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2025年3月号特集

Vol.324 | 英語のスタートは早いほど良いたった1つの理由

英語スタートが遅くて良いという “気分” を完全否定

written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)


※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。

引用・転載元:
https://www.palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-2503/
船津洋『英語のスタートは早いほど良いたった1つの理由』(株式会社 児童英語研究所、2025年)


英語のスタートは早いほど良いたった1つの理由 『パルキッズ通信2025年1月号』で「英語に夢中な人」の対極に「英語にクールな人」が居ると書きました。「英語に夢中すぎる」のも困ったものですが、「英語にクール」だと実は失うものが多すぎるのです。英語は中学からで良い、というのは今や昔の話。小学校高学年から英語が評価対象の教科として必修になっている今日、中学受験チームですら英語を放置することはできません。
 かつて『パルキッズ通信2017月6月号』に書きましたが、2020年度からは小学校でも英語が教科化されたものですから、英語ができる子が、喉から手が出るほどほしい中高一貫校は、選抜試験に英語を課すようになりました。現在では、首都圏の私立・国公立校の4割に当たる140校前後が、何らかの形(5教科・3教科などなど)での英語選抜を導入しています。
 また、中学受験が関係ない地域でも、大学進学を考えているのであれば、英語から目を背けるわけには行きません。大学入試では、英語の配点が他の教科の倍というところもあるわけです。現に「共テ(大学入学共通テスト)」でも、国語と英語には各200点が振り当てられていますから、国策としての「英語重視」の流れは変わっていません。
 件の大学受験英語に関しては、コミュニカティブへと舵を切りつつ、細々とした文法項目が隅へ追いやられる一方、いわゆる王道とも呼べる読解力を問う問題の比率が今まで以上に高くなっています。このように、日本にいる限り、少なくとも大学受験をする限りは「英語」から逃げられないわけです。
 しかも、美辞麗句で装飾されて “なんとなく” 始まってしまった小学校英語は「英語嫌い」の量産工場の様相すら呈しています。また、せっかく目標の中学に合格しても「燃え尽き」てしまうこともままあるわけです。そんな現実に我が子を送り出さざるを得ないご家庭では、大学受験を視野に入れつつ、中学受験で「英語を無視」して行くのか「英語に注力」で行くのか、極めて悩ましいところでしょう。


相変わらず l と r の音素レベルが興味の中心

相変わらず l と r の音素レベルが興味の中心 さて、そもそも中学から始まる学校英語に任せていては、高校入試、さらには大学入試はままならない。そこで、塾や予備校が大流行しているわけです。もっとも、最近では人口減少により廃業を余儀なくされる塾も少なくないとか。こうやって多様性が失われて大資本に統合されていくのが、浮世の常。なんとも、やるせない。
 ところで、その多様性を失いつつある浮世の英語業界は何をしているのか?といえば、いまだに「英語がしゃべれるように」「ペラペラに」などとぼんやりしているようです。英語を話せるのと、英語を聞き取って理解できるのはまったく別物です。その程度のことは正常な範囲の知性の持ち主であればわかるはず。つまり、「英語をしゃべる」前に「英語を聞き取る」ことが重要だと考えるはずです。しかし、どうもこの国ではそうはいかない。いざ「英語」となると日本人は揃って思考停止状態に陥るかのごとく、「英語をペラペラ話せる」ようになる教材を求めさすらうのです。
 そんな世相を反映してか、あるいはそんな世相を形成しようとしているのか、民間も「ペラペラに」とか「コミュニケーションの道具として」などの謳い文句で教材を売ります。そんな中でも少しはマシかなと思われるのは「発音トレーニング」です。英語の正確な発音を知るのは大変結構なことです。ただし…、未だに ‘l, r, f, v, th’ の発音を重視しているようでは、これまた首を傾げてしまいます。
 言語学の研究は日々進んでいます。それこそ、百年前、五十年くらい前までは音素の違いの研究ばかりでした。しかし、ここ五十年ほどは、音素から音節構造、さらには、韻律と呼ばれるリズムやピッチの研究が進んでいます。
 そんな中で分かってきたことがあります。  「日本人の英語の習得を邪魔しているのは日本語の知識」  ということです。人間は生まれた瞬間、正確には体内で聴覚が発達する頃は、すべての言語に対する敏感性を持っています。つまり、お腹の中の赤ちゃんは、何語でも話せるようになるコンピテンス(能力)がある。しかし、周囲の言語音声(“L1 : Language one、第一言語”)に晒されることで、その敏感性が失われていくのです。これは、経済性の原理の現出とも言えます。つまり、「最小限の努力で最大限の効果を得」ようとする本性です。その原理に則れば、耳から聞こえてくるあらゆる言語音がある中で、普段耳にする L1(日本人であれば日本語)以外の音声は「要らないもの」と切り捨てることで、脳の負担を軽減しているのです。このようにパフォーマンス(言語運用)の段階では、相当な情報が切り捨てられることになります。

