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2023年11月号特集

Vol.308 | 子育てが劇的に変わる

たったひとつの「やるべきこと」と、たったひとつの「やめるべきこと」

written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)


※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。

引用・転載元:
https://www.palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-2311/
船津洋『子育てが劇的に変わる』(株式会社 児童英語研究所、2023年)


子育ての悩み

子育ての悩み 育児の悩みは人それぞれ、かと思いきや、どうやら皆さん同じようなことでお悩みのようです。いろいろなサイトを覗いてみると、トイレトレーニングや食に関すること、あるいは夜泣きなど成長の過程でどんな親でも必ず体験するお悩みについて、たくさんの情報があります。もっとも、そのような成長に関する悩みは、大概は気づけばクリアしているものです。そして、乳児期をクリアして幼児期へと少し大きくなると、イヤイヤ期などが代表的なお悩みのようです。
 しかし、そのような成長とともにクリアされてしまう悩みと同時に、なかなか解決されないお悩みも少なくありません。代表的なお悩みは、教育費などお金のこと、イライラするなど親の精神状態や、職場との関係での時間に余裕がないこと、あるいは発達遅れや親の言うことを聞いてくれないなどの子どもの成長に関すること、それに関連して叱り方や躾に関することなど、放っておいて解決するような問題ではないものも少なくないようです。
 さらに学童期になると、学力や友人関係など学校に関することや、これまた学力に大いに関係することですが、ゲームやYouTubeの視聴など、日常の時間の使い方に関する悩みも増えてきます。これを放っておくと、学力の低下や、友人関係を拗らせる、学校を休みがちになる、しまいには不登校になってしまうなど、子どもの知能や社会性に関する問題に直面することも珍しくないようです。
 また、家庭内の様々な業務の分担に関しても、父親が非協力的だったり、両親の間で教育観や育児観にずれがあったり、はたまた共働き家庭ではワンオペ育児なども、母親を追い詰めていきます。そんな中で、子どもの学力や社会性に課題があった日には、いやはや、母親の背負っている責任感やストレスたるや大変なものでしょう。

 ということで今回は、そんなお悩みをお持ちの方々をストレスから解き放ち、それどころか育児を一気に楽しく、日々を満ち満ちた状態に導くためのちょっとしたアドバイスをすることにいたしましょう。


お悩みのトップ3は?

お悩みのトップ3は? つらつらとお悩みを書いてまいりましたが、少し整理してみるとまず「お金」の問題がありそうです。大学の学部まで卒業させようとすると、教育関連費は少なくとも1000万円はかかります。これは、あくまでも最小です。一般的には、2000万円は軽く注ぎ込んでいるでしょう。それどころか学部によって、あるいは大学の立地によっては、3000万円くらいかかることもあります。この場合、子ども1人で3000万円、2人いれば6000万円、それを25年くらいの間に現金で捻出するわけです。郊外に一軒家を建てるようなものですね。
 お金の問題の次は「時間」の問題です。今日、共働き家庭が珍しくありませんが、そんなご家庭は時間がない。逆に専業主婦の場合、比較的時間があってもお金が足りない、となると、結局仕事に出ざるを得ず、すると結果てして時間がなくなる。これは切実な問題でしょう。あるいは「自分の時間」がないこともあるようです。つまり赤ん坊と常に一緒だから自分1人の時間がないということです。しかし、働かざるを得ずに、愛しい我が子を施設に預けなくてはいけないご家庭もあることを考えれば、赤ん坊とずっと一緒にいられるというのは見方によっては、贅沢な悩みなのかもしれません。
 さて、お金の問題から時間の問題。お金も時間も足りないわけです。そうなると、当然のように生じるのは「イライラする」というお悩みです。お金も時間もやりくりして、忙しく働いているのは “あなたのため” なのに、いつまで経ってもぐずぐずする我が子、準備もぐずぐず、学習もぐずぐず、少し大きくなって片付けなども1人でできる年齢になっても、言うことを聞かない、いつまで経っても遊んでいる、あるいはゲームやYouTube、はたまたテレビに釘付け、なんてこともイライラの原因のひとつかもしれません。結果として、成長とともに学業が振るわない。当然イライラの原因になります。

