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2023年2月号特集

Vol.299 | 学校英語の理想と現実

英語学習のゴールを見極めよう

written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)


※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。

引用・転載元:
https://www.palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-2302/
船津洋『学校英語の理想と現実』(株式会社 児童英語研究所、2023年)


理想と現実の「理想」

かけ流ししかしていないからダメ?! 「グローバル化が進む現代の社会において、国民一人ひとりの英語力の向上は不可欠である。なぜなら、東京オリンピックを迎える2020年はもちろん、今の子どもたちが活躍するそのさらに三十年後の日本は多文化、多民族が競い合う環境に置かれている。従って、異文化理解やコミュニケーションのために、世界共通語である英語の運用力を求められることになるだろう。
 多くの議論を経たのち行われている現在の小中高の英語教育は多くの成果を上げている。しかし、グローバル化の中でより一層の充実が求められている。そこで、今までの成果と課題を踏まえると、小中高が連携し、一貫した英語教育の実施が求められる。特に、四技能を最大に活かし、発音や語彙、文法などの間違いを恐れずに、積極的にコミュニケーションを図る姿勢の涵養が大切である。
 そこで、聞く、話す、読む、書くの四技能に加えて、特に話す技能を発表とコミュニケーションの2領域に区分した四技能五領域においてバランスの取れた教育が行われる必要がある。
 このような英語教育が小学校から高校まで行われることで、高い成果が上がっている。そのひとつとして中学3年終了時にはCEFRのA1レベルの英語力を有する学生(英検3級保持者並びに同等の英語力を持っていると思われる者)の全体に占める割合が10年前の25%から47%に上昇している。小学校からの英語教育によって、会話レベルの英語力は既に身につけているので、中学からは英語の授業をすべて英語で行えることなども関係しているのであろう。」 (文部科学省 今後の英語教育の改善・充実方策について 報告~グローバル化に対応した英語教育改革の五つの提言~ より筆者要約)

 以上は、文科省が平成26年に発表した、現在の英語教育のあり方、並びに文科省が進めてきた英語教育改革によって得られた成果の分析です。確かに、英検3級以上、あるいはそれと同等の英語力を有する学生の割合は増えています。つまり、現在の英語教育は方向性として正しく、今後さらにこの考え方の延長で未来を担う子どもたちの英語教育を進めていかなくてはならないのでしょう。  そして、文科省によるこの分析が正しいのであれば、我々国民、子を持つ親たちは、大船に乗ったつもりで安心して文科省が推進するところの公教育を受けていれば良く、子どもたちはグローバル化の進む今の社会を乗り切ることができるようになるのでしょう。


理想と現実の「現実」

アウトプットの大合唱から文法訳読へ祖先帰り さて、まずは文科省による自己分析をサマライズしてまいりましたが、別の見方も成立し得ます。また、文科省の現状の分析に関しては、少々手前味噌的で身内に甘い傾向が見えます。グローバル化が進む社会において、まず国民一人ひとりに求められるのは、メディアリテラシーやITリテラシーなど、発信された情報を鵜呑みにするのではなく、批判的に見るクリティカルシンキングであることは、文科省も否定しないでしょう。そこで、今回は、現在の英語教育のありよう、今後あるべき姿をさまざまな視点から見ていくことにします。


