2025年8月号特集
Vol.329 | 純ジャパの奇跡
万能のメタ言語力を活用しよう
written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)
※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。
引用・転載元:
https://www.palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-2509/
船津洋『パルキッズで入力 “は” しました。で、その後は?』(株式会社 児童英語研究所、2025年)
変化する日本の英語教育事情
ひと昔前までは、英語学習といえば英会話。コロナ禍からは実際の対面式ではなく、オンライン形式が取られるようになり、先生もインナー・サークル(ネイティブ英語圏)からアウター・サークル(非ネイティブ英語圏)内の教師に取って代わりました。また、英会話以外では、フォニックスなどの音声に焦点を当てた学習もありましたが、やはり主流は文法・訳読方式とそれに対話形式を少し取り入れたようなものでした。
ところが、コロナ禍が明けて、生成AIが登場してから、わずか数年で様変わり。従来の画一的な指導方法から、個別化・実用化を重視した教育への移行が加速しています。教育現場や学習者のニーズに応じた、多様なアプローチが模索されています。少し見てみましょう。
まず、AI英語。AI技術の発展により、学習者一人ひとりの進度や理解度に応じた個別最適化学習が身近なものとなってきました。ChatGPTなどの会話型AIを英語学習に取り入れる学習者は増加の一途を辿り、リアルタイムでの語彙・文法のフィードバックや会話練習が実現しています。また、Duolingoなどのアプリでは、AIが学習履歴を分析し、弱点を自動的に補強する機能が搭載されているので驚きです。これらAIの活用は便利で良いことだらけだと思います。「パルキッズ」でも取り入れています。
次に、チョビっと英語。英語の学習者は、多忙な生活の中で学習時間を捻出する必要があるため、短時間で効率的に学べる手法として、チョビっとできる、マイクロラーニングやナノラーニングなどが好まれ始めているようです。5~10分ほどのセッションや、単一概念に焦点を当てた極短学習が中心となり、手軽に取り組めるのがよいようです。まぁ、英語ができるようになるかどうかは別として、「やってる感」「学んでる感」はありそうです。
また、ゲーミフィケーション。こちらは学習意欲の向上を目的として、ゲーム要素を取り入れているそうです。バッジやランキング制などで、学習者の継続的な取り組みが促されます。ARを活用した「イマーシブラーニング(没入型学習)」では、仮想空間内で英語を使用する環境を構築することで、疑似的な英会話が実現しているようです。このあたりは、いずれにしても、オペラント条件づけ臭がプンプン。
最後に、文部科学省は英語のデジタル教科書を本格的に導入しています。デジタル教材は、音声・映像・インタラクティブコンテンツなどの機能を備えていて、紙などの物理教材での文法・訳読では叶わない感覚的な取り組みができます。また、冒頭で触れたような即時性や個別対応も実現可能となり、先生の主観的な判断だけではなく、客観的な判断の助けになります。これも、便利ですね。
このように、AIやデジタル技術を導入することで、個別の英語力の客観的な判断と、それに基づくレッスンの構築ができるようになってきているのは、英語学習者にとって福音です。ただ、未だにチョビっとやりたいとか、オペラント条件づけで続けさせるような仕組みでないと継続できない人がいるのは、結構なことながら残念なことでもありますね。
さて、様変わりしつつある英語教育事情ですが、これで劇的に日本人の英語能力が向上するのかといえば、結局、英語は身につかずじまいでしょうねぇ。