 このようにみてくると、「お金がない」「時間がない」「イライラする」という育児のお悩みトップ3は、同根のようですね。つまり、お金がないから時間がない、そして時間がないからイライラするというわけです。例えば、自由になるお金が十分にあれば、時間は買えます。食事は外食や出前にすれば、家事の手間は大幅に削減されます。また、他の家事もお手伝いさんを雇えば済んでしまいます。つまり、お金で時間は買えるわけです。さらに言えば、十分な収入、あるいは手もと資金があれば、働く必要もありません。時間はたっぷりある。子どもの面倒も十分に見れる。すると子どもも思ったように育てることが叶うでしょう。もっとも、夫婦間での意見の相違やワンオペ問題、あるいは既述の「自分の時間」問題は残るでしょうけれども、お金がないならないで、またあるならあるで悩みは尽きないのでしょうね。
 つまり、お金の問題が様々な悩みの根元にあるようです。しかし、こればかりは上手い解決策はありません。お金のために就職すれば自由に使える時間は減るわけですし、それではと起業するのも決して楽な道のりではありません。今では、お小遣い稼ぎすら「インボイス制度」の名の下課税されるようになるわけですし、納税の煩雑さも手伝って、ますます個人事業主は少なくなるでしょうから、やはり就職することになる。結局、時間が足りなくなるわけです。

 さて、それでは「お金の問題」「時間の問題」「イライラする」の悪循環を断ち切る術はないものでしょうか。
 はい。実はあるんです。お金が足りなくなることもなく、時間が足りなくなることもなく、結果としてイライラしなくなる育児方法があるのです。知りたいですよね。


そもそもなぜイライラするのか

そもそもなぜイライラするのか さて、前節では、お金がないから時間がない、そしてイライラするという流れで書きましたが、この「風が吹けば」論法は正しいのでしょうか。様々な育児のお悩みアンケートを見ても、どうも正確な現状認識ができていないような気がします。そもそも、なぜお金がかかるのでしょうか。どうして時間が足りなくなるのでしょうか。「育児罰」などと揶揄されるような、子どもを育てるというのは、そんな苦行のようなものなのでしょうか。育児とは、本来笑顔と笑い声に満ちたものではないのでしょうか。子どもが、大した勉強なんかしなくても中学受験や高校受験、あるいは超難関大学の受験も楽々クリアできるような賢い子に育っていれば、それほど学費もかかりませんし、子どもの教育や日常の生活にあたって、親に必要以上の手間がかかることもありません。そうすれば、そもそもイライラも発生しないのではないでしょうか。
 つまり、お金が足りなくて働かなくてはならない、あるいは倹約に心がけなくてはならないから、時間が足りなくなり、その結果イライラするのではないのです。もし、子どもが賢く育ち、自分で物事を考えて判断でき、勉強も勝手にしてくれる、さらには素直に話を聞いてくれて、家事にも積極的に参加してくれるなら、どうでしょう。要するに、我が子を「面倒を見る対象」ではなく、一緒に生活を構築する「仲間」もっと言えば「極めて優秀な仲間」に育てれば、お金の問題も時間の問題もイライラ問題も雲散霧消するのです。
 ついでに、加えておきましょう。子どもが賢く育てば、意見の合わない父親も黙ります。よく聞くお話ですが、「パルキッズ」に否定的だった父親も、我が子が英検に受かり出すと途端に黙るのですから現金なものです。育児に口出しする祖父祖母も、賢く育つ孫を見れば、いつもニコニコ「なんて優秀な娘(嫁)なんだ」となるわけです。
 ついでのついでに、もうひとつ。賢く育った子は運動も得意です。なぜなら賢い子は「仕組み」を考えるからです。昭和のスポコンよろしく「ひたすら練習だ」しまいには「根性だ・気合いだ」ではなく、どうすれば効率良くひとつの技能を習得できるのか、その辺をじっくり考察するようになるのです。

 いいですか。つまるところ、子どもを賢く育てさえすれば、育児の悩みのほとんどは解決するわけです


賢い子ってどんな子だろう…

賢い子ってどんな子だろう・・・ さて、賢い子に育てれば良いことはお分かりいただけたと思いますが、はてさて賢い子とはどんな子なのでしょうか。学力が高ければ良いのでしょうか。確かに勉強はできないといけません。勉強もできず知識も乏しいのに賢ぶって語られる内容を、人はヘリクツと呼んで蔑みます。すると一考して「学力が高い」ことは、「賢い」ことの必須条件でしょう。でも本質は逆で、「賢い」から「学力が高い」のであることは付け加えておきましょう。
 例えば、学力を上げようとして、習い事や塾に通わせます。塾では、いろいろなことを教えてくれます。問題の解き方のコツなども、たくさん教えてくれます。しかし、それでは与えられた問題の解き方を身につけるだけで、考えないと解けないような問題を解く力は身につきません。最近の大学受験の現場でもよく囁かれますが、特に超難関大学の受験においては「考える力」がないことには太刀打ちできない問題が出題されます。塾や習い事では「表面的な学力」を高めることはできますが、「本質的な知能の高さ」を育てることは叶わないでしょう。そもそも、習い事や塾や予備校は「勉強ができる子に育てる場所」であって、「賢い子に育てる場所」ではないからです。