 お気づきでしょうけれども、キーワードにハイライトをつけています。ひとつずつ見ていくことにしましょう。


グローバル化と英語

継承語学習者 (Heritage Learner)って? グローバル化とは、多国籍企業などが国境など存在しないかのように商業活動を行う世の中を指します。古くは大航海時代や帝国主義などもこの概念に含まれます。つまり、資本が国を飛び出して、世界を巡るのですが、これによってさまざまな問題が起こります。押し並べて「搾取」が蔓延ります。
 資本主義が進んで国家が豊かになると、インフレが起こります。すると、より安い労働力、あるいはより安い資源の供給源として、発展の遅れている地域を求めることになります。かつての中国や現在の東南アジア、あるいはアフリカなどもその対象です。
 同時に、グローバル化は新自由主義と同義語です。新自由主義とは、国家が富の再分配などを取り仕切るのではなく、自由に競争して、自由に儲けてよ、という考え方です。すると、富の再分配など起こるはずもなく、富めるものとそうでないもの、優れたものとそうでないもの、などなどの二極化が進みます。
 グローバル化は、アメリカ化のようなもので、もはや歯止めが効きません。日本人はアメリカが好きなので、アメリカ化も大歓迎です。ハリウッド映画をはじめ、ネットフリックス、アマゾンなどから提供される映画やドラマを見ているだけで、どんどん思考がアメリカ化されていく、つまりグローバル化を喜んで受け入れていることになります。
 この点において、文科省の分析でグローバル化と英語力を結びつけているのは、少し強引かな、とも思われます。そして、次のキーワードとも英語力が結び付けられます。


異文化理解とコミュニケーションのために英語を身につける意義

継承語学習者には2種類ある 異文化理解やコミュニケーションのために英語が必要である、などと言われれば、「うむ、確かに」と頷く向きも少なくないでしょう。異文化の理解のために英語力が必要かどうかは疑問を抱くところではありますが、コミュニケーションのために英語を身につけよう、というのは響きの良いの定義です。
 しかし、現実はどうなのでしょう。オリンピックと英語教育が結び付けられて、なぜかオリンピックの開催を口実に性急に小学英語や中学英語が変化しました。つまり、「英語で話せないことには意味がない」ということになり、「話す」ことに力を入れた英語教育に舵が切られたわけです。
 「オリンピックで外国人と英語で話そう」に関してはコロナで空振りしましたが、そもそもオリンピックで外国人と会う人は、日本人全体のどれくらいの割合なのでしょう。この点はかなり疑問でしたし、いまだに誰も説明してくれてはいませんので、ただただ、「オリンピック」が「英語教育改革」の口実として用いられたとしか思えないのは、僕だけでしょうか。
 そのさらに三十年後の日本に関しては、「多文化、多民族が競い合う」環境になっているそうです。移民どころか、難民すら受け入れることを渋っているお役所が、入国管理の方針転換をして外国人をどんどん迎え入れるようになり、色々な文化や民族の人たちが、それこそアメリカ合衆国やオーストラリアのように混じり合っている国に、我が国もなるのでしょうか。
 それで、英語が必要となるそうですが、移民の多い他国の現実を見ても、日本に来る外国人に合わせて日本人が全体として英語を学ぶより、日本に来る外国人に日本語を学ばせるのが筋ではないでしょうか。現に日本の学校教育は日本語で行われるわけですから、移民の子女たちは日本語を身につけなくてはいけないわけです。英語を公用語化するなら話は別ですが、他文化・多民族の国になるので英語が必要というのも、「オリンピックだから英語を」論理同様に、強辯の誹りは免れないでしょう。