 つまり…、生まれたばかりの赤ちゃんは、外国語に対して「何でも来い」状態ですが、日本語が確立すると「聞きたくない、いや聞かない」状態になるのです。これは、無意識の話だから仕方がありません。いくら本人が「英語を聞き取りたい」といっても、心中の無意識の L1(日本語)知識が「それは聞かなくても良い」と邪魔をするのです。さらに質の悪いことに、L1 の日本語は耳に入ってきた英語の音を「直接全部渡すなど、とんでもない。一旦私を通してもらわないと困ります」と、まるでどこかの国のお役所のようなことをしているのです。そのため、L1(日本語)を経由して私たちの手元に戻って来る英語は、まるで元の英語とは異なる形(借入語と呼ばれるカタカナ英語)となっているのですから絶望的です。


外国語の音でL1に存在しないものは近い音に置き換わる

外国語の音でL1に存在しないものは近い音に置き換わる すでに述べたように、日本人の英語習得と運用は、L1 としての日本語の知識に邪魔されているわけですが、その正体を知る、つまり日本語の音韻知識とはどのようなものなのかを知ることがとても重要です。

 聞いた話では、ハワイでは例年年末になると「メレ カリキマカ(mele kalikimaka)」と言いながら赤い服を着たおじいさんがやってきます。その人は子どもたちに「カナカロカ」と呼ばれ親しまれているそうです。これは、ハワイ語のL1音韻知識による L2 英語の借入語プロセスと、音に意味付けをするプロセスが同時に行われている例です。’Merry Cristmas’ が「メレ カリキマカ」と聞こえるとは、ハワイ人はなんと素朴なんだろう、などと笑っている場合ではありません。日本人は「メリークリスマス」と信じて疑っていないのでしょうけれど、「メリークリスマス」もどっこいどっこい。ハワイ語の「メレ カリキマカ」と同じ借入語音韻論の影響の一証左に過ぎません。

 ここで、疑問が生じます。日本人やハワイ人は、英語の音素を正しく聞き取れていて、聞き取ったあとに、音が歪められているのでしょうか。それとも、そもそもまったく正しく聞き取れずに、歪められた状態で知覚しているのでしょうか。さて、これは音韻論の大問題です。

 音声認識のメカニズムを極めて単純化すると、”auditory processing”(直訳すると”聴覚処理”)と “phoneme perception”(同じく”音韻知覚”) の2つのステージに分けることができます。前者は “音響分析” です。誰かが口にした言葉は、音波という物理現象となり空中を進みます。その音波となった物理現象としての音声を受け取る段階です。これはヒトの聴覚器官を備えている存在であれば、人種や言語、老若男女問わず、みな等しく同じ情報を受け取ることになります。
 さて、その後の “音韻過程”(phoneme perception)が問題で、ここが L1 音韻知識のしゃしゃり出てくるポイントです。そのヒトのL1の音韻規則に合致しないインプット(音響分析結果)は、L1 音韻論に合致するように修正されなくてはいけません。
 件のハワイ語は、子音は母音と必ずセットで使われる (C)V 型音節構造を持っています。これは日本語と似ています。しかし、音素のインベントリは日本語とハワイ語では異なります。日本語は、5母音15子音(撥音は特別ですが子音と考えます)に対して、ハワイ語の母音は日本語と同じ5つですが、子音は9つしかありません。特に破裂音は日本語の /p b t d k g/ に対して /p k/ しかありません。またとても便利な摩擦音 /s/ が不在です。すると ‘krismas’ の ‘s’ は最も近い子音 ‘k’ に置き換えられることになります。