 それでは、自分で考えることができて、未知の問題も解決できるような高い知能を備えていれば、賢い子と言えるのでしょうか。となると、こちらも少々疑問が残ります。「社会性」です。いずれにしても、ほとんどの子どもは学校には通うわけです。するとそこには、先生もいれば級友もいます。いくら学校の勉強に関して優れていても、それらの人々の輪の中でうまくやっていけないことには、これまた親を悩ます種になることでしょう。
 和を以って尊しとなす。高い学力を得られるほどの賢さを備えていると同時に、自分のことばかりではなく、人のことも考えられるような子に育ってくれないと困るわけです。そのように人のこと、あるいは人の気持ちも慮ることができる思考バイアスを持っている子であれば、家庭内でも両親を困らせることなく、調和を保つこともできるでしょう。「言うことを聞いてくれない」などということは無くなるわけです。また、そんな子たちは、今の子どもに求められているリーダーシップも発揮することができます。後述しますが、「判断」する責任を自然と持つようになるのです。


賢い子に育てるには?

たった一つのやるべきこと さて、それではどのようにすれば、文武両道で思いやりのあるような、もはや賢者と呼べるような人格者である「賢い子」に育てることができるのでしょうか。
 その方法は、昨年夏にスタートして受講者500人を数える「地頭力講座」に詳しいのですが、「受講すれば分かる」では芸がないので、せっかくここまで読み進めていただいた皆様のために、2つのポイントを伝えておくことにしましょう。
 今回の特集にあるように「たったひとつのやるべきこと」と「たったひとつのやめるべきこと」、この2つを守って、我が子を賢い子に育てるための「親の姿勢」を身につければ、あとはそれを日々実践することで、子どもはどんどん賢く育っていきます。そして、気づけば「あの悩みはなんだったんだろう」となることでしょう。
 勿体ぶりましたが、どちらも簡単なことです。「たったひとつのやるべきこと」とは、子どもの「言語力を高める教育」で、「たったひとつのやめるべきこと」は、親が「焦ること」です。以下、詳しく見ていくことにしましょう。


たったひとつのやるべきこと

言語力を高めるとはどういうことなのでしょう 「たったひとつのやるべきこと」、我が子を賢い子に育てるための入り口、親が育児において最初にやらなくてはいけないことは「言語力を高める教育」をすることですが、言語力を高めると、なぜ賢い子に育つのでしょうか。
 これは少し考えてみれば分かることですが、人を人たらしめているのは言語です。人間は言語を持ってしまったから、地球を覆いつくし、地球を破壊するまでに増殖してしまったのです。もし、人に言語がなかったならば、二足歩行する弱々しい裸の猿です。チンパンジーにすら敵いません。ニホンザルに襲われても、逃げるばかりでしょう。しかも皮膚も薄いので、転んだだけで大怪我です。そこから細菌に感染してあっという間に死んでしまうような弱々しい存在です。偶然にして「言語」を獲得することがなければ、人間はとうに絶滅しているか、少数のグループで外敵に怯えながら細々と暮らすような生物に過ぎなかったことでしょう。
 そんなか弱い人間が、道具を作り始めます。道具を作るだけなら猿でもやりますが、人間のすごいところは道具を作るための道具(メタ道具)を作り出すことです。ひとつにナイフがあります。さらに、縄文時代になればナイフはもちろん、煮炊き用の土器も作るようになります。当然のことながら、土器を焼くためには火の使用が不可欠です。黒曜石のナイフや縄文土器、あるいは子どもの手で作ったと思われる小さい土器片など繁々と眺めながら、当時の人間たちが「言語を使っていたんだな」「どんな会話を交わしていたんだろう」、はたまた子どもが「お父さんこれも焼いて」とせがんでいる場面など、想いを馳せるのも感慨深いものです。

 そうなのです。人を人たらしめ、か弱い人間を強者に仕上げたのは「言語」です。しかし、その言語が近年では、どうも劣化しているようなのです。こちらもネットで検索してみると「それな」「マジで」「草」「やばい」「ガチで」「うざい」「きもい」「知らんけど」などから始まって「しね」などという物騒な語までフツーに使われているようです。素敵なことも「やばい」、可愛くても「やばい」、好ましくないことももちろん「やばい」です。そんな形容詞に副詞「マジで」「ガチで」がついて「マジうざい」「ガチやばい」となるわけ。
 こんな語彙しか持ち合わせない子どもたち。黒曜石をナイフにしようとか、煮炊き用の土器を作ろうとか、思いつくことができないかもしれません。つまり、縄文時代の人よりも劣化しているかも…。まさに「ガチヤバすぎて草」でしょう。この調子でしか物事を「表現」できず、ネガティブな言葉の連鎖の中で人を傷つけてしまう、あるいはそんな状態に追い込んでしまう、といった子どもがらみの事件が起きるのも、あるいは必然でしょう。
 語彙が乏しければ思考の幅も狭く、深い思考もできません。思考の幅や奥行きを深めるためには、豊かな語彙が必要なのです。その重要な語彙の教育が、最近の育児の場では、どうもなおざりにされているような印象を拭えません。
 そして、乏しい語彙、低い理解力と拙い思考力しかなければ、賢い子になどなれるわけがありません。当然のことながら高い学力も望めない。するとあれこれ習い事に行かせたり、塾や予備校に通わせたりとお金が飛んでいく、そして、望むような大学への進学も難しいでしょう。同時に、家庭内でもぐずぐず、イライラ問題に悩まされます。結局、子どもに「言葉」がきちんと育っていなければ、賢い子に育ちようがなく、いくらお金を注ぎ込んでも「焼け石に水」で大した解決になりません。貴重な資源であるお金が無為に消えていくだけで、親の心配は癒やされることはないのです。


