な方に逃げる生き物ですから、幼児たちも考えないで済むなら覚える方に逃げてしまうのです。
 そのような “覚え” る教育が蔓延している世の中に、一握りの “考え” る子どもたちがいます。運良くそのような家庭環境に生まれついたのか、あるいは何かの切っ掛けがあってそのような思考バイアスが形成されたのか分かりませんが、そんな人たちは教科書を覚えようとはせずに、教科書の記述の背景に何があるのかを考えるのです。そのような人たちが「あいつは地頭が良い」と周囲を唸らせるのでしょう。


自然な言語の習得

自然な言語の習得 脳科学的な側面から、ひとつ事例を紹介しましょう。先日行われた日本言語学会の164大会の公開シンポジウムで、東京大学の酒井邦喜先生がfMRIを用いた異なるタイプの言語刺激に対する脳の反応を紹介していました。
 もともと、ブローカ野と呼ばれて従来発話に関わると考えられてきた左下前頭回は文法を、またウェルニッケ野と呼ばれ理解などに関わる左縁は単語と音との関係を司る部位であることが分かっているそうです。
 その前提の上で、要点のみ述べます。その実験では、日本語において自然な文法と音の関係を持つ文への対応と、日本語において不自然な文法と音の関係を持つ文への対応を、被験者に強要しました。
 母語で且つ自然な文法と音声の関係にある組み合わせでは、上述のブローカ野とウェルニッケ野を中心に活発な活動が見られました。他方、不自然な文法と音声の組み合わせへの強制対応のタスクでは、視覚野に強い反応が見られるほか、脳活動が分散したそうです。つまり、通常の言語使用で活性化するブローカ野やウェルニッケ野とは別の部位を使って、その(不自然な)文の処理がなされるのです。
 この実験結果の示唆するところは、英語(あるいは規範文法)という日本人(あるいはアメリカ人)にとっては不自然なタスクでは、言語野と関係ない脳の部位で関係ない作業が行われているわけです。もちろん、それでも、ヒトはそのようなタスクをこなすだけの能力を備えています。しかし、言語野とあまり関係ない脳の部位でせっせと英語の学習をしても、その成果の程は、最早改めて書くまでもないでしょう。


英検合格のコツ

英検合格のコツ さて、ここまで、SLAで育つ「パルキッズ」たちが、FLAで育つ子どもたちといかに異なる質の英語を身につけているのか、つまり、語や規則の「記憶の集合としての英語」ではなく、我々にとっての日本語のように「無意識の回路としての英語」を身につけているのかを見て参りました。また、そんな子が英検とどのような関わりにあるのかも、ご理解いただけたと思います。
 つまり、英語教育を進める中で、それなりの英語力が身についたら英検を受験させる。このアプローチには余裕があります。逆に、受験させることを目標にしてしまうと、実力が伴わない状態で英検受験へ突き進む羽目になります。
 すると…、「合格のコツは?」といった質問が飛び出すわけです。実力があればコツなどは必要なく、逆にコツがあるとすれば、「実力を身につけさせる」ことに尽きるでしょう。

 しかし、それではつまらないので、ここで特に英検受験に突き進んでいる方のために、ひとつアドバイスをしておくことにしましょう。

 勘の良い皆様のことなら、何の話か分かりますよね。

 英語以外に、することがございませんか?ということです。英語に夢中になっているうちに、おろそかになっていることはありませんか?

 そうです、国語教育です。

簡単な話、英検は級が上がるにつれてそれに見合った国語力が必要とされます。つまり、英語はペラペラでも中身もペラペラな子は級が上がるに連れて、合格が難しくなるのです。英検受験に国語?そうなのです。国語はここでも出てくる重要な能力なのです。

 英検だけではありません。大学受験も同じこと。英語だけできれば、とりあえずMARCH程度の大学への入学はできるでしょう。しかし、就職はどうでしょう。
 就活で「私の英語力を活かして」などと口を滑らせて、お祈りメールばかり受け取ってきて、しまいには就活を諦めてしまった学生も何人か知っています。
 「我が子が将来世界を股にかけて働くための足枷にならない英語力」は十分に「パルキッズ」で身につけられるのですが、英語に拘泥するあまり、もっと大切なこと、つまり国語力の涵養をすっかり置き去りにしてしまっている方も、ひょっとするといらっしゃるかも知れません。
 具体的には、『パルキッズ通信2021年7月号』をお読みいただくとして、すべての思考力の基礎、つまりヒトに与えられた特権であり、その能力で社会的な立場が大いに変わりうるベースの能力である国語力、これを身につけずして、英語力ばかり育てていたら本末転倒です。

 英語は「パルキッズ」に任せる。3、4年インプットして1000語ほど読めるようになったら5級から受験させる。対策は「英検オンラインレッスン」シリーズで十分です。ただし、教材内にはそのシステムの背景が記されていないので『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)の英検対策の節をお読みいただくことをお勧めします。
 いずれにせよ、実力が身についていれば、その程度の準備で十分なのです。

 4月には国語力を育てるための「幼児教室プログラム」を発売し、多くのご家庭から「手軽で良い」「子どの知識が増えた」などご好評をいただいております。また6月には「地頭力講座」も始まり、我が子の地頭力、つまり語彙を豊かにし、理解力を高め、論理性を身につけさせた上で倫理観に充ち満ちた子どもに育てる3ヶ月プログラムもスタートしております。  「英検は行きがけの駄賃」であって、(英検合格の)「コツは実力がつくまで待つこと」、そのために「日々のインプットを心がけ」同時に「読解力育成を心がける」。これだけで良いのです。  さてさて、長々書きましたが、本稿が、成果を急がず焦らず、長いスパンで育児を眺め、その中での英検の位置づけをもう一度見直す切っ掛けになれば幸いです。


【編集後記】

今回の記事をご覧になった方におすすめの記事をご紹介いたします。ぜひ下記の記事も併せてご覧ください。
パルキッズお悩み解決夏休みスペシャル
地頭の良い子の育て方
理解力・思考力・表現力の高い子を育てる簡単な方法
この夏、我が子の将来に向けてできること
隣の芝生は青く見える

【注目書籍】『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)

特集イメージ9 児童英語研究所・所長、船津洋が書き下ろした『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)でご紹介しているパルキッズプログラムは、誕生してから30年、10万組の親子が実践し成果を出してきた「超効率」勉強法です。書籍でご紹介しているメソッドと教材で、私たちと一緒にお子様をバイリンガルに育てましょう。


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プロフィール

船津 洋(Funatsu Hiroshi)

1965年生まれ。東京都出身。株式会社児童英語研究所・代表取締役。上智大学外国語学部英語学科卒業。実用英語技能検定1級取得。30年以上に渡る幼児教室・英語教室での教務を通じて幼児の発達研究に携わるかたわら、「パルキッズ」などの英語教材を始めとした幼児向け教材を多数開発。また、全国の幼児・児童を持つ親に対して9万件以上のバイリンガル教育指導を行う。講演にも定評があり、全国各地で英語教育メソッドを広めている。著書に20万部のベストセラーを記録した『たった80単語「読むだけで」英語脳になる本』(三笠書房)をはじめ『どんな子でもバイリンガルに育つ魔法のメソッド』(総合法令出版)『ローマ字で読むな!』(フォレスト出版)『英語の絶対音感トレーニング』(フォレスト出版)など多数ある。

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