小中高の連携

違いがない!!界 小中高が連携し、一貫した英語教育の実施に関してですが、これは是非とも実現していただきたいものです。というのも、どうも現実を見ていると小中高の連携、特に小中学校における英語教育の連携がうまくいっていないように思えて仕方がないのです。
 小学校での英語教育は、いわゆる “グローバル化” の影響で、英語を使える人材の必要性から検討されるようになったようです。グローバル化と英語に関しては既に述べたので付け加えることはありませんが、いずれにしても、1992年に全国にパイロット校が指定されて、テスト的に導入され、テストがうまくいったのかそうでなかったのかは良くわかりませんが、その10年後の2002年には全国の小学校で英語教育がスタートすることになります。もっとも、「総合的な学習」の一環である「外国語」としてスタートを切ったわけですが、結局どこもかしこも英語となりました。
 小学5・6年生では必修となり、3年生以上でも英語が実施できるようになったわけですが、この当時、中学校との連携は大丈夫か?という議論が一部でなされていました。つまり、まずカリキュラムがなかった。一応、教科書的な冊子はありましたが、具体的な指導法は学級担任の国語の先生、あるいは “ALT:Assistant Language Teacher、外国語指導助手” に委ねられていました。これに関しては、外国人ALTから「日当12,000円でカリキュラムや教材は自前」という話を聞いて驚いた記憶があります。
 要するに、新自由主義よろしく放任主義がとられていたわけです。それによって、英語に力を入れている小学校や、英語力を備えている学級担任、または優秀なALTに恵まれた小学生と、そうでない小学生に二分化されることになります。そして、その環境に恵まれた子と、そうでない子が、中学校で席を並べて中学英語カリキュラムで学び始めることになります。小学校からの英語導入で危惧されていた「英語が苦手な子の増加」を目の当たりにすることになります。
 これがさらに押し進められて、2020年からは小学3・4年生でも必修となり、5・6年生では評価対象の教科として、本格的に英語科が始まりました。これは、とある塾の先生から聞いた話ですが、現在の中1の英語の授業は「小学校で習った語や文に関しては理解(読めたりも)しているもの」という前提で行われるそうです。小学英語は教科専任を置く小学校は多いものの、人手は足りず、基本的には学級担任、つまり国語の先生が教えることになります。それで、700語ほどは身につけている、という前提で中学での英語の授業が始まるため、特に中1の英語は難しい状況に置かれているようです。生徒もさることながら、先生たちのご苦労には頭が下がるばかりです。


積極的にコミュニケーションを図る姿勢

Perception-Production Link 積極的にコミュニケーションを図る姿勢とはどういうことか。これはどうやら「文法訳読批判派」から出てきたようです。日本人が英語ができない理由は、文法・訳読中心の学習を行なっているからであり、使える英語を身につけるためには実際に使わなくてはいけない、という考え方が根底にあります。
 もはや、ここで繰り返すことも食傷気味で憚られます。詳しくは『パルキッズ通信2022年10月号2017年5月号』をご参照いただくとして、兎にも角にも「文法訳読ではダメ」「文法とか語とか発音とかどうでもいいから、使おうよ、楽しいよ」という発想のもと、現在の英語教育の有りようにシフトしています。”CLIL : Content and Language Integrated Learning、内容言語統合型学習、クリル” などがその根拠として引き合いに出されていますが、これもある程度以上、英語の「文法や語彙」が身についている高校生や大学生に向けて、intensive(集中的)かつextensive(広範)に実施されるのであれば大賛成、大変意味がありますが、英語の基礎すら覚束ない小学生や、中学生にまで対象を広げるのはいかがなものかな、とも思います。
 英語教育を成功させるための方略として、専門家たちの知見は英語の音声学とか音韻論に向かうことはなく、「とにかく使ってみる」ことで「英語でのコミュニケーションの楽しさを体感する」という、言ってみれば精神論のようなところに落ち着いていて、文科省もその考え方に賛同しているようです。それによって子どもたちは「英語が好きになって」いるのでしょうか。以下、文科省が主張するところの「高い成果」について見ることにします。