言語力を高めるとはどういうことなのでしょう

言語力の最初は「思考力」 賢い子に育てるためには、言葉の教育が不可欠、しかも十分に充実した言葉の教育が必要となります。文科省も従来の記憶重視の大学入試の風潮を変えようと、あれこれ考えているようです。「思考力・判断力・表現力」などと掲げて、教育改革の旗を振っているようですが、果たしてそれで十分に充実した言語能力は身につくのでしょうか。折角、日本随一の知恵者が集まって考え出した3つの能力の向上目標なのですから、付き合ってみるのも一興でしょう。ということで、文科省の掲げる三項目の視点から「賢い子」を探ってみることにします。


 「思考力・判断力・表現力」が重要なことは言うまでもありません。そして、文科省様がおっしゃるのでとばかりに、「思考力・判断力・表現力」を高める教育を掲げる市井の組織も少なくありません。しかし、そうは言っても「思考力・判断力・表現力」はどのように育てるのでしょうか。思考力を高めるためには、あるいは判断力を高めるためには、はたまた表現力を高めるためには、何か「奥の手」でもあるのでしょうか。
 この3つの「力」を育てるために、学習指導要領も改変されているようです。少し覗いてみて驚きました。素人考えで行けば、「思考力・判断力・表現力」は国語科の担当すべきことです。しかし、どうも算数でも社会科でも体育でも、これらの能力を高める取り組みが行われているそうなのです。算数にどのような「表現力」が必要なのか、歴史などの社会科の授業でどのような「判断力」が求められるのか、あるいは体育の授業でどうやって「思考力」を育てるのか、僕にはまったく見当がつきませんが、これが今の学校教育のようです。ほとんどの教科に、この3つの能力を伸ばすための取り組みが組み込まれています。もっとも、それらが有効なのかは知るところではありませんが。

 少し掘り下げてみれば、これら3つの能力は各教科に絡めて伸ばすなどというものではなく、この3つの能力を高めようとすると、これらとは「別のタイプの能力」が絡んでくることがわかります。具体的に見ていくことにしましょう。


言語力の最初は「思考力」

言語力の最初は「思考力」 さて、まずは思考力です。高い思考力を育てるためには何が必要でしょうか。答えを与えずに考えさせることは大切です。あるいは、若干のヒントを与えつつ、考えさせることはとても重要です。しかし、今までの教育現場では「この問題を解くライフハック」を「とりあえず教えちゃう」ので、そもそも子どもたちが「なんでこうなるのかな?」と考えるような、彼らの思考力を培う場が用意できていませんでした。そこで、「考えさせる授業」となるのは、頷けなくもありません。
 しかし、です。考えさせるとは、どういうことなのでしょうか。人はそもそも放っておいても考えてしまう存在です(「パルキッズ通信2023年8月号」参照)。生まれながらに何らかの思考力は持っているのです。つまり、思考は誰でもできるのですが、その思考の「質」が問題なのです。大切なのは高い思考力を身につけさせることです。そのためには、闇雲に考える練習をさせれば良いのではなく、広く深く思考できるような能力を最初に育てなくてはいけません
 それでは、広く深く思考できるようにするためには、どんな能力が必要なのでしょう。結論から言えば、必要なのは「思考」の「材料」をたくさん身につけさせることです。つまり、豊富な知識を持たせることが第一なのです。
 「従来の知識偏重の教育を改めて」などと宣いますが、実は豊富な知識が根底にないことには、広く深い「思考力」など求めることは叶わないのです。