音節やプロソディーも和風アレンジされる

音節やプロソディーも和風アレンジされる すべての ヒトは幼児期にはあらゆる音素を聞き分ける力を持っています。これは学問の分野によって様々ですが、”Universal Phoneme Sensitivity”(普遍的音素感受性)などと呼ばれます。胎内で聴覚が発達すると子どもたちは、周囲の言葉、つまり L1 に晒されることになりますが、その頃はすべての音素に対する敏感性を持っています。
 胎児たちは、すでに胎内でもローパスフィルターを通して母親の声を聞いていますが、その音声は低周波に偏っていて、日本語の母音の区別がぎりぎりできるかどうか、という範囲です。ただし、女性の声や男性の声、あるいは子どもの声の周波数の違いや、日本語のピッチ(音の高・低)の変動やプロソディー(韻律)などの情報は受け取っていることになります。
 これはどういうことかというと、ヒトは元々すべての音声を聞き取る能力を持っているのですが、聞き取った音声を処理する母語(L1)の音韻知識は、胎内から構築され始めるということです。そして、生後1歳を迎える頃には、知覚された音声は、日本語の L1 音韻知識を通して処理されるようになります。これを “Perceptual Narrowing”(知覚の狭窄化)といいます。
 この知覚の狭窄化によって、母音空間の範疇化が行われます。英和辞書などで、英語の母音の台形をした図説が出てきますが、そこにはヒトが発音できる様々な母音が、左を唇側、右を咽頭側、上を下顎が上がっている状態、下を下顎が下がって開いている状態として示しています。この母音空間ですが、日本語の場合は5つに区切っています。ところが、英語ではこの空間を12以上に区切るのです。このように知覚の狭窄化によって L1 の分類の仕方にチューニングしていくのですが、これによって「母語プロセス」(母語のカテゴリに外国語を当てはめる)という現象が起こります。
 日本語より細かく母音空間が区切られている英語では、/hæt hʌt hɑt/ はそれぞれ「帽子(hat) 小屋(hut) 暑い(hot)」ですが、日本語音韻論ではこれらはすべて /a/ つまり「あ」と分類してしまいます。子音に関して見てみると、日本語には /l r/ の違いはないので類似の音声は全て /r/ として処理されます。また、唇歯音の /f v/ や歯音の /θ ð/ もそれらに近い日本語音素、例えば /f v/ → /ɸ (ファ行の音) b/ と解釈されます。また /θ ð/ → /s t z d/ へと解釈されます。これはどちらも母語プロセスによります。
 これが日本人が英語を聞き取れない理由のひとつですが、このように耳から入る音声をL1音韻論で解釈する作業は胎内から始まり、1歳ではかなり進んでいます。ただし、まだまだ敏感性は残っている、言い換えれば、 L1 音韻知識が確立していない時期の幼児は、日本語以外の音の学習は十二分にできるのです。その後、日本語の文法が身につく3歳くらい、かななどの正書法を身につける7歳前後、スラスラ音読ができるようになる小学校中学年から思春期頃(外国語習得の「臨界期」: Critical Periodと呼ばれたりする)にかけて、L1 音韻知識はほぼ確立します。