ところが、実は、昔から留学もせずに英語を身につけている “純ジャパ” と呼ばれる日本人たちがいます。今回はそんな時代の変化に振り回されることなく、淡々と英語を身につける人たち “純ジャパ” が知らず知らずのうちに実践している英語習得法を見ていくことにします。純ジャパは「メタ言語」をフル活用して英語を身につけています。メタ言語とは日本人にとっての、英語や古文・漢文などの対象言葉の体系を理解し身につけるために必要な、高次言語のことです。わかりやすく言えば、メタ言語とは、優れた国語力のこと。優れた国語力があれば、日本語と対比させて英語を身につけたり、古文や漢文のパターンを、これまた現代日本語に写像して身につけることができます。ちなみに写像とは、とある体系中のとある対象を別の体系中の対応する項目に結びつけることです。
さて、これらの作業、つまり国語というメタ言語を使って、英語という対象言語を国語に写像するには、2つの視点が必要です。ひとつ目は「対象としての英語」で、上で述べた革新的な技術やトレンドは全て2つの視点のうちのここに分類されます。もうひとつは「日本語に写像する英語」という視点です。後者に関しては、筆者の研究対象であり、さらには音声学・音韻論の世界では当然のように語られることですが、英語教育の世界では無視され続けていることなので、この機会に皆様に知っていただこうと思います。
純ジャパの奇跡
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」とは、古代中国の兵法書『孫子(孫子兵法)』に由来する句です。英語学習に例えれば、英語の構造や思考法(敵)を理解し、日本語という自分の言語感覚(己)を正確に把握すれば、英語学習において迷うことはない、とでもなりましょう。より端的には、英語の論理を知ることはもちろん、日本語の癖を自覚すれば、英語習得は確実に進むとでも言いましょうか。
一見すると当たり前のように感じますが、実はこれ、英語好きが高じて高校生で英検1級を取るような人たちや、英語の論文を読んだり、英語で意見交換したり、発表したりすることを要求され英語を身につける研究者などの純ジャパしかやっていないのです。純ジャパ以外で英語を身につける人たちには、留学生や帰国子女などがいます。彼らは敵と戦ってばかりで、自分の手持ちの能力(日本語)が、いかに敵と戦うにおいて足を引っ張っているのかということに思いを馳せることは稀です。手かせ足かせをしながら、素手で英語と戦っているようなものですね。
多くの英語未習得者、チョビっと英語やオペラント条件づけ英語学習の実践者たちに至っては、英語と本格的に格闘することはもちろん、英語と格闘するための足かせである「自らが持っている日本語の知識」に思いを馳せることすらしないでしょうから、英語を身につけられることはないだろう、というあたりが予測であり、残念ながら裏切られることのない現実でしょう。
しかし、純ジャパは違う。念の為調べてみたら、ナント!ありました。
じゅん‐ジャパ【純ジャパ】
《「純粋ジャパニーズ」の意》俗に、海外旅行や海外留学の経験のない日本人のこと。海外旅行をしたことはあるが、外国語が身につくほどの海外での生活経験がない場合にもいう。本ジャパ。(デジタル大辞泉)
ところで、純ジャパとは辞書の定義通りに使われるのではなく、「英語ができる」意味で使用されること、例えば「彼女は純ジャパなのに、ネイティブ並みに発音が良い」などが一般的なようですし、現に私もその文脈で初めてこの語に接しました。ちなみに、老骨に鞭打って大学へ戻り、その中でも最も知覚力が高いと言われる英語科のA&Bクラスの合同授業で「成績優秀者は帰国子女や留学生じゃなくて純ジャパが多いな」という先生の発言が筆者にとっての「純ジャパ」という語(並びにその存在)との出会いでした。
さて、その純ジャパですが、いや、ホント、英語に堪能なんですね。帰国子女や留学生よりも語彙も豊かです。もちろん、英語の読解やリスニングに対しても「甘えは許さない」という厳密な姿勢を持っているので、留学生にありがちな「まぁまぁ、わからないところは適当に」などという不届きな考えは持っていません。「ちゃんとやる」のが彼らの信条なんでしょうね。その点、留学帰りの筆者には書いていて心が痛むばかりです。
しかし、気を取り直して、さらに分析を続けましょう。
敵とは
さて、敵という表現がふさわしいかどうかの議論は別として、想定の敵である英語に取り組む姿勢、これは純ジャパも留学生も研究者もだいたい同じです。対象言語である英語の分析をします。ちなみに、チョビっとやチーム・オペラントは、ここでは考慮しないことにします。あくまでも英語を身につけることができた人たちを対象に話を進めます。
