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2015年02月号特集

Vol.203 | 「一流」を育てる新条件

企業に「好かれる子」と「嫌われる子」は今決まる

written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)


※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。

引用・転載元:
http://palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-1502/
船津洋『「一流」を育てる新条件』(株式会社 児童英語研究所、2015年)


 今年もまた、受験シーズンがやって参りました。一口に「受験」といっても、幼稚園から大学院までさまざま。時期も9月から3月までの広範囲にわたっていますが、やはり受験と言えば、1月半ばの大学入試センター試験、2月頭の中学受験、2月から本格化する大学の一般入試と、2月半ばからの高校入試、このあたりは体験される方が多いでしょう。
 昭和の時代には、「人生最初の受験は高校入試」が一般的でしたが、今日では小学生の四分の一ほどは「中学入試」を体験します。まだ小学生ですので、当の本人からすれば、まだまだ受験生としての自覚は薄く、親に言われるがままに勉強している、というあたりが本当のところでしょう。しかし、大学受験にもなれば、これは本人の自覚次第。高3になってから慌てて勉強しても、なかなか思う大学へは進学できません。
 ところで、今年の大学受験事情ですが、完全なる「脱ゆとり」のカリキュラムになってからの一期生たちが受験します。新しくなった指導要領では英語や国語はあまり変わらないとして、選択科目では相当内容のボリュームがアップしています。特に理数系科目で、その傾向が顕著なようです。つまり、今年からは脱ゆとりの「増量教科書」で勉強した子たちが受験するのです。去年までの「ゆとり教科書」で勉強してきた浪人生たちからすれば、これほど恐ろしいことは無いでしょう。お気の毒です。
 さて、ここまで読んで「へぇ~、時代は変わったのねぇ」とか「まだまだ先の話だわ」と感じている皆様。そんな暢気さでは先が思いやられますぞ。大学受験はいつから始まっているのか?これが、ずいぶんと低年齢化しているのです。
 ちなみに、超難関といわれる大学(東大京大・早慶など)を受験する子たちの多くは、中高一貫校に通っています。それはそうです。公立中学校では、生徒の半数は大学へ進学しないわけですし、大半の子は偏差値50かそれ以下の高校へ進学するわけですので、授業のレベルはさほど高いものとはなり得ません。公立の場合には平等な授業が前提ですので、もちろん例外もありますが、公然と習熟度別にクラスを分けることははばかられます。超難関大学へ進学するならば、少なくとも地元のトップ高校へ入っておかないといけませんが、公立中での授業のレベルを考えれば、なかなか悩ましいところでしょう。
 その点、中高一貫校では最初から「大学進学を目指す」というコンセンサスがとれているので、前倒しの授業運営で6年分の内容を5年で終了、最後の1年は思いっきり大学受験に備えることができます。大学へ進むのなら、このメリットは計り知れません。ちなみに、そんな一貫校へ通う学生たち、その中でも東大を目指すような優秀な子たちは、高2の段階でセンター試験程度ならほぼ満点というのも当たり前のことのようです。二極化の進んだ、なんとも嫌な時代になっています。


| 社会の求める人材

 さて、昭和の「詰め込み教育」の反省から、もしくは過度な競争への反省から、「生きる力」などという言葉に象徴される「脱・学力」的な発言が、昨今、市民権を得ているような印象を受ける方も少なくないでしょう。
 また、大学の定員が大学進学を望む子どもの数より多い「供給過多」の状態ですから、今や望めば誰でも大学へ進学できます。「脱・学力」の言葉のままに、勉強しなくても大学へ行けるのです。その結果今日、「逃げる子」たちが増えています。
 「逃げる子」とは、勝負をしない子です。「自分とは関係ない」「頑張るのは格好が悪い」「自分の良さは学力では計れない」…こんな子が増えているのです。具体的には、「友だちと別れるのが嫌だから、中学受験はしない」「英語なんか自分には不要だから、英検は受けない」「自分の良さは勉強では無いので、難関校は目指さず自分のレベルにあった地元の高校へ推薦で進学する」などなど。
 もちろん、こんな子たちが高校に進んだからといって勉強し始めるはずはありませんので、大学へもAO・推薦入試で進学します。そして大学では、バイトに明け暮れ勉強しない。つまり、勉強ができない、まともに勉強をしたことがないのです。頑張ったことがないのです。そして、自分を点数化する「試験」などというものからは、ことごとく身を翻して逃げます。知識も無ければ、自分の能力を磨くこともできていない。「ありのままの自分」で生きているのです。
 そんな子たちが直面するのは、就職の難しさです。就職説明会のWEB申し込みでは「大学名」を記入すると「満席です」のメッセージが現れる(実際にあった話です)。やっと面接にこぎ着けても、大学入学時の選抜方法が「AO入試です」と答えれば、あっという間に面接終了。何十社回っても内定ひとつもらえない。「ありのまま」などと「逃げてきた」ツケです。