高い成果

始めての音にも対応できるようになる 高い成果の根拠は、中3で英検3級かそれと同等の英語力を有する学生が、全体の半数近く(47%)を占めるに至ったことにあるそうです。正確には英検3級を持っている学生は4人に1人で、そのほか判定方法は不明ですが、英検3級レベルの英語力を持っている学生が2割ほどいるそうです。学校教育における各種検定試験の利用割合は、圧倒的に英検が多いのですが、なぜ英検を受けずに「3級並み」とするのかは定かではありません。
 それは良いとして、これが「学校英語の成果」だそうです。ただ、一方で「英語が好きである小学生」の割合は減少傾向で、10年前の4分の3から、現在の3分の2へと落ち込んでいます。好きであろうが嫌いであろうが、必修なので子どもたちは取り組まざるを得ません。  ところで、数年前に弊社で実施した、首都圏の小学生の保護者を対象としたアンケート調査によると、英語を週5時間以上勉強している子が25%、同じく英検3級以上を保持している子も25%という結果が出ました。
 文科省の調査と弊社のアンケート調査の結果を比べると、興味深いことが分かります。文科省曰く「中3の4人に1人が英検3級保持」でもって、弊社のアンケート結果によると「首都圏では小学生の4人に1人が英検3級以上保持」となっています。これはどういうことでしょう。
 小学校の英語の教科書は、私も何度か検証してみましたが、どう考えても「英検3級を取得」できる内容ではありません。つまり、弊社アンケートで見られるように、英会話スクールに通ったり市販の教材を使用したりして「英語を週5時間以上勉強」する25%の子たちが、そのまま英検3級に合格しているのでしょう。しかし、実に6割以上は、英語の勉強はしているにもかかわらず、英検を受験したこともないわけです。お遊び程度に英語に親しんでいる子どもが多いということでしょう。文科省が太鼓判を押す英語教育の信奉者なのかもしれません。このようにしてグローバル化、つまり二極化が進んでいるわけです。
 しかし、それでも文科省の「中3で英検3級」と弊社の「小学生で英検3級以上」が同率であるというのはどういうことか。これは簡単なことで、首都圏と地方の違いでしょう。弊社アンケートは首都圏限定なのに対して、文科省の調査は全国が対象です。つまり、首都圏と地方では同じ英検3級程度の英語力を身につけるのに3年ものギャップがあると考えられます。
 ちなみに、首都圏では英検準1級の試験会場にも、小学生が1~2割はいるそうです。現に、英検1級の会場でも、中学生は当然のことながら小学生もちらほら見かけます。また、中学の英語の成績分布も、正規分布ではなく、フタコブラクダ状態に、飛び抜けてできる子たちと、まったくできない子たちに二分されているようです。その辺りも、親が学校英語に危惧を抱き、学外での、しかも早期の英語教育に取り組んでいることによるのでしょう。
 このように、学校以外で英語を勉強する25%と、それ以外の子どもたちとの英語力の二極化は小学校で決定的になっていますが、同時に、首都圏と地方での英語に対する姿勢の違いも顕著で、こちらでも二極化が進んでいます。そして、二極化に乗り遅れた子どもたちが、英語に対して「あまり、あるいはまったく、好きとは思えない」と答えることになるのでしょう。


オールイングリッシュでOK!?

