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2025年7月号特集

Vol.328 | いまこそ『抜 “圧”』

親の期待を手放すと、子どもは伸びる

written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)


※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。

引用・転載元:
https://www.palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-2507/
船津洋『いまこそ「抜 “圧”」』(株式会社 児童英語研究所、2025年)


圧をかけていませんか?

圧をかけていませんか? 子どもの将来を考える親ほど、いろいろな習い事をさせるようになります。「パルキッズ通信2021年3月号」でも書いたように、習い事をさせるのは今や当たり前のことです。しかし、いつの間にか増えてしまって、あるいはあっちにフラフラこっちにフラフラと定まらずに、結果としてお金と時間の無駄遣いをすることも日常です。まぁ、これもひとつの経験と考えるのも良いのですが、それで失われるお金はともかくも、何より時間がもったいない。
 また、無駄なコストだけで済めば良いのですが、それどころか変に親子関係に傷を残すこともあります。もっとも一般的なのは「親が教える」ことで「親子関係がこじれる」ことでしょう。勉強で分からない箇所があったとして、それを親に聞いてくる時、子どもに他意はありません。単純に、身近な大人のうちの一人である親に聞いてみただけです。ところが、親の方は「こんなこともわからないのか」と、なぜか気合いが入ってしまいます。そして熱心に講釈を垂れる。しかし、ですよ、親は教育のプロでも何でもありませんので、そもそも正しく教えられないのです。

 昔から武家の家庭では、父親が手ずからに子どもに学問を教えることはしなかったようです。もちろん、母親が文字書きや算術の練習を見守ることはあったでしょう。しかし、教えることは一般に行われなかったようです。理由は簡単。「親は教育の専門家ではない」という単純な自覚があるからです。学問は藩校などの専門の先生に任せていたようです。もちろん、親にも学問の素養はあります。しかし「知っていることと教えることは別だ」と知っていたのでしょう。昔の親の方が賢かったのかも。
 ちなみに、私は言語学者であり、教育のプロです。しかし、我が子に教えることからは身を遠ざけています。親子関係とは、教師と生徒の役割がうまく働かない関係なのです。もちろん例外もありますが、一般的にはうまくいかない。従って我が家では、子どもたちの問いに答えたり、学習の方法を示唆したり、関心のきっかけを与えることはしますが、直接学問を教えることはしません。

 そもそも学問とは教えられるものではなく、自ら学ぶものです。アインシュタインも “Education is what remains when you have forgotten everything you have learned in school” と言っているように、学校で教えられた知識は、時が過ぎれば忘れてしまいますが、自ら学んだ知識は消えることはありません。また、ソクラテスも「教育とは教えることではなく、内なる真理を引き出す助産術である」と言っています。教師とは、学ぶ者たちが彼ら自身の中から真理を引き出す作業であり、それを手伝うのが教師だということです。
 これらは哲学的思考の産物ですが、心理学的な裏付けもあります。表面的な語句の記憶は、長期記憶にはなりにくく、ほとんどのことは時間と共に忘れ去られてしまいます。この点に関して、エビングハウスの忘却曲線を持ち出す人たちもいますが、笑止千万。無意味語の記憶実験を根拠に「忘れるので早めに復習しよう」というのは、表面的な記憶に関する脳の反応を根拠にした話であって、まったくもって教育の本質ではありません。反対に、しっかりと理解された内容、つまり意味づけがされたエピソード記憶は、自分の体験として脳裏に刻み込まれます。また、自ら学ぼう、理解したいという内発的動機づけがある場合、受動的な記憶とは異なり、動機づけが強く、深い記憶となります。こちらの学びから得たものには、忘却曲線など関係ないのです。