 この一点だけ見ても、英語の学習あるいは外国語の学習は、日本語音韻知識の確立する前、できるだけ早い時期にスタートした方が良いことはお分かりいただけるでしょう。


L1音韻論にチューニングせざるを得ない性

L1音韻論にチューニングせざるを得ない性 こうして見ていくと、成長とともに聞き取りの能力が失われてしまうように感じられます。確かに、L1 以外の言語の音声に対する敏感性は失われますが、逆に L1 音韻知識が成熟することで L1 に対する敏感性が高まります。それによって、聞き取ろうとしなくても、隣の席の会話が理解できたり、喧騒の中でも必要な音声を抽出できたりします。それどころか、L1 知識というのは大したもので、ところどころ欠損している音声ですら、その欠損部分を補って、意味のある連続音声として再構築することまでも無意識のうちに行ってくれるのです。ありがたい話ではありませんか。

 上では、特に音素について書きましたが、音素以外にも役立つ情報はたくさんあります。
 例えば、東京方言では「箸」と「橋」(どちらも /hashi/)では同じ音素の連続ですが、意味が異なります。この意味を変える要素がピッチアクセント(高低アクセント)です。日本語では、アクセントの位置はレキシコンと呼ばれる心内辞書のそれぞれの語に書き添えられています。つまり、前者は /’ha.shi/ であり、後者は /ha.’shi/ です(’の音節にアクセントがくる)。
 このように、日本語の語はピッチによって意味が変わります。さらに複雑なのは、一休さんのとんち話にもある「橋」と「端」(これもどちらも /hashi/)の違いです。直感的にはどちらも /ha.’shi/ と、後ろにアクセントが来ているように思われますが、実は後者の「端」の方はアクセントがないのです。東京方言では、先頭にアクセントのない語は2モーラ目からピッチが上がるので、「橋」も「端」もそれ(単語)だけで発音すれば同じです。ところが、両者に格助詞(例えば「を」) を付けると、「橋」の方は「は/し\を」と格助詞の前でピッチが下がりますが、「端」の方は「は/しを」とピッチが上がったままです。

 日本語を学習する外国人泣かせですね。

 それだけではありません。日本語には「特殊拍」と呼ばれる促音、長音、撥音があります。促音は、日本語の正書法では「っ、ッ」で表されます。皆さんも小学生の時に「グ・リ・コ」「パ・イ・ナ・ツ・プ・ル」とやって、遊んだ記憶があると思います。これは正書法の影響で小さい「っ、ッ」を書くことを知っているから、このように一拍とるのです。しかし、実際に小さい「っ、ッ」を発音することはできませんから通常の「ツ」を変わりに発音しているのです。  発音できない文字である小さい「っ、ッ」の正体は、これは単なる1拍分の空白です。例えば「着て」は東京方言話者は /ki.’te/ と発音しますが、「切手」は無核の /ki.Q.te/ (/Q/ は促音)で2モーラ目の促音の部分(実際には無音なので3モーラ目の /te/ )からピッチが上昇します。「肩 vs. 勝った」「居た vs. 行った」などなど、空白で意味が変わるペアがたくさんありますね。
 このように、日本語はピッチの位置と空白の有無で意味が変わりますが、さらに長さでも意味が変わります。「取る」に対して「通る」は /’to.ru/ と /’to.R.ru/ (/R/ は長音)となります。/R/ の部分は、直前の母音をもう1拍分伸ばしているだけです。

 ピッチ、1拍分の空白、さらには母音を伸ばすことで、音素は一切替わることはないのに、意味が変わってしまう。日本語の L1 知識がある我々には “どうってことない” 現象ですが、改めて観察すると、複雑な体系であることに気付かれたのではないでしょうか。そして、このような複雑な L1 音韻体系を身につけるトレードオフとして、L1 ではない言葉の音素を始めとした音韻体系に注意を払うことがなくなるのです。


Universal Phoneme Sensitivityは消えるのか?