言語の下位分野には文法があり、意味があり、音声・音韻があります。また、それらを交互に操作するためのインターフェイスとして、知覚と産出などの音声(文字情報)のループがあります。そのあたりを簡単に確認しておくことにします。
まず、言語には特有の音素があります。音素とは意味を変えてしまう最小限の単位のことです。英語と日本語では、音素の目録が異なります。/b p d t g k/ などの破裂音や /s z ʃ ʒ h/ などの摩擦音、流音の /r/ や /m n/ などの鼻音は共通していますが、英語には日本語には存在しない / f v θ ð/ などの唇歯あるいは歯摩擦音、流音の /l/ があります。鼻音の /ŋ/ は、英語では音節末限定で現れる音素です。音素なので ‘Kim(人名), kin(親類), king(王)’ などに見られるように /m n/ とは意味が変わります。ちなみにこの音は日本語にもあります。日本語の「三角、金閣寺」などの /n/ は実は [ŋ] で実現します。さらに、東京方言の “鼻濁音” は正しく [ŋ] で、/gak.ko.o.ga/(「学校が」)の2番目の /g/ は[ŋ] として実現されるのが良い、とNHKなどは推奨しているようです。
ところで、気になりませんでしたか?さらっと書きましたが、流音の /r/ は日本語と英語は共通しています。つまり日本語で「らりるれろ」と言えば、それは英語の /r/ 音に写像されます。 /l/ ではないのですね。音声的には日本語のラ行は叩き音(舌が歯茎部に一瞬触れる音)と呼ばれる英語の [ɾ] の音です。英語では母音間の /t/ は [ɾ] となって実現されます。 ‘water, a lot of’ などは [wɔtər əlɑtəv] ではなく[wɔɾər əlɑɾəv] となります。つまり、英語の /t/ は(諸条件を無視すれば)母音に挟まれるときに日本語のラ行音になるのです。あら不思議。ほら、敵を知ることは大切でしょう。
音素から始めてついつい音節まで話を広げてしまいましたが、音節構造も日本語と英語は異なります。日本語は子音クラスター( /st tr pl… kt, lpなどなど)を許しませんが、英語は一定の条件のもとそれを許します。これは、のちになって英語の発音の際にボディーブローのように効いてきます。
音素、音節から順に単位を大きくすると形態素や語となります。これらの語や形態素が組み合わさって句を形成するときに「再音節化」という現象が起こります。再音節化とは、‘in an airplane’ /ɪn ən ɛrplein/ が [ɪ.nə.nɛr.plein] のように、語が単語の境界をまたいで音節化されてしまう現象です。これは日本人の英語の分節(聞き取り)に多大なる足かせをかけています。
韻律の面では、日本語がモーラタイミングで「タ・タ・タ・タ・タ」と話されるのに対して、英語はストレスタイミングで「タン・タン・タン・タン」と内容語(意味のある語)と機能語(文法機能の語)が強弱が交互にくるように割り当てられて話されます。このあたりは『パルキッズ通信2024年11月号』に詳しいので、そちらもご参照ください。
そろそろ嫌になってきましたか?あともうひとつだけ、文法について。英語は主語・動詞・目的語(SVO)の順で並びますが、日本語はそうではなく主語・目的語・動詞(SOV)の順に並びます。また主語を言わないことが多く、最後に動詞を言う日本語に対して、英語は義務的に言わなくてはいけない主語のあとに、すぐに動詞を言うわけですね。
代表的な点として、いくつか挙げましたが、敵である英語は日本語とは以上のように異なるのです。それを教わるのが学校文法です。結構なことではありませんか。
自らとは
さて、それでは日本人はあまり知ることのない日本語の音韻知識に移りましょう。母語は幼児期に、つまり無意識のうちに身につけてしまいます。これは、音声についても音韻についても、文法についても同様です。この無意識の知識は、意識してアクセスしない限り、その存在にすら気づくことはありません。例えば、日本語の大和言葉には「ん」がありません。撥音(「ん」)は撥音便(「読みたり」→「読んだり」、「忍びて」→「忍んで」)としては奈良時代からあったようですが、これはあくまでも他の音素(上の例では「み」の /m/ や 「び」の /b/)の異音(意味を変えない音の実現)であって、意味を変えてしまう音素ではありませんでした。