| 会社も大変

 昭和になって「農業から工業へ」、さらに戦後は「工業からサービス業へ」と、労働人口の占める割合は推移してきました。さらに、今では国内産業最大の受け皿である「サービス業」のあり方が、インターネットの急激な発達と共に随分と様変わりしているのです。
 たとえば、物販の世界では、従来、生産者から仲卸へ、仲卸から小売店へ、そして最終的に消費者の手へと、商品が提供されてきました。
 書籍であれば、出版社から取次店へ、そこから小売り書店、さらに消費者へと段階を踏んでいましたが、今では出版社自らインターネット通販で、取次店や小売店をスキップして消費者に直接販売できます。さらには、出版社すら通さずに、著作者が自分の著作物を電子書籍として、そのまま小売りのアマゾン等で販売することもできます。
 物販以外のサービスでも同じです。かつて、航空会社は、大手の旅行代理店へ席を割り当てて販売し、代理店ではそれを組み合わせてツアーを作り、消費者に販売していました。しかし、今日では誰でもインターネットを経由して、航空チケットを最安値で、さらに座席まで指定して直接購入できます。旅行代理店も、その販売スタイルを日々変化させ、実店舗からウェブ店舗へと重点が移り変わっています。
 さらにインターネット時代の今日、アイデアがあれば、もしくは商品に自信とオリジナリティー、クオリティーの高さがあれば、自ら生産して、自ら直接消費者へ販売することができるのです。
 これらのことが、何を意味するのか?そうです、人の仕事がコンピューターに取って代わられるのです。実店舗ならば、営業時間があり、もちろん店舗と人手が必要です。ところが、ウェブの店舗ならば24時間営業で、しかも人手がいらない、まさに「自動販売機」状態です。しかも、販売する内容がデジタルデータやオンラインサービス等であれば、在庫の補充すら不要です。このように、日本の賃金所得者の半数が従事する「サービス業」、第三次産業の世界では、どんどん人間がいらなくなっているのです。
 これに関しては、*本誌(2014年9月号)ですでに触れていますが、さらに関心のおありの向きはこちらをご参照ください。
“THE FUTURE OF EMPLOYMENT: How susceptible are jobs to computerization?”
 第一次産業は、今後かなりの成長が見込める分野だとは思いますが、農政の改革は遅々として進んでいませんので、労働者の受け入れ体制はなかなか整いません。また第二次産業では、デフレと円高、またグローバル化の当然の流れとして、国内生産・輸出よりも現地生産へ向かいます。これも日本人の職を奪っています。そして、第三次産業では既述の通り。ここのところ飲食系では雇用の改善が見られるようですが、景気が悪くなると真っ先に影響を受けるのも飲食業界です。「」と言われるだけあって、やはり不安定な雇用と言わざるを得ないでしょう。自然、雇用環境が悪化するのも定めなのかもしれません。もちろん「ブラック企業」を擁護するものではありませんが…。