Universal Phoneme Sensitivityは消えるのか? 英語学習のスタート、あるいは外国語学習の開始は、L1 音韻論が確定する前の、できる限り早い時期に開始した方が効率的であることは分かりました。また、L1 が確立することで、ずいぶんと恩恵を受けていることも分かりました。ところで、”Universal Phoneme Sensitivity”(普遍的音素感受性)と呼ばれる、ヒト言語の音声に対する敏感性は、”Perceptual Narrowing”(知覚の狭窄化)が起こり L1 が確立することで、消えて無くなってしまうのでしょうか。
 どうやら、そうではなさそうです。アフリカの言語には、舌打ちのような「クリック」という音素があります。単なる舌打ちではなく音素なので、もちろん、それがあるかないかで語の意味が変わります。人が発する音声のほとんどは、肺臓気流と呼ばれています。肺から空気を送り出すときに声帯を振動させたり、あるいは声帯振動を止めたりしながら、様々な音声を作り出します。しかし、肺からの気流を使わない音声もあります。クリックはそのひとつです。ご興味がある方は、(IPA Chart)の “Non-pulmonic consonants” に分類されている “Clicks” の各種音声を聴き比べてみてください。
 そのクリックにも、方言や知識差があるそうなのですから驚きです。とはいえ、方言というくらいなので、同じ範疇に収まる程度の微細な差なので、当の現地の人たちでも識別が困難だそうですが、なんと、実験ではアメリカ人がそのクリックを聞き分けるそうなのですから、これまた驚きです。
 また、折につけ触れているように、日本人の /l r/ の知覚に関しても、思いの外、聞き分けはできるのです。上智大学のとある授業で、教授が /l r/ で始まる英単語を発して学生に識別させたところ、ほとんどの学生が /l r/ を聞き分けることができていました。もちろん、英単語のみの単独発話なので、聞き取りは文中のそれほど難しくはないのですが、それでも、苦手とされている /l r/ の区別を付けることはできるのです。
 ここから分かるように、“Universal Phoneme Sensitivity”(普遍的音素感受性)は、L1 習得過程で “Perceptual Narrowing”(知覚の狭窄化)の過程を経ますが、実は対象の音の聞き取り能力は消えて無くなっているわけではないのです。そもそも、日本人は英語の聞き取り自体ができず、単語単位で聞き取ることができないので、それを /l r f v θ ð/ 問題として広く世間が認識しています。そのせいで、「日本人はそれらの音素の聞き取りができない」と信じ込んでいますが、意外や意外、聞き取りはできるのです。ただ、敏感性に蓋をするL1音韻論という邪魔者がいるわけですね。

 これは朗報ですね。


慣れてくれば敏感性は取り戻せる

慣れてくれば敏感性は取り戻せる さて、L1音韻論は外国語の習得には邪魔でもあり、同時に L1 の使用においては無くてはならない存在です。ところで、この L1音韻論の足かせを外し、”L2 : Language 2、第二言語” の学習を促進することはできないのでしょうか。

 「できます」

 「知覚の狭窄化」によって、L1 音韻構造(例えば五母音体系)が頭の中に出来上がり、その結果として、外国語を母語プロセスを通して解釈(例:/hæt hʌt hɑt/ →すべて「ハット」)するようになりますが、L2 に大量に触れさせることによって、L1の足かせの影響は次第に軽減されます。言い換えると、L2(英語)の能力が高まってくると、L1(日本語)ではひとつの音素の範疇に放り込まれてしまう複数のL2(英語)音素を、自然と識別できるようになるのです。

 例えば、日本語の撥音「ん(音韻論では /N/と表記)」は、気付かないうちに少なくとも6通りの発音がなされています。「さんま」の「ん」は [m](両唇音)、「サンタ」の「ん」は [n](歯茎音)、「こんにちは」の「ん」は [ɲ](硬口蓋音)、「三角」の「ん」は [ŋ](軟口蓋音) 、「三」のときには [ɴ](口蓋垂音)となったりします。さらには「全員」と言うときには /zenin/ とは言わずに [zẽin] と鼻母音になるのが普通です。そんなこんなで「ご声援(/goseien/ → [gosẽen])お願いします」が「五千円(/gosenen/ → [gosẽen])お願いします」にも聞こえてくるわけです。
 はい、では実際にやってみましょう。それぞれの「ん」で、舌が上蓋(上顎)のどこに接触しているか、ぜひ確認してみてください。
 ついでに言うと、このようにひとつの音素 /N/ の様々な形 [m n ŋ]などなどは、異音(あるいは自由変異)と呼ばれます。異音は音素ではないので、どれで発音しても意味が変わることはありません。ひとつの言語においての異音が、別の言語では音素である(それによって語の意味が変わる)ということはよくあることです。