 こう考えると、日本の教育はどうなってしまっているのでしょうか。

 受動的な学習ばかりで、能動的な学習は稀ではないでしょうか。能動的に自由に学ぶ子は「変わり者」として評価されず、受動的な学習をせっせとこなす子が良い点を取れる。しかし、そんな勤勉な彼らは、社会に出る頃には、学校で教えられたことなどすっかり忘れてしまっている。確かに、筆者自身も自ら望んで学んだこと以外、あるいは興味を持って取り組んだこと以外は、忘却の彼方ですね。
 話を戻せば、このような前者ばかり、つまり受動的・義務的な学習ばかりで、後者の能動的・内発的な学習が稀な教育環境の中で、子どもたちは、教わること、覚えることばかりに専心させられます。そして、同じような教育環境で育った親からも「なぜこんな事ができないのか」「もっと勉強しなさい」と “圧” を受けることになります。親も、このシステム、つまり受動的・義務的な教育が学びだとすっかり思い込んでいるので、世話がない。他の子に遅れまいと、せっせと我が子に “圧” をかけ続けることになります。
 この “圧” は言葉を変えても中身は変わりません。つまり「がんばってね」「できるでしょう」「あなたならできる」といった、一見優しそうな言葉がけも “圧” です。あるいは沈黙・視線といった非言語的な期待、言い換えれば「無意識の要求」が、子どもにとっての “圧” となり、子どもたちの身も心も強張らせているのです。
 今回は親が無意識に与える “圧” とそのネガティブな効果、さらにはどうすれば「抜 “圧” 」できるのかを考えていくことにします。


圧が子どもに与える影響 : 非認知力のゆがみ

圧が子どもに与える影響 : 非認知力のゆがみ 子どもたちの日常とは「外 “圧” 」、つまり誰かから言われて、やらされることをこなす日々の繰り返しです。これではやる気は育ちません。やる気というのは内発的な動機に駆られて始めて生じます。すでに述べたように、内発的な動機は深い学びへと繋がります。自らが関心を持って「できるようになりたい」「理解したい」「知りたい」と感じることが内発的な動機なのですが、外圧の中では「やりたい」と思ったことすら「やらされている」つまり外発的とメタ認知され、学習対象そのものに関心を持てなくなってしまいます。
 ピアノを例に取りましょう。一見、同じように弾ける子でも、それが外発的にやらされているのか、内発的に自ら進んで取り組んでいるのかでは、モチベーションのあり方が異なります。やらされていると感じている子は、受験などでレッスンの環境がなくなれば練習しなくなります。他方、内発的なモチベーションを持っている子は、受験勉強の合間の気分転換に、あるいは夢中で鍵盤の前に座ります。これは、バレエでもスキーでも何でも同じことです。

 なぜ外、圧からではやる気が育たないのかというと、これは自己効力感の形成と関係しています。「言われた通りにやっただけ」の成功体験は、「自分の力でやれた」という「自己効力感」につながりにくいのです。それはそうでしょう。やっているうちにできただけであって、それは自ら積極的にやっている、壁を乗り越えているのではなく、言われたことをやっているだけの「お客様状態」なのですから、自分の意志とは結びつきにくいのです。
 自己効力感は「自分で考え、選び、やり遂げた」経験によってこそ高まります。すでに述べたように、同じ「やる」でも、内発的な動機に突き動かされている場合には、学習効果が高くエピソード記憶として残り続け、他方の外発的な学習はエビングハウスの「無意味語の記憶」のごとく、スルスルと記憶から抜け落ちていってしまうのです。

 また、外圧からの学習は、イライラ感へも繋がります。メタ認知が育ち始める初期段階では、正確に自己認識ができず、「なぜ自分ができないのか」にイライラすることもあります。しかし、それ以外にも外圧から、できないとイライラする体質に育つこともあります。  「間違えたらバカだと思われる」「期待を裏切った」などと感じてしまうのです。これは、他者の期待や評価を “内面化” しすぎている状態です。そして、イライラは「期待通りでなかった自分」に向かいます。
 このイライラは、さらに自己効力感の低下へと繋がります。親からの優しい言葉がけ、あるいは励まし、あるいは無責任な「やればできる」「あなたはできる子だ」的な発言は、子に対する「愛情」から湧出している場合プラスに働きます。これは結構なことです。子どもたちは自分の能力への「自己効力感」があると「間違えたけど、やり直せば大丈夫」と前向きに捉えられます。しかし、それが過度な期待、あるいは拡張的自己愛、つまり「我が子は他の子より勉強ができるはずだ」という無言のメッセージを載せている場合は別です。逆に、間違いを「自分が無能である証拠」と捉えてしまうと、無力感や自尊心の傷つきとなり、怒りが湧くのです。
 そして、さらにこれは完璧主義へとも繋がります。親の期待が高すぎると「ミスをしてはいけない」「一度で正解できるべき」という高い基準を持つようになります。つまり、自分の間違いに厳しくなります。これは「間違えることもあるが、私はできる」という自己効力感ではなく、「間違えた自分=ダメな自分」という自己否定からくるのです。