その後、漢語や外来語の流入によって無数の「ん」が日本語に登場することになります。それにより、例えば「ひと」に対して「ひっと・ひんと・ひーと」など促音・撥音・長音など特殊拍のひとつとして、めでたく音素と相成った次第です。
ちなみに、撥音から始めましたが、この特殊拍は、外国人が日本語を学ぶ際の大きな障壁となっています。/hi.to, hit.to, hii.to/ (ひと、ひっと、ひーと)などなどは音素ではなく、間にポーズを置く促音、あるいは母音を一拍伸ばす長音などの長さによって意味が変わってしまうのですから、慣れないと大変です。
また、「箸、橋、端」は、今度は長さではなくピッチによって意味が変わります。順に /’ha.shi, ha.’shi, ha.shi/ となります。ピリオドは音節境界を、アポストロフィはアクセントを表しています。/ha.’shi, ha.shi/(「橋、端」)を比べると分かりますが、前者は「し」の部分でピッチが上がります、そして厄介なことに後者も同様に「し」でピッチが上がります。これらの語を単独発話すると、違いがわかりませんが、アポストロフィをつけているように、前者は「し」にアクセント核があり、後者にはアクセントがないのです。違いは「を」などの助詞を付加することによって分かります。つまり、前者では「し」の後にピッチが下がるのに対して、後者では助詞の部分もピッチが上がったままになります。やれ面倒な話です。
ついでに、撥音(ん)に戻れば、これまた大いに厄介です。撥音は文中では後続する子音から調音点(口の中のどこで舌が上顎に当たるか)をもらいます。従って、「散布」では /p/ から両唇音をもらって口を閉じて /m/ となり、「サンタ」では /t/ から歯茎音をもらって /n/ となる、さらに「さんかく」では /k/ から軟口蓋音をもらって /ŋ/ となります。また、母音に挟まれると「ん」は鼻音化します。試しに「五千円お願いします」と「ご声援お願いします」を言い比べてみてください。どちらも同じ音になってしまうのです。面倒にもほどがありませんか。
英語の音声実現に関しては、日本語の音韻知識(上記のようなこと)と借入語音韻論の知識の両方が影響してきます。
例えば、日本語にない音声を耳にした時、通常、相当英語ができるようになっていない限り、英語の音声を日本語の音韻論に照らし合わせて処理(いわゆる「空耳」)しようとします。
ここで重要なポイント、読んでますか?もう嫌ですか?頑張ってください。
重要なポイントがひとつあります。日本語は上代以来、おそらく縄文時代や石器時代から音節言語でした。英語の行でも少し触れましたが、英語はアルファベットという文字で音素を表しますが、他方日本語はかなです。かなは母音単独、あるいは子音と母音の組み合わせでひとつの文字を成しています。上代、万葉仮名という漢字を使ってかなを表す文字が工夫されていましたが、そこでも音素ではなく、音節、つまりかな単位での表記がなされていました。今で言うひらがなやカタカナが発明される以前、当時は漢字一文字をかなに当てはめて読み下しをしていたのです。
しかし、ですよ。日本語の音素は子音と母音ですが、日本語の正書法が音節単位なので、通常は子音や母音の中でも、特に子音が音素であるという自覚は持っていません。つまり、「ただ」の違いがわからないのです。ちなみに「た」と「だ」では何が違いますか?濁点が付く「濁った音」等と言われますが、濁った音とは何ですか?それが、「/ta da/ の違いである」と定義されれば、「あーなるほど」となる人も少なくないでしょう。
つまり、音節言語である日本語の母語話者である我々日本人は、音節をひとつのモーラとして「タ・タ・タ・タ・タ」と話すことが日常過ぎて意識したこともなく、それら音節が音素というちょっと変われば意味を変えてしまう存在同士(子音と母音)の組み合わせで成立していることに気づかないのです。