| 優秀な営業マン

 インターネットの発達は、中間業者や、販売に関わる人たちから職を奪うばかりではありません。
 米大手スーパーのターゲットが、とある女子高生の妊娠を的確に予測し、その顧客分析の精度の高さが全米を驚かせた出来事、またビックデータを活用したインフルエンザ予測の精度の高さなどに見られるように、インターネットをうまく活用すれば、そこから様々な、しかも精度の高いデータを引き出すことが可能です。
 インターネットをブラウズしていると―たとえばニュースを読んだり、SNSで知人の近況などを覗いていると―、その傍らに広告が出てきます。もちろん、不特定多数へ向けての広告もありますが、自分の趣味や関心にぴったり合った広告が出てくることがあるはずです。旅行かもしれませんし、調理器具かもしれません、食品や化粧品、英会話教室の案内だったり、不動産の案内だったりします。
 これは、偶然ではありません。あなたが入力した検索キーワード、関心のあるブログや記事、またはそこからのクリックなど、様々な行動パターンから、あなたの関心の対象を絞り込み、それに合った広告を表示しているのです。
 つまり、顧客が何を欲しているのかを瞬時に把握し、その顧客に「あなたはひょっとしてこれが欲しいのではありませんか?」とさりげなく売り込む…。そんな、超能力者かプロファイラーのように優れた営業マンを雇うのと同じことが、インターネットの世界では可能になっています。しかも、人を雇うよりもはるかに低コストで実現できるのです。


| 理系人気

 このように、社会はどんどん進化していますが、社会に人材を送り出す側の学校教育は、この変化に対応できているのでしょうか。
 アメリカでは、Computer Science Education Weekというプログラムを通して、幼稚園児から高校3年生までのすべての子どもたちに、コンビューターサイエンスにより深い関心を持ってもらおうという動きが活発さを増しています。
 特筆すべきは、「幼稚園児から」という点でしょう。今の子どもたちが社会に出る頃には、コンピューターくらい使いこなせなくては生きてはいけないであろうことが容易に想像できます。画像・音声・動画・印刷物の制作や加工ソフト、または表計算やデータベースソフトを使いこなすのは当たり前、さらには簡単なプログラムまでできることが要求されるかもしれません。
 そして、そのような社会になることが避けられないのであれば、できるだけ早い段階でコンピューターサイエンスの教育をスタートする。これは当然の結論でしょう。
 日本では、この点進んでいるのか遅れているのか、どうなのでしょう。どうみても進んでいるとは思えません。もちろん一部の企業、一部の優秀な研究者や開発者たちは優れた能力を発揮していますが、一般の日本人にとってはコンピュータープログラムなどは無関係な世界。英語を身につけること以上に、その関心度は低いでしょう。
 しかし、企業はそんなスキルや知識を持った人材を、のどから手が出るほどに欲しています。
 それが、今日の「理系ブーム」につながります。かつて栄華を誇った文系学生の凋落は激しく、かわって地味な存在だった理系学生たちに注目が集まっています。これは、文系が悪くなったからでも、理系が良くなったからでもなく、世の中の仕組みがよりロジカルでクリティカルな人材を求め始めていることによります。物事を、主観的な、または人文科学の色めがねではなく、自然科学の観点から客観的に観察でき、そしてそれを理路整然と説明できる。そんな人材が必要とされているのです。
 さらに、「草食男子」などといわれるように、おしとやかで引っ込み思案で怠け者になりがちな男子よりも、自覚や責任感が強く、放っておいても黙々と働く女子に人気が集まるのも無理はないでしょう。
 ちなみに、当の学生の立場に立ってみると、さらに「理系有利」が見えてきます。文系には文系就職の道しかない一方で、理系は理系就職も文系就職もできるのです。お子さんの進路を考える上で、参考にすべきかもしれません。