 非認知力はその一部、例えば、GRIT(やり抜く力) だけとか、自己肯定感だけ飛び抜けている、という具合には育ちません。「自己効力感」があるからこそ「自己肯定感」が高まります。そして、自己肯定感が高まれば、意欲・自信・粘り・共感・自己効力感もプラスの方向に伸びていきます。しかしこれらがマイナス方向に伸びてしまうと、失敗を恐れ、自己評価を親に委ねるようになり、「がんばっても無駄」と感じる無力感につながるのです。

 恐るべし親からの “圧” ですね。


圧はなぜ生まれるのか

圧はなぜ生まれるのか それでは、なぜ親は知らず知らずのうちに我が子に “圧” をかけてしまうのでしょうか。
 自覚と意志を持って、自ら「よし圧をかけるぞ」などという親は存在しないでしょう。多くは、知らず知らずのうちに、気づけば圧をかけてしまっているのではないでしょうか。

 無意識の源泉として、ひとつには発達についての理解の欠如が挙げられます。また、拡張的自己愛も圧になります。さらには、社会的圧力など様々な心理バイアスも圧になります。順に見ていきましょう。

 まずは、発達理解の欠如のケース。認知の発達には個人差があります。つまり凸凹で、どの子も同じように平均して様々な認知力が成長していくわけではありません。文章理解力が高くても計算力の発達がゆっくりな子もいれば、記憶力は良いのに直感的な理解が苦手な子もいます。繰り返しますが、凸凹で発達していきます。
 しかし、子どもの発達段階への理解不足が、親の中にあるさまざまな経験「自分ができた成功体験」「できなかったことへの悔しさ」「他の子との比較からくる焦燥感」などと結びついたときに、無意識のうちに子どもに圧をかけてしまうことがあります。
 たとえば、かつて自分が勉強で苦労しなかった親は「九九なんてすぐに覚えられたのに、どうしてあなたはまだできないの?」と言ってしまうかもしれない。このとき、親は「励まし」や「当たり前」のつもりで発言しているのかもしれませんが、子どもにとっては、自分の努力や特性を認めてもらえないという否定のメッセージとして受け取られることもあります。親の「できた経験」は、かえって子どもの自己効力感を損ない「どうせ自分はダメなんだ」と思わせる圧となり得るのです。
 また、かつて勉強に失敗した経験をもつ親が、「私はあのとき努力しなかったから今でも後悔している。あなたには同じ道を歩んでほしくない」と子どもに話すこともあるでしょう。これもまた一見、愛情深い言葉に見えるが、子どもにとっては「今がんばらないと人生が終わる」という、脅迫のような未来予測になりえます。親の未解決の痛みが、無自覚のうちに子どもへの過度な期待として現れる構図です。
 拡張的自己愛の例では、かつて自分が叶えられなかった夢、ピアニスト、スポーツ選手、難関大学への進学などを、子どもには叶えてほしいと願う親も少なくありません。このような励まし・促しは、「自分の人生の再現」を子どもに託しているに過ぎないのです。つまり、親のアイデンティティの一部が、子どもに延長されているだけ。
 結果として、子どもは「自分の人生を生きている」という感覚を持ちにくくなり、何をするにも「親の期待に応えるため」「親が満足するため」に行動するようになります。内発的な動機や本当の興味を持つ余地などないでしょう。そして、親の望む通りにできなければ、「親をがっかりさせてしまった」「存在価値がなくなる」といった重圧を感じ、自己否定や恐れ、怒りを内に溜め込む危険性すらあります。