知覚能力 > 産出能力”> 最後になりますが、<strong>中学からは英語の授業をすべて英語で</strong>行うことに関して、簡単に触れておくことにしましょう。<br>
 小学校では聞くことと話すことを中心に学習が進み、700語程度を学ぶわけですから、それによって「英会話の基礎は身につけた」との前提でオールイングリッシュの授業が始まっているようです。<br>
 僕は、高校で留学したことで、英語でも授業を受けられる程度の英語力を身につけました。しかし、留学していなければ、まさか「英語の授業を英語で受けられる」ほどの英語力は持ち合わせていません。もう少し分かりやすい例を挙げてみましょう。<br>
 日本人の大人たちは、大学まで行っているのであれば、8年から10年は英語教育を受けてきたことになります。その前提で「英語で授業」なのであれば、分からないことはありません。しかし、例えば「大学の第二外国語の授業」をすべてその言語で、つまりフランス語なりドイツ語なり、中国語なりで受けるとなったら、相当戸惑いますし、学外で「文法や訳読」の練習を余儀なくされるはずです。<br>
 「いやいや、それとは違う。なんといっても小学校5・6年で2年間140コマにわたり英会話をやっているのだから、中学からはオールイングリッシュで大丈夫」と言われれば、「そうか、僕の頭が悪いだけか」と諦めざるを得ないでしょう。<br>
 しかし、日本人の国語教師が歌ったり踊ったりしながら、楽しく英語に触れたり、会話の定型を学習することを2年間続ければ「英会話の基礎」は身について、オールイングリッシュでの授業が可能になるのであれば、おそらく、もはやすべての日本人はオールイングリッシュで英語の授業を受けられるレベルに達していることは間違いないでしょう。ただ、残念ながら、「現実はそうなってはいない」と感じるのは僕だけではないでしょう。
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モーター理論 ここまでつらつらと書いて参りましたが、文科省が掲げる「理想」的現実は「現実」とは乖離している、言ってしまえば「夢想」でしょう。
 さて、文科省は国語教育に関して、思考力・理解力・表現力が大切だと言っています。まったくその通りだと思います。グローバル化に対応するためには「英会話力」が必要なのではなく、文科省が言うように、しっかり地に足のついた国語力が必要です。
 しっかりとした国語力があれば、通訳を介して情報を発信することもできるでしょう。また、しっかりとした国語力があれば、かつて行われていた「文法・訳読」中心の英語力を軸に「発音や語の使い方」に縛られることなく、自らの考えを「表現」することも可能なはずです。
 そして、それ以上の英語力を学生たちに求めるとすれば、それは故・渡辺昇一先生が指摘したような、薄っぺらな「英会話力」のようなものではなく、正確に英語を読み解く力でしょう。
 なぜか。これも国の考え方と一致を見ますが、我が国に必要なのは、理系あるいは自然科学系の論理思考ができる人材です。そして、理系の学問はゼミの2年間で身につくようなものではありません。最低でも修士レベルの知的格闘力が必要となるでしょう。
 それでは、修士を増やせば良いではないか、という議論になります。まったくその通り、修士を増やせば良いのですが、日本の社会では高い専門性を持った職種以外では、知的格闘力の高い修士は敬遠されるようです。高い論理性を備えた思考力を有することが、仲良し社会の輪を乱すのかどうかは知りません。しかし、日本より学歴社会であるアメリカでは、学部卒(学士)は当然のこと、修士や博士が職業選択の面や賃金の面で優遇されます。
 日本の古臭い企業体質は、老人たちが自然淘汰されることで変わりつつあります。しかし、国がいくら進めても修士が増えないのは、そんな社会の状況を反映しているからでしょう。
 ただし、グローバル化がますます進む未来では、個人の能力が生き残りのストラテジーを左右します。つまり、知的思考力、理系的、あるいは自然科学的考え方ができる人間が身ひとつ、頭脳ひとつで豊かな位を獲得できるようになると想像します。
 さて、そこで修士なり博士なりを取得するために必要となるのが、文章を正確に読み解く英語力です。なぜなら、自然科学の分野での共通語は英語だからです。論文も英語で書かれます。修士課程で使われるような専門の教科書も英語です。また、留学生が1人でもいれば、授業すら英語で行われるようになります。そのような高いレベルの英語力が要求されるのです。
 つまり、高い知的格闘力、論理性や思考力を備えた人に育てるための修士課程に入る段階で、ある程度以上、英検準1級かそれ以上の英語力が求められるのです。この英語力の「地に足の着き」っぷりは、旅行英会話の比ではありません。
 「グローバル化」と「英語」を結びつけるのならば、「異文化・異民族とのコミュニケーション」を唱えるのではなく、ここで述べたような少なくとも英検準1級以上の高い英語力、”CEFR : Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment、外国語の学習・教授・評価のためのヨーロッパ言語共通参照枠、セファール” で言うところのA1, A2ではなく、B2以上の英語力が求められるのです。