これが意味するところは、極めて重要というか、興味深い現象を生じさせます。広く「ebzo実験」と呼ばれる、ひと昔前に行われた日本人の音声知覚に関する実験があります。この実験では /ebzo/ という刺激に対して、日本人が /ebzo/ という具合に /bz/ の間に母音を挟まずに知覚できているのか、それとも /ebuzo/ と母音を挟んで知覚しているのかを検証しています。結果、日本人の多くは /bz/ の間に、存在しない幻の /u/ を聞いて、あるいは想像してこの刺激を [ebuzo] と聞いていることが報告されています。ちなみに ‘ebzo’ と ‘bz’ の間に ‘u’ を挟まずに発音できる方がいらしたら、ぜひとも「英語子育て大百科」宛にご報告ください。特集を組みたいくらいです。
まぁ、へんな実験をする人たちがいるものです。筆者もそのうちの一人ですが、こんなことばかりしている研究者がところどころに存在するのです。もちろん、そのおかげもあって、日本人の母語の知識、つまり日本語の知識が、英語を含む外国語の知覚を、日本語の音韻知識に適合するように歪めていることが徐々に明らかになってきています。みなさんも日本語以外の言語を聞いたときには、まずは「日本語の音韻」に合わせようとしていることを、自覚してみてください。もっとも、そんなことを自覚できるのは、言語学者か変わり者でしょうけれども、分かると楽しいですよ♪
さてさて、これが我々が言うところの「未知語におけるL1音韻論のフィルター」です(“L1 : Language 1、第一言語”)。ただ、これだけでは終わらないので、面倒です。もう辞めてもいいですけど、もう少し頑張れる人は頑張ってください。
日本語であれば日本語として聞き取ります。英語であれば英語として聞き取ります。もちろん、それらの言語を習得済みという前提です。つまり、英語を習得していない多くの日本人は、英語を日本語の音韻フィルターで処理します。そこで、存在しない音が聞こえたりするのです。ちなみに、筆者の実験では、日本人はこの知識に足を引っ張られて、英語の鼻音、特に音節末の鼻音の弁別ができないと結論付けています。 ‘Kim, kin, king’ が「金、金、金」に聞こえてしまうのですね。
同様に、母音も母語のフィルターで処理されます。英語には10以上の母音がありますが、日本語には5つしかありません。すると英語では意味が変わってしまう音素も、日本人の耳には同じ音に聞こえてしまうのです。英語の ‘cat, cot, cut’ /kæt, kɑt, kʌt/ はそれぞれ別の音素です。しかし、日本人にとってはすべてが /kat/ と聞こえます。聞こえるというより、脳が勝手にそれら異なる英語の母音を /a/ に収斂させてしまうのです。
だから、日本人は英語が聞き取れない。英語では音素である異なる音を、日本語のカテゴリーで処理してしまうのです。
さらに、借入語音韻論という厄介なフィルターがあります。これに関しては、もうこれ以上触れませんが、例えば、‘computer’ は今では「コンピューター」ですが、一時期「コムピュータ」と書かれていました。綴に忠実に、借入語音韻論の規則に則り母音を挿入して「ム」というか、日本語の音韻論に照らし合わせて「ン」と解釈するか、悩ましいでしょう。そんなことはありませんか…。この辺にしておくことにしましょう。
メタ言語とは
さて、純ジャパはなぜ英語を身につけられるのか、という話の前段として、敵と己の話を長々してまいりましたが、最後に純ジャパたちが、どのようにメタ言語を使って英語を分析しているのかについて触れていくことにします。
メタ‐げんご【メタ言語】
《metalanguage》対象言語の構造や真偽を一段高い次元から論じる言語。高次言語。→対象言語(デジタル大辞泉)
ちなみに本稿はメタ言語で書かれていますので、ここまで読み進めて理解できている皆様は相当なメタ言語力の持ち主です。
さて、メタ言語についてわかりやすく説明しておきましょう。以下、日明貿易について『詳説日本史B』(山川出版社)の日明貿易に関する脚注からの抜粋。『日本からの輸出品は刀剣・やり鎧などの武器・武具類、奥義・屏風などの工芸品(中略)、輸入品は銅銭のほか生糸・高級織物・陶磁器・書籍・書画などで、これらは唐物と呼ばれ珍重された。』
この文に関して、日本は明から銅銭のほか何を輸入したと書いてありますか?