 これらすべてに共通するのは、子どもの発達段階を理解せずに「今の姿」だけを見て判断してしまうことです。本来、子どもはそれぞれ異なるタイミングで成長します。まさに、凸凹。集中力や語彙力、記憶力の発達には個人差があります。その花が「まだ咲いていない」段階で「咲いていないこと」を責めてしまえば、それは「圧」です。まるで、蕾に向かって「まだ花ではないぞ」と感じてしまっている。これから花は咲くのですが、焦ってしまう。なんとも愚かなことです。


社会がかける圧 : 同調圧力と親の迷い

社会がかける圧 : 同調圧力と親の迷い 子育てにおいて、今ほど周囲が気になる時代はなかったのではないでしょうか。何歳で何ができたか、習い事はいくつあるか、どんな塾に通わせているか。こうした情報は、SNSや親同士の会話、塾の進学実績といった形で可視化され、子どもの出来具合を通して、親同士が無言のうちに、自らを周囲と比較してしまう空気を生んでいます。
 「〇〇ちゃんはすでに英検を受けているらしい」と聞いたとき、本来は我が子のペースを尊重すべき親も、「うちだけ遅れているのでは」「今から始めないと将来困るのではないか」という不安に駆られます。これは同調圧力であり、さらに「周囲がやっていることは正しい」「世の中全体が進んでいる方向に乗らなければ取り残される」と考えるのは、同調性バイアスや正常性バイアスにあたります。他者と足並みを揃えることが当然であって、それが子どものためだと信じ込むことが、親自身の判断を曇らせます。子ども自身を見るのではなく、周りの子との比較を通して我が子を見るようになってしまうのです。
 その結果として起こるのが、本来必要のない早期教育や、本人に合わない学習の強制でしょう。理解の土台が整っていないまま微積分の先取りをする。小学生のうちに英検1級をめざす。子どもが嫌がっても、なだめすかしながら「みんなやっているんだから」「将来のためだから」と言い聞かせるのです。
 そうして、子どもは本来持っていた好奇心や主体性を徐々に失い、やることの意味を感じられないまま繰り返しますが、「親が望むから」「やらされているから」勉強するという他律的な動機づけに支配されるようになります。「なぜ勉強しているのか?」という問いに内発的な動機を挙げられず、他者の評価や期待を挙げるようになるのです。
 このように、親が社会から受ける圧力は、「我が子の現在地」ではなく「他人の進度」ばかりを見る育児を生み、知らず知らずのうちに「圧」として子どもに降りかかります。必要なのは、外の世界と切り離された「この子の歩幅」で物事を見直す姿勢であり、「みんなやっている」からではなく、「この子の未来にとって何が必要か?」を問う姿勢なのです。


ピグマリオン効果・ゴーレム効果

ピグマリオン効果・ゴーレム効果 親が子どもに寄せる期待は、目には見えず、意識もしないうちに、子どもの内面を形づくってしまいます。親が「この子はきっとできる」と信じて接することで、子どもはそのまなざしを鏡にして、「自分はやればできる人間だ」と思えるようになります。ピグマリオン効果(Pygmalion Effect)は、一言で説明すると「他者の期待が自己の行動や成長に現実的な変化をもたらす現象」です。
 反対に、「この子には無理だろう」「やってもどうせ失敗する」といった、明言はされなくても漂う低い期待や不信感が、子どもに「自分はそういう存在なのだ」と思い込ませてしまうのがゴーレム効果(Golem Effect)です。ネガティブな予測が、実際に子どもの能力発揮を妨げてしまうのです。
 子どもは他者のまなざし、特に親からの視線を通して自己像を構築します。彼らは無意識のうちに、親が「自分をどう見ているか」によって、「自分とはこういう人間だ」というセルフイメージを形成していくのです。繰り返しますが、親の態度は言語の形を取る場合もありますが、多くのケースでは無言の眼差しや態度です。子どもたちは、親の態度に敏感なのです。そして親あるいは教師たちから受け取ったイメージが、子どもたちの実際の行動選択や努力の有無、挑戦への姿勢に直結していくのですから、恐ろしい。
 親が「あなたは丁寧だから、こういう作業が向いてるね」と繰り返すことで、子どもはその特性を信じ、意識的にそれを伸ばそうとするようになります。逆に「また忘れたの?ほんとに注意力がないね」といった言葉が日常的にかけられれば、子どもは「自分は忘れっぽい、不注意な人間なのだ」と自己を定義してしまい、それが継続すると、改善する意欲さえ失ってしまいます。