 日本語でも、オンセット(語頭)の鼻音の /n m/ の区別はあります。しかし、上記のように日本語では長年かけて学習された L1音韻論の母語プロセスによって、音節末の鼻音はすべて撥音(「ん」)と解釈されるのです。
 しかし、英語では /m n ŋ/ は、音節末でも音素ですので、英語を使用するならこれらを区別しなくてはいけません。L1(日本語)で処理してしまうと、 ‘Kim’ さん(人名)も ‘kin’(親戚)も ‘king’(王様)も、すべて「キン(kiN)」になってしまいます。
 この音節末の鼻音の知覚は私の専門で、いくつも実験を行っていますが、英語のレベルが “CEFR : Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment、外国語の学習・教授・評価のためのヨーロッパ言語共通参照枠、セファール” の B1 以下だと、なんでもかんでも /n/ (日本語の「ん」)と解釈してしまいますが、B2や1年留学組では、 /m n/ の区別ができます。さらに、同じくCEFR で C1 や帰国子女レベルだと、 /ŋ/ も正しく知覚できるようになります。
 このような英語の習得度合いや、”LOR : Length of Residence” と呼ばれる「その国における滞在期間の長さ」が長くなればなるほど、正確に英語の音声を知覚できるようになります。
 さらには、その人の居る言語環境も重要です。前出の思春期前後の「臨界期」以前に、あるいはその周辺の時期に米国に到着した人たちの方が、それ以降の年齢で移住したグループより英語の発音が “よりネイティブらしい” 傾向にあります。そこから、年齢が外国語習得に関係していると以前は思われていました。
 しかし、臨界期以前の移民でも強く母語の訛りが残ることがあったり、逆に臨界期以降の移民でもネイティブと何ら変わらない英語を話す人がいるのも事実です。そのことから、最近では、年齢よりも「英語を習得する環境」の方が重要であると考えられるようになってきました。
 つまり、臨界期前後かそれより若い子どもたちは、「学校」というネイティブの先生や生徒たちの英語に多く触れる傾向にあり、母語のアクセントが目立たなくなるということです。同様に、臨界期以降の移民でも、ホワイトカラーなど高学歴のネイティブスピーカーたちと働くグループでは、母語のアクセントが目立たなくなります。逆に、臨界期前の移民でも、家族がその民族(例えばイタリア人)向けの店舗やレストラン経営をするなど、周囲にイタリア人が多い環境であれば、イタリア語のアクセントが色濃く残ったりするわけです。

 つまり、長期間にわたる日々の大量なインプットが重要であることは当然のことながら、質的にも、例えば “GA : General American、一般米語” なら GA の、”RP : Received Pronunciation、容認発音” なら RP のインプットが好ましいということになります。

 いずれにしても、そのようなインプット環境により、長期に渡り良質の英語が大量にインプットされることで、英語、つまりL2に対する敏感性が高まっていき、L1音韻論のくびきから解き放たれて、L2の音素もしっかりと聞き取れ、使い分けられるようになるのです。


やはり「インプット」

やはりインプット パルキッズ通信では、日本人が英語を苦手とする理由は、ひとつに「分節ができないこと」、もうひとつが「心内表象化ができないこと」と繰り返し述べてきました。今回は、その中の分節に焦点を当て、「なぜ分節ができないのか」について、ヒトが生来持っている音声に対する敏感性とその敏感性が失われていくこと、そしてL1(母語)の音素や音節構造、韻律構造などにチューニングを合わせていく過程にその原因があると述べました。
 つまり、外国語の音素を知らないから外国語を聞き取れないのではなく、聞き取った外国語の音素を、L1 知識で処理することで歪めてしまっているのだということを、ハワイ語の借入語の音韻処理を例に説明しました。日本語の場合も同様で、英語の音素は日本語の音素分布に当てはめられて聞き取ることになります。同時に、音節構造も自動的に日本語のそれに合わせた形に変換されます。日本語は、英語のような子音連続や、子音で終わることを許していないので、自然と母音が挿入されてしまうのです。有名な ” ebzo 実験” では、日本人が b と z の間に存在しない u (母音)を聞いている様子(ebzo→ebuzo)が報告されています。