 少し付け加えておきますが、確かに「従来の知識偏重の教育」は改める必要があります。いらない知識は与える必要はありません。考えれば解決するような知識、例えば、小学校の算数で習うような九九や公式などは、高い思考力を持っている子には不要です。彼らは、九九や公式を丸暗記しなくても、掛け算の仕組み、あるいは公式の言わんとするところの仕組みは理解できるのです。そうなれば、必要なのはざっとした暗算の能力、あるいは電卓です。考え方がわかっていれば、単純な計算で大抵の答えは導き出せるのです。
 もちろん、理解力の低い子には、九九や公式の記憶は必要です。なぜなら、彼らは公式の裏で働く原理を理解することができないからです。そのような理解力の低い子たちは、記憶に頼らざるを得ません。しかし問題は、そんな理解力の低い子のための「記憶」の教育が、理解力の高い子、あるいは高い理解力を持ちうる潜在能力を持っている子に対してすら、日常的に行われていることです。そして、そんな優れた子たちも「記憶」の教育の中に埋もれて、考える機会を奪われてしまうのです。

 この意味での「知識偏重方教育」は改めるべきだと思いますが、必要な知識までも教えず、知識の乏しい状態で考えさせるような教育をしても、それにはどんな意味があるのか、私にはさっぱり分かりません。
 高い思考力を育むためには、ありとあらゆることを、まずは「知っている」ことが重要なのです。そうすれば自然と思考は深まります。何はともあれ、まずは、「豊かな語彙」を持たせてやることが思考力を高める第一歩なのです。


「判断力」と「表現力」

「判断力」と「表現力」 それでは、「判断力」を育てるためには何が必要でしょうか。すでに少し触れたように、判断力を育てるためには、まずは「判断しなくてはならない」という自覚を持たせなくてはいけません。もちろん、前提として判断できるだけの「知識」と「思考力」が必要なことは言うまでもありません。その上で「判断しなくてはならない」という、思考する能力を与えられた1人の人間としてのある種の「特権」を行使しようとする意識を持っていなくてはいけません。
 例えば、アンケート結果などでしばしば目にする「どちらともいえない」という回答項目が日本人の「判断しない気質」を象徴しています。とある事柄について、十分な知識を持ち合わせていないのであれば「わからない」と答えるのは致し方ありません。しかし、大人になれば知識も増えるでしょうし、まったく新しい事象に関しても既知の情報、あるいは経験から外挿することは可能でしょう。それでも「どちらともいえない」と答える人が、少なからず存在するのです。彼らは人間としての特権を最初から放棄しているとも言えます。あるいは思考停止に陥っている。いずれにしても、人間の本性を失っているとも言えるような事態であることにすら気づいていないのでしょう。
 つまり、判断力とは、それ自体を育てるようなものではないのです。豊富な知識と高い思考力があって、あとは「判断しなくてはいけない」という自覚あるいは人間としての本性があれば、判断するようになるのです。

 さて、最後の「表現力」ですが、こちらを育てるためには何が必要でしょう。表現力に必要なのは「相手の知的レベルに合わせて」「誤解を与えることなく理解できるように」「語彙から適当な語を拾って作文する」ことです。
 この点、少なからずの大学教授たちは及第点をもらえないことでしょう。願わくば、幼児でも理解できるようにピタゴラスの定理を説明できるような「表現力」が欲しいところです。つまり、たくさん知識があって、いろいろなことが理解できる、当然高い思考力があっても、表現力を欠く人はたくさんいるわけです。では、件の表現力を高めるためには何が必要なのでしょう。
 当然のことながら、豊富な「知識」、豊かな「語彙」や高い「思考力」は必要です。その上で、独りよがりでなく、相手のことを慮って、誤解を与えないように説明を組み立てるような「優しさ」が必要となります。
 さらに言えば、例えば相手がアメリカ人であれば、相手が十分理解できるようなロジックはもちろんのこと、英語力も必要となります。国語の能力だけではなく、英語やその他の言語の能力も、表現力には含まれることになります。

 以上をまとめると「思考力・判断力・表現力」を育てるためには「豊富な知識・豊かな語彙」をベースとして「高い思考力」を育て、その上で「判断しなくてはいけない」という自覚を持たせることが必要であり、さらにその内容を適切に表現するためには相手を慮る「優しさ」が必要となるのです。ここまでしっかりと育てる工夫をすれば、文科省の掲げる目標も意味のあるものになるでしょう。つまり、言語能力の高い子どもを育てることができるのです。


ことばの教育を重視していますか?