 ピグマリオン効果もゴーレム効果も、どちらも親の期待が子どもが自己を定義する根拠となっています。ここで大切なのは、親の考え方、子どもに対する評価の伝え方です。「君ならできる」「きっとできるよ」という信頼は、圧ではなく「可能性の伝達」でなくてはいけません、「まだできなくてもいい」という言外の余白が、子どもの成長に圧を与えることなく、彼らをして伸び伸びと、しかも積極的に学習に取り組む姿勢を育むのです。


抜“圧”の技法①:焦らず、求めず、入力を信じる

抜“圧”の技法①:焦らず、求めず、入力を信じる 子育てにおいて、成果をすぐに求めたくなる気持ちは誰しも持っています。子どもが「できるようになった」「わかった」という結果、あるいは英語教育であれば「暗唱してくれた」「英語で話した」「英検に合格した」などの結果から、親は安心や達成感を得ます。しかし、特に非認知能力、たとえば、粘り強さや自制心、自己効力感といった力は、短期間で成果が見えるものではありません。むしろ、見えないところで静かに育っている「蕾」のようなものです。
 非認知力は、スキーやスケートのようなものに例えることができます。初めは滑れず、転び続けても、あるとき突然バランスが取れて、スッと滑れるようになる瞬間が訪れます。それまでは、何度転んでも、本人なりに「身体感覚」をため込んでいる時間なのです。これと同じように、子どもは目に見えないところで、いわば「こころの筋肉」を育てています。
 親の役割は、そのプロセスに焦らず付き合うことです。急いで結果を求めると、「どうしてできないの?」「そろそろわかってもいい頃じゃない?」という圧につながります。子どもは「まだ準備ができていない」のに、花を咲かせることを急かされます。
 大切なのは、「インプット」を信じる姿勢です。毎日の声かけ、学習、体験、遊び、読書、こうした行為は、目には見えないけれど、すべて子どもの心の中に蓄えられています。それはまるで子どもにとっての将来の保険のようなもので、今すぐできなくても、将来の「備え」として積み立てられていくのです。
 今はまだ開かない蕾に、「なぜ花じゃないの」と言っても仕方がありません。むしろ、花の季節を待ちながら、水と陽を注ぎ続けること。それが、抜 “圧” の第一歩となります。


抜“圧”の技法②:言葉の圧を取り除く

抜“圧”の技法②:言葉の圧を取り除く 言葉は強い。親が子どもに向ける言葉には、大きな力があります。励ましにもなりますし、ときには知らず知らずのうちに “圧” として子どもにのしかかることもあります。特に、日常の中で私たちが使いがちな短く切れた言葉、「早く!」「ダメ」「まだ?」などは、圧の強い表現になりがちです。
 言語学的には、これらは「エコノマイズ(省略化)」による影響とも言えます。忙しさや習慣によって、言葉は短く簡潔になり、感情や説明が省かれていきます。しかし、情報が削ぎ落とされた分、子どもはその背後にある感情や意図を過剰に読み取ろうとしてしまいます。たとえば、「早く」と言われれば、「今の自分は遅れていて、親を困らせているのだ」と感じてしまうかもしれません。
 また、「なんでできないの?」「だからダメなんだよ」といった否定の言葉も、子どもの自己肯定感をじわじわと削っていきます。責めたり、脅したりする言葉、「これができないようだと、もうダメだよ」などの脅迫は、一時的に行動を引き出すことがあっても、内面的なやる気を育てることにはつながりません。怖いからやるだけ、つまりオペラント条件付けに過ぎないのです。
 キーワードは「共感」です。圧を抜くにはほんの少し言葉を変えればよいのです。「どうしたらできそう?」「今日はどこまでやろうか?」といった共感的な問いかけは、子どもに「自分で考えていい」という余白を与えます。また「できていない」点よりも「ここまではできたね」と肯定的に注目することで、安心と自信を支えることができます。
 親の言葉は、子どもにとって日々の栄養であり、水でもあります。叱咤ではなく、理解と対話を含んだ言葉を選ぶことで、子どもの心はより強くしなやかに育っていくのです。