二極化の正体

聞き取れないことにはモーター理論が機能しない 文科省が「中3で英検3級レベルが半分いる」と喜んでいる間に進行している二極化ですが、この二極化、つまり「英語ができない子には目をつむって」「英語ができる子が増えている」本当の理由はなんでしょう。
 日本では「ゆとり教育」により学力低下が叫ばれて、慌てて「脱ゆとり」となり、教科書の内容もぐっとボリュームを増しています。それは結構なことだと思います。しかし、「ゆとり」の掲げた理想を捨て去ることができず、つまり学力中心ではなく「表現力」や「コミュニケーション」、あるいは「考える力」「想像する力」の涵養に力が分散してしまっており、結局、虻蜂取らずになっている面があります。
 その責任は、子どもたちの未来が背負うことになります。そして、「そんな現実」を分かっている、あるいは薄々感じている親たちは、せっせと我が子に英語を学ばせるのです。その結果が、先に挙げたアンケート結果に、そのまま反映されていると見るのは自然でしょう。
 つまり、小学生の4人に1人が英検3級以上を持っている(首都圏)。文科省が胸を張って「中3で英検3級レベルが半分」というそのレベルを、小学生のうちにクリアしている子が4人に1人いるのです。しかし、その一方で、取り残されている6割の子どもたちが存在するのです。二極化が進むのは当然でしょう。
 ただし、救いはあります。「地方」です。確かに地方では、英検の取得率も低い。しかし、都市部のように、詰め込み教育が行われることから免れる傾向があります。そこにおいて、正しく家庭教育が行われれば、高い論理的思考力を備えた、高い国語力をもつ子どもに育てることができる。そんな子たちの親が、運良く幼児期から英語教育を開始することができれば、鬼に金棒。地方にいることのデメリットを感じることなく、逆に地方ならではのメリットを活かしつつ、高い学力を身につけることができるのです。この点に関しては「地頭力講座」や「英語子育て大百科」で学んでいただき、「幼児教室プログラム」「ものしり博士」などで、家庭での教育を実践していただけると良いでしょう。
 グローバル化による二極化など、恐るるに足らないのです。さて、国語力について触れるのはこの程度にしておいて、「地の足のついた英語力」について簡単に触れておくことにします。


英検準1級レベルの英語力

産出能力保持には継続的な取り組みが効果的 さて、公教育は公教育として、文科省の方針で進めていただければ良いと思います。なぜなら公教育の使命は一部の「優秀な人材」を育てることではなく、1人も取り残されることなく「最低限の知力」を身につけさせることです。それでは、優秀な人材の育成はどうするのか。それは、家庭教育に委ねられていると考えれば良いですし、それが現実でもあるのです。
 それでは、高い論理的思考力を備えた、自然科学的な思考のできる子に育てるには、何が必要なのでしょうか。国語力は当然ですが、英語力も必要となります。そして、国語力が優秀に育った子たちも、最後の最後で、英語力のある子には敵わないのです。
 それでは、そのような英語力、英語の文献を正確に読み解くような英語力とはどんな英語力なのでしょうか。これに関しては、少なくとも英検準1級、できれば英検1級程度はクリアした英語力とも言えるでしょう。
 過去の『パルキッズ通信』ですでに触れているので、詳しくはそちらを参照していただくとして、日本で教育を受けている限り、英検準1級の取得はかなり難しいでしょう。もちろん、パルキッズ卒業生たちは別ですが…。つまり、「パルキッズ」などで早期英語教育を実践しないのであれば、留学でもしない限り英検準1級のクリアは難しいと考えておくのが自然です。
 すると、困るのが大学受験と大学院進学です。ある程度の大学へ進もうと思えば、少なくとも英検2級以上の英語力は必要とされます。しかし、中学、高校と英語学習に拘泥しているようでは、なかなか希望の大学へは進学できません。まずは、早めに英語をスタートすること(できれば幼児期が理想です)、そして「小学生のうちに英検準2級」を目標に英語学習に取り組ませましょう。
 それでは、どのような学習方法が、幼児あるいは小学生たちに適しているのでしょうか。これは、言うまでもなく「インプット」を中心とした英語学習です。余談ですが、学校英語も「インプット」中心にすれば高い成果(例えば、中学生で準2級保持者が半数以上など)を上げることが可能でしょう。現在の学校英語は「インプット」量が圧倒的に少ないのです。その辺り、もう少し詳しく見ることにします。