ことばの教育を重視していますか? さて、皆さんは言葉の教育を重視していますか?「賢い子に育てたい」とは、どんな親でも思うはずです。しかし、その根底にある言葉の教育をどれほど意識されているでしょうか。正しい日本語を使ったり、豊富な語り掛けをしたり、たくさん絵本を読んであげたり、子どもと一緒に調べ物をしたり…。そんな知的作業を、どれだけ心がけているでしょうか。
 2歳くらいまでは「言葉の発達」を心配しても、3歳になって我が子がどうやら日本語を話し出せば一安心して「言葉の発達」に関する心配事は、忘れてしまう親も少なくないでしょう。そして、小学校に入って国語の成績が提示されて、びっくりして慌てて漢字の書き取りをさせる…。そんなことをしていませんか。
 「パルキッズ」では、「言葉の教育」を2段階で定義しています。まずは日本語の能力、そして国語の能力です。言い換えれば生活言語と学習言語です。生活言語とは、日常的なことを理解して適当にやり取りできる能力で、これは放っておいても身につきます。問題は、学習言語です。小学校中学年からは、抽象的な事象の理解も求められるようになりますが、その段階で学習言語が身についていなければ、学習内容は理解できません
 これが、小学校中学年で大量の「算数の落ちこぼれ」が生み出される理由です。算数といえば、計算問題ばかり解かせたり、あるいは文章題に公式を当てはめて解かせたりすることが思い浮かぶでしょう。しかし、実のところ学習言語レベルの高い国語力が身についていなければ、いくら筆算の練習をしてたくさんの文章題を解く練習をしても、本当の算数の力は身につかないのです。
 例えば、「行きは時速60キロ、帰りは時速40キロで、同じ距離を往復した場合の平均時速は何キロか」などという極めて簡単な問題も解けない子が山ほどいるのです。こんな問題に、とりあえず「時速50キロ」と答えてしまう子がいる。この問題には距離も時間も書いてないので、文章の意味を理解できない限りは計算式が立ちません。そして、小学の算数で置いてけぼりを食えば中学の、より抽象的な数学など理解できる由もなく、ましてや物理などまるでわからない、そんな子が育ちます。これ、すべては「言葉の教育」を軽視したツケなのです。
 つまり、言葉の教育を軽視すれば、国語がダメ、社会科もダメ、算数も途中で落ちこぼれ、ついでに理科も苦手となる。もちろん国語力がなければ、英語どころではありません。言葉の教育が疎かになれば、学問のできる子には育ち得ないのです。勉強ができなければ、いくら人のことを思いやることができても、いくら責任感が強くても、賢い子とは呼べないでしょう。
 (少し補足しておきましょう。もちろん、勉強が苦手でも自分でビジネスを起こしたり、手に職をつけたりして立派に社会貢献する人もいます。もちろん、勉強が苦手な成功者も星の数ほどいます。ただし、おそらく、そんな方たちは、学校の勉強がたまたま苦手なだけであって、自分の仕事をするにあたって十分すぎる知識や語彙、理解力や判断力、そして必要十分以上の表現力を持っているのでしょう。そんな人たちが存在するからといって「言葉の能力が低くても大丈夫」という証左にはならないことは、思考力と判断力がある人ならわかるはずです。)

 さて、いかがでしょう。言葉の教育の重要さはご理解いただけたのではないでしょうか。お子さんの言葉の教育は大丈夫ですか。


たったひとつのやめるべきこと

たった一つのやめるべきこと さて、「たったひとつのやるべきこと」つまり「高い言語能力を育てること」について書いてまいりましたが、今度は、本当はしてはいけないのに、常々多くの親が無意識のうちにしている「たったひとつのやめるべきこと」つまり「焦ること」に関して話を進めます。
 「うちは別に焦ってはいないわ」という声も聞こえてきそうですが、本当でしょうか。「パルキッズ」の英語学習を実践しているご家庭、特によく理解せずに取り組んでいるご家庭からは、「楽しくない」とか「古臭い」とか「子どもから英語が出てこない」などと言った声が聞かれます。これらをくっつけて、「古臭いから子どもが興味を示さない」そして「楽しくないから英語が出てこない」と結論づけられるようです。言うまでもありませんが、このロジックは、幼児や小学生の外国語習得とはまったく異なる低次元の話ですが、言語教育について深く考えることをせず、しかも結果を焦る人たちにはピッタリのロジックです。
 子どもは、放っておいても言語を身につけてしまいますが、第一言語である日本語に関しては、大まかに言うと、1年かけて音素、2年で音韻、3年から4年でざっとした文法を身につけていきます。ただ、この段階での文法知識は粗く、格助詞や「あげる・くれる・もらう」「まだ・もう」のベクトル違いなどは習得が難しく、「お母さんが絵本を読んでもらう」など、本来格助詞「に」であるところを「が」にするなどの間違いは頻繁に起こります。  また、5歳くらいでは音と文字の正確な対応づけもできておらず、「本日は」を「こんじつは」と書いたり、長音の記述規則を過剰適用して「おかあさん」を「おかうさん」と書いたりもします。さらに、日本語の調音に関しては、10歳くらいにならないと大人と同じような正確な発音にならないことも知られています。つまり、母語ですら10年かかるのです。
 英語(外国語)の習得の例を見れば、留学生は1年である程度英語を解するようになり、帰国子女など2年以上を海外で過ごすような子たちは、かなりネイティブライクに英語を操るようになります。しかし、彼らの英語力は、ネイティブのレベルには遠く及びません。聞き取りも、発音もそう。やはりネイティブライクになるには、5年程の時間がかかるのです。また、学校英語では、小学校から大学まで10年かけても、英語の論文読解など論外で、ヤングアダルト向けのノベルや児童向けの本すら読めない、ついでに言えば、日常会話すらままならないレベルの力しか身につかないのです。しかし、これに関して文句を言う人が少ない点に関しては、一体日本人はとてつもなく懐の深いおらかさを持ち合わせているのか、と閉口するばかりです。
 他方で、1週間「パルキッズ」を取り組んでみて、「つまらないから英語が出てこない」と決めつけてしまう。もう、この思考回路は僕などには理解不能です。「パルキッズ」は、英語を第二母語として、脳が勝手に習得するための「栄養」です。種を蒔いてすぐ芽が出ないからと言って、水やりをやめてしまえば「はいそれまで」なのですが、「焦る」人たちは、そんなことはお構いなし、とにかく子どもの口から英語が出てくれば満足なようですから、そのような教育システムに飛びついていきます。そして、教材を回り歩いて「結局なんだったの」となるわけです。