地の文が書いてあるので答えは明白です。しかし、これが地の文がなく、いきなり「日明貿易において日本は武具類、工芸品を輸出し、銅銭や_____を輸入した」とあった場合、穴埋めができるでしょうか。日本史の先生か現役の(しかも優秀な)受験生でなければ無理でしょう。
しかし、これは教科書にしっかりと書いてあるのです。なぜ教科書に書いてあるのに、つまり読んだはずなのに、まるで記憶に残っていないか、あるいは思い出せないのでしょう。簡単な話です。記憶が弱いのです。なぜ記憶が弱いのでしょう。それは文字を音声化(音韻符号化)したものの、イメージ(心内表象化)できていないからです。各種教科書には、あるいは征夷大将軍とか鎌倉幕府とか封建制度などなどの用語がボールド(太字)で強調されています。教科書には重要なことしか書いてないので、ボールドにしようと思えば、大概の固有名詞や歴史的用語がボールドで表され、教科書が真っ黒になってしまいます。
そんなことはできないので、特に重要な用語のみがボールド表記してあります。言い換えれば、残りの重要な用語は、地の文、あるいは脚注に小さく載っているだけです。しかし、大学受験するなら、これらもすべて理解している必要があります。「理解」と書きましたが、これは単なるラベル(用語や名前)の「記憶」ではなく、イメージを伴った理解でないといけません。
メタ言語とは対象の言語、この場合には歴史の文脈を高い次元から検証するための言語です。メタ言語の優れた使い手は、「唐物」という名前を読んで「なぜ明との貿易なのに唐の物なのか」と疑問を抱くことでしょう。唐は日本の歴史区分では奈良時代から平安初期にあたり、894年に菅原道真によって遣唐使が廃止された直後に滅んだ国です。日明貿易は室町時代の話ですから500年も離れています。しかしながら、当時は唐だけでなく宋・元・明からの(高級な)輸入品は総じて「唐物」と呼ばれていたわけです。このようにメタ言語で脚注を心内表象化できれば、これは鮮やかなイメージとなります。
音韻符号化、つまり文字を音にするだけでは記憶が弱いと書きました。小説など登場人物や背景が鮮やかに蘇るように描かれた読み物は、心内表象化が容易で、エピソード記憶(自分が体験したかのような記憶)として強く記憶に残ります。しかし、教科書などの説明文は、そもそも小説とは違い、心内表象化を促すような記述はしていません。逆にそんなことをされたら教科書ではなくなります。そして、メタ言語力、つまり対象となる記述を理解するまで分析する言語力が弱い人たちは、単に教科書を読んだり、ボールドの箇所や年号を覚えることに終始し、それが歴史の勉強だと信じるのです。
ある程度のメタ言語力があれば、つまり、記述に理解できない箇所があれば疑問に思いそれを調べるような「理解」に対する姿勢があれば、教科書を読めば分かるので、先生は不要です。しかし、多くの子どもたちはメタ言語力が弱く教科書を読んでも暗記するしかない。そこで、漫画やアニメ、あるいは物語風に歴史を学ぶやり方が、広く行われるのでしょう。この方法は、メタ言語力が弱くても、心内表象化されるので、強く記憶に残るのです。教科書を読むというのは、そんな仕組みなのです。
敵と己の両方をメタ言語で
さて、純ジャパとメタ言語の話です。純ジャパたちを見ていると、国語ができない人は見かけません。話も(それなりに)理路整然としていて、理解力や創造力も高く、空気を読む力も高い。これは認知力が高いことを意味しますが、認知力の原動力は国語力なので、結局彼らは高い国語力を持っているのでしょう。そして、その高いメタ言語力、つまり高い国語力をもってして英語を日本語に写像できるようになるのでしょう。
例えば、発音に関しては、辞書の冒頭に提示してあるような母音の四辺形と呼ばれる、英語の母音の分布図の仕組みは理解しているはずです。母音の分布図は、左が唇側で右が声帯側で表記されています。上方には狭母音と呼ばれる母音が、左の前方 /i/ から右の後方 /u/ まで示されています。狭母音とは発音の位置ではなく舌の位置です。図の下の方には広母音が並んでいます。これらは口を大きく開ける、つまり舌が下がる母音群です。一見すれば分かりますが、日本語の母音とは分布が異なります。日本語は5母音のシステムですが、英語は10以上の母音があります。この10以上の母音を5母音の体系で聞こうとするので、日本人は母音の聞き分けができません。しかし、母音の分布図を見て考えれば、日本語と異なるのは主に日本語の /a/ に相当する部分であることに気づくでしょう。
これには、提示されている情報、この場合は図示されている情報を読み解く能力、つまりメタ言語力が必要とされます。そして、日本語ではひとつの母音の範疇に、英語では異なる母音がいくつも入っていることに気づけば、聞き取り能力や発音も正確になるでしょう。