 これらは、耳に入る未知の音声を、L1の知識で処理することで起こっています。したがって、L1が確立する前のできる限り早い段階で英語教育をスタートすることが望ましいのは、誰が何と言おうが自明のことです。「英語より国語だ」などという声もたまに聞こえてきますが、その方々は、外国語教育を先送りすることで何が失われるのか理解していないのでしょう。
 もっとも、使用に耐えうる英語力を身につけることを前提としておらず、単なる「知的格闘力の涵養のためのトレーニング」として英語教育が行われているであれば、それでもまったく構いません。しかし、日本の英語教育はもはや、知的格闘力涵養のための取り組みではなく、「使える英語」へと舵を切っています。実際に英語を使用する場面は、もちろん読解もありますが、聴解もあります。つまり、聞いて理解できないことには、現実の使用に耐えうる英語力とは言えないのです。それであれば、やはり、少しでも早い段階で英語教育を開始する方が良いことは、当然の結論となるでしょう。
 小学英語の導入時点では、口頭での使用が前提でした。それは大変結構なことです。ただし、アメリカへの移民の例でも分かるように、英語ネイティブによる、より一般的な英語を大量にインプットすることが重要です。和製英語をインプットしても、それは日本語 L1 音韻論に歪められた音声であり、そこからは、英語ネイティブが発する英語の聞き取りには繋がりにくいのです。
 決して、インナー・サークル英語(イギリス・アメリカ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド等、英語が公用語で第一言語の国の英語)が至高で、それ以外の英語はダメだと言っているわけではありません。私自身「日本語訛りで何が悪い」と思っている人間の一人です。ただ、英語で発される情報は、ネイティブの音声のものが圧倒的に多いでしょうし、そちらに触れる機会が多いことも否めません。つまり、どうせインプットするならば、できる限りオーソドクスな英語の発音をインプットしたほうが良いことは否定できないでしょう。英語の産出(しゃべること)ではなく、英語の知覚(聞き取ること)に焦点を当てて学習するのであれば、なおのことインプットの「質」が重要となるのです。

 さて、今回は、英語の聞き取り能力を身につけるためには、日本語が確立する前に学習を始めることが最善であると同時に、英語習得の黄金期を逃してしまっても、インプット次第で英語のリスニング能力は高まることを書いて参りました。皆さまも是非諦めずに、英語の能力向上に努めていただきたいと思います。


【編集後記】

今回の記事をご覧になった方におすすめの記事をご紹介いたします。ぜひ下記の記事も併せてご覧ください。
小学英語で変わる中学受験事情
留学せずに英語を身につける方法
「それ知ってる」から始まる「知の世界」
「インプット」で育てる「国語力」が学力すべての土台となります
「覚える」より「考える」ことを好む子どもに育てる方法

【注目書籍】『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)

特集イメージ9 児童英語研究所・所長、船津洋が書き下ろした『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)でご紹介しているパルキッズプログラムは、誕生してから30年、10万組の親子が実践し成果を出してきた「超効率」勉強法です。書籍でご紹介しているメソッドと教材で、私たちと一緒にお子様をバイリンガルに育てましょう。


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プロフィール

船津 洋(Funatsu Hiroshi)

株式会社児童英語研究所 代表、言語学者。上智大学言語科学研究科言語学専攻修士。幼児英語教材「パルキッズ」をはじめ多数の教材制作・開発を行う。これまでの教務指導件数は6万件を越える。卒業生は難関校に多数合格、中学生で英検1級に合格するなど高い成果を上げている。大人向け英語学習本としてベストセラーとなった『たった80単語!読むだけで英語脳になる本』(三笠書房)など著書多数。

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