 これも焦ることによる弊害ですが、「焦る」のは英語に限ったことではありません。子どもが理解できない概念があった場合、あるいは子どもが習得できない技術があった場合に、それを「教え込もう」としたことはありませんか?これは「焦り」の表出以外の何者でもありません。淡々とインプットを続ける、あるいは淡々と取り組みを続けさせれば、子どもはいつの間にかその技能や知識を習得していくのです。ひとつ重要なことを申し述べておきましょう。技能や知識は、本質的に教えることができません。技術であれば、継続的に取り組むことでようやく身につけることができます。また、知識は本人がじっくりと考え抜くことでようやく身につけられるのです。知識を教えようと押し付ければ、押し付けられたこどもたちは、その知識を理解し身につけるのではなく、知識を「記憶」するようになります。従来型の日本の教育の弊害である「記憶に頼る癖」を、学校や塾だけでなく親までもが、せっせと子どもに身につけさせる取り組みをしているのです。
 親ができること、あるいは指導者ができることは、子どもがその技術や知識を習得するまで、根気強く見守ることだけです。焦って教え込もうとすれば、いつの日か子どもは嫌がって逃げ出してしまうか、当面の「記憶」に逃げるだけなのです。

 「焦り」は禁物です。


比較もイライラも怒りもすべては「焦り」から

比較もイライラも怒りもすべては焦りから 「急いてはことを仕損じる」「焦りは禁物」などと言いますが、まったくその通り。焦れば焦るほど、押し付けたり、教えようとしたり、ついでに怒ったり、怒鳴ったり、といった負のおまけが付きまといます。しかし、焦りから生まれるのはそれだけではありません。「焦り」は、我が子を、兄弟やよその子、あるいは過去の我が子と「比較する」といった愚まで生じさせるのです。
 隣の芝生は青く見えるものです。しかし、なぜ我が子を「素晴らしい」と見ずに、他の子より「劣っている」と見てしまうのでしょう。それは結局「焦り」から来ています。我が子の成長をじっくり見守る。そして、取り組みの環境を与え続け、本人が考え抜いてひとつの知識を身につけるまでじっくり待つ。すると、そこで身につけた知識は単なる記憶ではなく、しっかりと原理を理解した上での知識となります。しかし、他の子ができるから、というだけの理由で、掛け算のできない我が子に九九を教えたり、公式を教える塾に通わせたりするのです。
 人間は言語を持ってしまってから、あるいは世界から物事を切り出す「概念化」の認知力を偶然持つようになってしまってから、 “比較” をやめられません。「分けて測って比べる」ことも科学の基本です。従って、「比較すること」は人の本能であり、自然の摂理のようなものです。
 同時に “Comparison is a thief of joy”. などと言われます。「比較をしていると幸せになれないよ」という意味です。「比較しているうちは幸せになれない」のも事実。比較することで、我が子の内面を観察することができず、上っ面だけ眺めて決めつけることになってしまうからかもしれません。