十分な「インプット」からのみ英語は身につく

産出能力保持には継続的な取り組みが効果的 音声学の世界では、第二言語習得に関する研究が盛んになされています。有名なところでは、フレゲ(James Emil Flege)や、キャサリン・ベスト(Catherine Best)などの研究者がいます。そこでは、母語と外国語の音素の知識の差が、外国語習得の妨げになることが示されています。また、音素の差だけでなく、音節構造の違いなど、音韻知識の差も外国語学習の障害となります。
 しかし、そのような科学的知見は民間に降りてくることはありません。そして、声の大きな「第二言語習得論」の人たちが主張するところの精神論もどきの学習メソドが広く行われています。そこでは、インプットの重要性も何もなく、経験させることでモチベーションを高めることが英語力向上の最後の砦のようになっています。
 中学校の英語の教科書を見てみると、確かに2020年度以降、ボリュームが増えています。これは大変結構なことです。しかし、授業ではしゃべったり考えたりすることに時間を割かれてしまうので、結果として大量のインプットにはつながりません。
 ちなみに、中学校の英語の教科書で使われている文を分析してみると、ほとんどが会話文です。それも「外国からやってきた学生とのやりとり」を通して異文化交流するというような内容です。あまり思考が深まらないのは当然ですし、異文化については学べるのかもしれませんが、大量の英語の文を読んだり聞いたりすることにはなりません。
 中学の3年間で使用される英語の教科書に収録されている(重なり)語の総数は、7,000語程度です。指導要領の改訂前は5,600語程度でした。これは、海外で使用されるサイドリーダー(副読本)の一番簡単なレベルの1冊分程度。英語ができる人なら、全部読むのに30分もかからない程度の量です。それに3年間の時間を費やすことになります。
 一方の「パルキッズ」です。「パルキッズジュニア」の収録語数は10,000語程度です。これを2年間でやっつけることになります。学習の密度を単純比較すると学校英語の2倍程度のインプットがなされることになります。
 「パルキッズジュニア」には、英検準2級程度の内容が含まれています。単純に語数密度の比較では中学英語の倍程度でしたが、レッスンでは、同じ内容が5日間にわたり数回ずつくり返される反復学習をしているので、総インプット数は50,000語程度、中学英語とは比較できませんが、かなりのボリュームで英語の「インプット」が行われることになります。「だ・か・ら」結果として、英語が身についていくのです。

 さて、今回は学校英語の理想と現実、そして、なぜ学校英語がうまくいかないのか、あるいはあるべき目標とは何であるのかを検証してきました。英語は誰にでも身につけることができます。しかし同時に、英語を身につけられない人が大半を占めます。その理由は至って簡単です。「身につく方法」で英語を学んでいないからです。もっとも、学校英語は「コミュニケーション」にゴールを置き、「地に足のついた英語力」を目標としてはいないようなので、それで良いのでしょう。
 英会話ではなくそれ以上の英語力、専門的な文献を英語のまま読み解くほどの英語力を身につけたければ、英会話の練習ではなく、それに見合った学習法、つまり大量の「インプット」によって身につく「英語を英語のまま理解できる能力」をベースとして、そこからさらに、語彙を豊かにし理解力を高めていく英語学習法が求められているのです。


【注目書籍】『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)

特集イメージ9 児童英語研究所・所長、船津洋が書き下ろした『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)でご紹介しているパルキッズプログラムは、誕生してから30年、10万組の親子が実践し成果を出してきた「超効率」勉強法です。書籍でご紹介しているメソッドと教材で、私たちと一緒にお子様をバイリンガルに育てましょう。


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プロフィール

船津 洋(Funatsu Hiroshi)

1965年生まれ。東京都出身。株式会社児童英語研究所・代表取締役。上智大学外国語学部英語学科卒業。実用英語技能検定1級取得。30年以上に渡る幼児教室・英語教室での教務を通じて幼児の発達研究に携わるかたわら、「パルキッズ」などの英語教材を始めとした幼児向け教材を多数開発。また、全国の幼児・児童を持つ親に対して9万件以上のバイリンガル教育指導を行う。講演にも定評があり、全国各地で英語教育メソッドを広めている。著書に20万部のベストセラーを記録した『たった80単語「読むだけで」英語脳になる本』(三笠書房)をはじめ『どんな子でもバイリンガルに育つ魔法のメソッド』(総合法令出版)『ローマ字で読むな!』(フォレスト出版)『英語の絶対音感トレーニング』(フォレスト出版)など多数ある。

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