| いつから就職について考えるべきか

 また、昨今の就職難について。大卒の就職率は80%といわれています。また、これは「悪くない数字なのだ」ともいわれていますが、どうなのでしょう。
 もともとこの数字、分母は大学卒業者数ではありません。進学する学生は省かれているのは当然ですが、家事手伝いやフリーターなどは、「就職の意思なし」とみなされて分母から差し引かれています。現実の就職率は、もっと低いと見なした方が賢明でしょう。
 さらに、もうひとつ。これがとても重要です。就職率というのは、「自分の望む企業、職種に就職できた人」の割合ではありません。「好むと好まざるとに関わらず、何かしらの職業に就けた人」のパーセンテージです。就職後3年以内の離職率が3割を超えているのは、企業側の問題もさることながら、学生たちの就職に対する自覚のなさも原因として挙げられるのではないでしょうか。
 勉強から逃げ続けてきた学生たちは、就職してからも仕事から逃げてしまうのでしょう。そして、親は積極的ではないにせよ、それを受け入れてしまう、もしくは受け入れざるを得ず、その後新たに職を得られれば良いですが、無職のままで実家に居着いてしまうことも現実に起こっています。
 一方で、医師や弁護士、薬剤師、パイロット、教師、プログラマー、コンサルタント…などなど、自分のやりたい職にありつけた人たちは、それなりの苦労はするでしょうが、社会の一員として成長していきます。
 もちろん、自分の希望する職業には就けなくても、夢中に働いているうちに、充実した生活を手に入れられる人たちも大勢います。しかし、自分の望む職に就ける方が良いのは言うまでもありません。
 大学生よりは高校生、高校生よりは中学生、中学生よりは小学生と、なるべく早い段階から、来たるべき社会の一員となる日を想像しながら、勉学にいそしみ、その中で自分の夢をさらにくっきりと描く。…そのように自分の将来を考えている子どもたちの方が、何事もがんばれるし、ひいては、あらゆる意味でより豊かな人生を送れる可能性が高いことも、言うまでもないでしょう。


| 学校では教えてくれない技能

 ところで、企業では理系の能力を求めると同時に、社員に「コミュニケーション力」を求める傾向が強まっています。昭和の時代の「協調性」とか、ひと昔前の「チャレンジ精神」などを抜き、今ではコミュニケーション能力がもてはやされるのです。
 つらつら思うに、コンピューターサイエンスといい、コミュニケーション能力といい、どうやら「学校では教えてくれない能力」を企業側は求める傾向にあるようです。「使える英語力」に関しては、改めて述べるまでもありませんね。
 1、コミュニケーション能力
 2、コンピュータサイエンスの知識
 3、使える英語力
 この3つの能力、一見するとお互いまるで無関係かのように見えます。ところが、よくよく見ていると、この3つには共通点があることがわかります。
 日本人は、おしなべてコミュニケーション能力が低い傾向にあります。コミュニケーション能力とは、単におしゃべりすることではありませんし、多くしゃべることでもありません。英英辞書によれば、コミュニケーションとは「考え方や感情などの情報を効果的に伝えること」とあります。つまり、「情報伝達の手段」であるわけです。情報伝達なのであれば、正確さが求められます。こちら側が伝えているつもりでも、相手が正確に理解していなければ、コミュニケーションは不成立なのです。
 感情や考え方とは、きわめて複雑なものですから、正確に伝えることは大変です。たとえば、特定の店の特定の料理が好きだとします。それを伝えるにあたって「あの店が好きだよ」と発すればコミュニケーションが始まります。そして、相手が「どうして?」と尋ねたら、それに対して「これこれがおいしいから」と味の特徴などを答えます。大抵はここまでが、日本人のコミュニケーションのあり方です。
 しかし、さらに相手が「他に理由は無いの?」と聞いたとします。日本文化の中では「そんなこと」を尋ねる人はあまり存在しませんので、さらに突っ込んで尋ねられたら面食らってしまう人が多いでしょう。しかし、西洋的な考え方では、ここからがコミュニケーションです。
 「なぜあなたはこの料理が好きなのか?」「なぜあなたはこの映画が好きなのか?」「なぜあなたはそのような考え方をするのか?」このようなやりとりを繰り返すうちに、相手のことがより深くわかるようになるのです。
 日本人は、言ってみれば単一民族ですので、みんなが同じような考え方をするものだと漠然と感じています。ところが、西洋では相手と自分は違うのが大前提です。そして、そこからコミュニケーションを通して互いの理解がスタートするのです。彼らと話していると、考え方を伝えるどころか、コミュニケーションを通して内観が始まってしまう有様です。
 なぜこうなのか?なぜこうなるのか?どのようにしてこうなるのか?このような質問に対しては、「これこれこうだから」こうなのだ!という論理性が求められます。例えばアメリカ人は、子どもの頃から日常的にこのような思考訓練がなされているので、日本人よりは論理的にものを考えることができます。もっとも、論理的思考ができても、そこに知識の裏打ちがなければ、そのようなコミュニケーションは単なる「へりくつ」の連続に過ぎませんが。
 さて、この論理性。その権化がコンピュータサイエンスと言ってもよいでしょう。もしひとつでもロジックが間違っていれば、プログラム自体が用をなしません。コンピュータに対しては「そんな堅いこと言わないで、適当にやっておいてよ」的な考え方は、一切通用しません。一度プログラムを始めたら、最後の1行まで順を追って突き詰めて考えていく、理論の体系を組み上げていく、そんな論理性との格闘が求められるのです。
 このように、コミュニケーション能力とコンピュータサイエンスに共通して不可欠なのが、論理性です。そして、その論理的思考の習慣づけは理系頭と共通します。
 そして、3つ目の「英語」です。英語というのは、かくも論理性の高い言語です。たとえば日本語で書かれたエッセイ、これを日本語で読んでも違和感が無いのですが、一度英語に訳すと、ひどいことになっている…、そんなことがしばしば起こります。(主語は「日本語で書かれたエッセイ」です。)
 かくいう私の文章も、日本語では「これはヒドイ」というほど論理が飛躍していたり、順番があべこべだったりすることがあります。しかし、最初から英語で文章を書けばそんなことは起こりません。日本語ではなく英語で書くだけで、きちんと筋の通った文章を書けるのです。これはひとえに、日本語自体が論理性の欠如を許容する言語なのに対して、英語は論理性の欠如に厳しい言語であるともいえるでしょう。
 つまり、英語の文章をたくさん読み、英語でエッセイも書けるようになる、つまり「英語を身につける」ということは、単に語学力のみにとどまらず、知らず知らずのうちに「論理的思考のトレーニング」にもなっているのです。
 しかも、コンピューターのプログラム言語は、英語をベースに組み上げられているので、英語とコンピューターサイエンスには高い親和性があると言えます。