 また、ぐずぐずしている我が子を見て、イライラすることはありませんか?食事、歯磨き、入浴に着替えなど、日常のことに始まって、日課であるべきレッスンや宿題になかなか着手せず、遊び、ゲーム、あるいはYouTubeに呆けていたりすると、イライラも頂点に達して怒り出してしまう、そんなこともあるでしょう。これらも、すべては焦りから来ています。言い換えると、刻一刻と過ぎ去る時間に対して ‘behind’ な状態に身を置いているのです。
 英語での表現がぴったりくるので、ここは英語で書きますが “Think ahead” がとても大切です。日本語で言えば「予期・予測しなさい」とでもなりましょう。日常のことなど、次に何が起きるか分かり切っています。つまり「(放っておけば)こうなるわよねぇ」と予測が立つわけ。そして、予測が立つなら、あらかじめ手を打てば良いだけです。
 「〇〇しなさい」といってから行動に移るまで、人はしばらく時間がかかるものです。これは大人も子どもも一緒です。子どもの場合には、少し余計に時間がかかる。なので、10分前、20分前に「そろそろ〇〇しなさい」と伝えて、その後、様子を見るのです。そうすれば、我が子がじわじわと動き始め指示に従う様子も、余裕を持って伺うことができるでしょう。
 つまり、”think ahead” の姿勢で常に未来を予見する。そんな姿勢を持っていれば、そもそも「焦り」は生まれないのです。そして、余裕を持って我が子を観察すれば、実は「言うことを聞かない」と決めつけているのは親の方であって、子どもは時間に余裕さえ与えれば、しっかりやるべきことはやっている(かもしれない)ことに気付かされるでしょう。

 よろしいでしょうか。「焦り」が比較するメンタルを生み、イライラや怒りを募らせるのです。「焦る」気持ちが生じるのは “think ahead” が足りないからです。次にイライラしたり、怒りが込み上げたり、あるいは我が子を他の子と比べたりする気持ちが生じた時には、「私は何か焦っているのかも。 “think ahead” が足りないのかも」と考えてみてください。そして、気分がおさまってきたら、慌ただしい日常の中で、未来を見ることをせずに、表面的な現実ばかりをみてさまざまな判断を下しているかもしれないご自身を顧みましょう。


 さて、今回は「たったひとつのやるべきこと」と「たったひとつのやめるべきこと」、つまり、言葉の教育をしっかりすることと、成果を焦らず、じっくりと環境を作り続けて子どもを励ましつつ、子どもが自ら原理を理解していくのを待つ、この2つのポイントについて書いて参りました。
 いかがでしょう、この2つなら実践できそうではありませんか?ぜひ、この2点を心がけていただいて、子育てを劇的に変えてください。それによって、思考力の高い賢い子に育てば、お金の悩み、時間の悩み、イライラするといった精神的な苦痛から解放されることでしょう。

 言葉の教育に関して、ここよりさらに深く学びたい方には「地頭力講座」をお勧めします。地頭力講座は「言語力・論理性・倫理観」の3つを子どもに身につけさせる親になるべく開講されている講座です。今回は言語力についてのみ触れましたが、論理性や倫理観に優れた、つまり筋の通った思考ができて、人を思いやることができる子、リーダーシップもあり主体的に行動できる子に育てるための取り組みも豊富に含まれています。おそらく、「お金がない」「時間がない」「イライラする」あるいは、「スマホ問題」「ゲームやYouTube問題」も「友人関係の問題」も「地頭力講座」を受講すれば、あっという間に解決されることでしょう。
 「地頭力講座」の対象は、幼児や小学生を持つ親御さんですが、幅広く「育児」全般を見直すチャンスになると小学校高学年や中学生のお子さんを持つ親御さんからも評価をいただいております。「地頭力講座」で子どもへの正しい接し方を身につけ、育児の悩みから解放された満ち足りた楽しい日々を送っていただき、賢さと優しさとリーダーシップなどトータルな人間力を身につけたお子さんに育てていただくことを心から願っております。


【編集後記】

今回の記事をご覧になった方におすすめの記事をご紹介いたします。ぜひ下記の記事も併せてご覧ください。
アウトプットとストレスの関係
留学派? 国内進学派? どっちがお得?
地頭の良い子の育て方
「生活言語」と「学習言語」
小学生向け英検準1級対策

【注目書籍】『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)

特集イメージ9 児童英語研究所・所長、船津洋が書き下ろした『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)でご紹介しているパルキッズプログラムは、誕生してから30年、10万組の親子が実践し成果を出してきた「超効率」勉強法です。書籍でご紹介しているメソッドと教材で、私たちと一緒にお子様をバイリンガルに育てましょう。


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プロフィール

船津 洋(Funatsu Hiroshi)

1965年生まれ。東京都出身。株式会社児童英語研究所・代表取締役。上智大学外国語学部英語学科卒業。実用英語技能検定1級取得。30年以上に渡る幼児教室・英語教室での教務を通じて幼児の発達研究に携わるかたわら、「パルキッズ」などの英語教材を始めとした幼児向け教材を多数開発。また、全国の幼児・児童を持つ親に対して9万件以上のバイリンガル教育指導を行う。講演にも定評があり、全国各地で英語教育メソッドを広めている。著書に20万部のベストセラーを記録した『たった80単語「読むだけで」英語脳になる本』(三笠書房)をはじめ『どんな子でもバイリンガルに育つ魔法のメソッド』(総合法令出版)『ローマ字で読むな!』(フォレスト出版)『英語の絶対音感トレーニング』(フォレスト出版)など多数ある。

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