抜“圧”の技法③:適度な距離と「信じて待つ」関係

抜“圧”の技法③:適度な距離と「信じて待つ」関係 最近、友達のような親子が増えているようですが、筆者には理解しがたい。成人して独立すれば一人前ですので、友人として接するのも悪くはありません。しかし、幼児・児童である、まだ親の庇護下にある存在と友達のように振る舞うのは、いかがなものでしょう。ここには、親の威厳はありません。
 子どもと親との距離感は、非常に繊細な問題です。近すぎると子どもは息苦しくなり、遠すぎると不安になります。子育てにおいて最も難しいのは、過干渉でも放任でもない、「ちょうどいい距離感」を見つけることです。親は愛を持って距離を離しすぎず、威厳を持って距離を近づけすぎないのが良いと考えます。
 多くの親は、子どもの力になりたいと思っているはずです。だからこそ、先回りしてアドバイスをしたり、困る前に手を差し伸べたりしがちです。しかし、子どもは「失敗から学ぶ」存在です。極論すれば「人は失敗からしか学べない」。たとえ少し遠回りになっても、自分で選び、自分で決める経験を通じて、主体性や判断力、自律性が育っていきます。自分の判断でやってみて失敗することが極めて重要です。
 そして、親には、そんな子の成長を「信じて待つ」姿勢が求められます。これは口で言うほど簡単ではありません。子どもが道を間違えそうに見えるとき、挑戦を怖がって後ろに下がるとき、親は不安でいっぱいになります。しかし、そこで「こうしたほうがいい」「やらなきゃダメ」と手を出しすぎてしまうと、子どもの中に芽生えた自律の芽を摘んでしまうのです。

 子どもとの適度な距離とは、子どもが頼ってきたときにしっかりと受け止める準備をしながら、普段は余白を保って見守るという態度です。そして、子どもにとって尊敬できる「権威」として存在することも重要です。声を荒らげる必要はなく、毅然とした落ち着いた態度で関わることで、子どもは安心して「そのままの自分」でいられるのです。
 待つことは、最も深い愛情表現のひとつです。信じて、待って、見守る。この静かな育児の姿勢が、抜 “圧” の最終的なかたちなのかもしれません。

 さて、今回は、親が知らず知らずのうちに子どもにかけてしまっている “圧” について、さらにその “圧” が子どもの非認知力をどう歪めるのか、 その “圧” はどこから生まれるのか、そして、最後にいかにして “圧” を抜いていくのかについて考えてまいりました。筆者自身、自戒の念を込めた部分もあります。読者の皆さまには、親子関係をより健やかな方向へ、さらにはお子さまの非認知力をより高める方向へと進む何らかのお役に立てていただければ幸いです。


【編集後記】

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プロフィール

船津 洋(Funatsu Hiroshi)

株式会社児童英語研究所 代表、言語学者。上智大学言語科学研究科言語学専攻修士。幼児英語教材「パルキッズ」をはじめ多数の教材制作・開発を行う。これまでの教務指導件数は6万件を越える。卒業生は難関校に多数合格、中学生で英検1級に合格するなど高い成果を上げている。大人向け英語学習本としてベストセラーとなった『たった80単語!読むだけで英語脳になる本』(三笠書房)など著書多数。

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