 さて、学校で教えてくれない以上の「3つの能力」―社会で重宝される能力―を身につけるには、どの順番が良いのでしょう。
 言うまでもなく、まずは英語です。英語を身につけるところからスタートし、そしてロジカルな思考法を身につける。さらに理系の道を進めば、そのロジカルさに磨きをかけられるでしょう。英語力があれば、プログラム言語にも怖じ気づくことはありません。コンピュータサイエンスを学び、技術の進歩の恩恵をフルに活用できる能力を身につけましょう。また、論理的に掘り下げて考えたことを、相手に正確かつ効果的に伝えるトレーニングを通して、コミュニケーション力を伸ばしましょう。もちろん「英語の壁」などありませんから、伝える相手は世界中にいます。活躍の可能性は無限です。
 これらのすべてが「英語」から始まるといっても過言ではないのです。


| 「やってて良かったね。パルキッズ♪」

 わずか20年前までは、まさかインターネットがここまで社会のあり方を変えてしまうとは、誰に想像できたでしょうか。そしてその変化の度合いは、スピードを増して進んでいます。これから10年後、20年後に社会へとはじき出されてしまう子どもたちは、どんな世の中を生きていくのか、考えるだに空恐ろしくなります。
 インターネットは、万能のツールではありません。その役割は、主に人と人とのつながりをより便利に、より複雑にすることです。結局は、それらをコントロールして使いこなすのは人間なのです。そしていかに未来とはいえ、人と人とのつながりがベースになった社会であることは間違いないでしょう。とすれば、既述の3つの技能は、いずれにしても必要となるのです。
 少しでも人生を豊かに生きるために、まずは英語からです。早い段階にしっかりと身につけさせてしまいましょう。


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プロフィール

船津 洋(Funatsu Hiroshi)

株式会社児童英語研究所 代表。幼児英語教材「パルキッズ」をはじめ多数の教材制作・開発を行う。これまでの教務指導件数は6万件を越える。卒業生は難関校に多数合格、中学生で英検1級に合格するなど高い成果を上げている。大人向け英語学習本としてベストセラーとなった『たった80単語!読むだけで英語脳になる本』(三笠書房)など著書多数。

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