文法で言えば、SOVの日本語とSVOの英語の違いに着目して、英語の場合まずは「主語は何であるのか」を言わなくてはいけないこと、あるいは最初に主語が提示されていることがわかれば、分裂文や疑似分裂文、さらには関係代名詞を使用した主部、関係代名詞が省略されているケースや不定詞からなる主部などをさっと見抜くことができるでしょうし、逆に、適格な英文を作り出せるようになります。
文法項目も、日本語と比べることで理解しやすくなります。主語や目的語など、代名詞は現れる位置によって格が変化します。主語の位置では ‘I, you, he, she’ が、目的語の位置では ‘me, you, him, her’ となります。これはそれぞれ日本語の主格「が」と目的格・与格「を・に」に相当します。
学校の英文法では主語は「は・が」と習いますが、本当にそうでしょうか。それでは、 ‘I am a student’ と ‘I am the student’ はそれぞれどう訳しますか。おそらく、多くの人が前者を「私は学生です」後者を「私が学生です」と訳すのではないでしょうか。つまり「は・が」は同じではないのです。「は」は主題を表す助詞で、「が」のように格助詞ではありません。また、日本語には ‘a man’(「とある男」)のような数量表現はありますが、不定冠詞と定冠詞は存在しません。しかし、上の例を見ると、英語の不定冠詞と定冠詞の差が日本語では助詞となって現れるのです。
また、英語の現在形( ‘I walk to school’ )は日本語では「私は学校まで歩きます」と訳されますが、これは現在形ではありません。英語で言うところの未来形になります。「私は勉強します」「ご飯を食べます」なども同様です。日本語で現在の状態を表したい場合には、通常英語では進行形と呼ばれる表現( ‘I am eating’ 「私は食べています」)が用いられます。
以上のような日本語と英語の差異に気づけば、読み聞きした英語を正しく理解できるでしょうし、話す場合にも相手に伝わる正しい英語を産出できるようになります。このように、分析する、理解する、そのうえで記憶するメタ言語の操作が得意であれば、英語ばかりでなく、英語にとっては入り婿のようなフランス語や、あるいは舅に相当するラテン語すら学べるかもしれません。
今回は、少しややこしい話になりましたが、メタ言語の重要性はおわかりいただけたのではないでしょうか。外国語を学ぶにあたって、体当たりで英語の環境に浸るのもひとつのやり方ですが、メタ言語として国語力をフルに発揮すれば、英語の体系を理解することができます。そして、それに加えて、たくさん本を読む、あるいは英語のドラマを見るような取り組みを続ければ、英語の文法体系のみならず、音声の体系も身につけることができるでしょう。さらに、メタ言語は英語のみならず、他の教科の理解とも直結しています。算数の文章題、数学全般、社会科や理科が正しく理解できないようなケースでは、おそらく、メタ言語力が未熟であることが考えられます。これは、「パルキッズ」が国語学習に力を入れている所以でもあります。
国語力をアップして、英語だけでなく多言語も、さらにはすべての教科(音楽・美術・体育は別)をスラスラ理解できるようなメタ言語力を身につけていきましょう。
【編集後記】
今回の記事をご覧になった方におすすめの記事をご紹介いたします。ぜひ下記の記事も併せてご覧ください。
★メタ言語で見えてくる私たちの勘違い
★幼児期の読み聞かせと学齢期の初・中期の読書
★英語習得に有益か無益か?一刀両断します
★ここらで一休みしませんか
★「できない子」を「できる子」に変える方法
【注目書籍】『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)
児童英語研究所・所長、船津洋が書き下ろした『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)でご紹介しているパルキッズプログラムは、誕生してから30年、10万組の親子が実践し成果を出してきた「超効率」勉強法です。書籍でご紹介しているメソッドと教材で、私たちと一緒にお子様をバイリンガルに育てましょう。
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船津 洋(Funatsu Hiroshi)
株式会社児童英語研究所 代表、言語学者。上智大学言語科学研究科言語学専攻修士。幼児英語教材「パルキッズ」をはじめ多数の教材制作・開発を行う。これまでの教務指導件数は6万件を越える。卒業生は難関校に多数合格、中学生で英検1級に合格するなど高い成果を上げている。大人向け英語学習本としてベストセラーとなった『たった80単語!読むだけで英語脳になる本』(三笠書房)など著書多数。



