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2016年05月号特集

Vol.218 | 子どもの主体性を育てる

もう「やる気」だけでは生き抜けない?!

written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)


※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。

引用・転載元:
http://palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-1605/
船津洋『子どもの主体性を育てる』(株式会社 児童英語研究所、2016年)


特集イメージ1 他日ぼんやりテレビのニュースを眺めていたら、昨今の就活事情を報じていました。去年は面接などの選考活動解禁が従来の4月から8月に先送りになりましたが、かなりの混乱があったようです。今春から社会人となった我が家の長男は、短い就活期間のテストケースとなったわけです。そして今年は昨年の反省を踏まえたのか、間を取っての6月に前倒し。振り回されている学生はじめ関係者の皆様におかれましては、まったく以てお気の毒なことです。
 さて、そのニュースの中で学生がインタビューに答えていたのですが、とある男子学生が「少しでも良い企業に就職したいです」と答えていたのを観て唖然としてしまいました。
 良い企業に就職したい。一体全体どういうことなのでしょうか。「良い企業」とは何なのでしょう?確かに「ブラック企業」などと呼ばれる、社員を使い捨てにするような企業もあります。IT業界におけるプログラマーやサービス業界における正社員がそんな被害に遭っているなどとは、しばしば耳にする話です。ブラック企業が良い企業ではなさそうなことは分かりますが、では「良い企業」とは何でしょう。給料が良い企業でしょうか、雇用を保障してくれる勤め先でしょうか、福利厚生の充実している会社でしょうか。もちろん、それらのことも就職するときに考慮に入れるでしょう。(もっとも終身雇用を保障するような企業はもはや皆無でしょうが…)
 しかし、どうもその学生の言う「良い企業」には「大企業」とか「有名な企業」というニュアンスが感じられたのです。装飾品としての企業ですね。例えれば、婚活パーティーで男性が「少しでも器量よしと付き合いたい」とか、女性が「少しでもかっこいい人と付き合いたい」と言っているようなもの。こんな考え方では、異性にも相手にされないことでしょう。そんな薄っぺらな思考しか持っていない人とお付き合いするのは、ちょっと遠慮したいところです。


| やりたいことがない

特集イメージ2 僕の講演会に参加いただいた方は、「プランA・プランB」の話はご記憶にあるかもしれません。お子さんの将来の夢の話で、「プランA」は具体的な夢、スポーツ選手や宇宙飛行士、医者に教師に音楽家などになることです。幼児・児童期の子どもたちは無邪気な夢を列挙するものです。もちろん、それはコロコロ変わったりもします。ただ、そのように気分やテレビドラマの影響で変わるようなフワフワした夢ではなく、地に足の付いた本気の夢を親子で語り合いましょう、などと話をさせていただいております。そして、地に足が付いた夢を「プランA」と呼んでいます。
 しかし、なかなか具体的な夢を抱けない子もいます。それどころか、具体的な夢を抱けない子の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。「プランA」を持てるということは極めて幸運なことなのです。ちなみに夢を見つけられるまでは、「プランB」で旧帝大をめざした勉強をするようにアドバイスしています。
 具体的な夢を追い続けたり、旧帝大に入れるような学力を身につけるべく勉強したりするような子どもたちは、実はとても恵まれています。実際には、どちらもできずに宙ぶらりんな子どもたちが多いのです


| 「とりあえず」大学

特集イメージ3 「全入時代」といわれるように、望めば誰でも大学生になれる時代になって10年ほど経過しました。大学への進学率は6割に上っています。先月号の特集でも触れましたが、貸与型の奨学金(「奨学金」とは名ばかりで単なる有利子の貸し付けです)を使っている学生はなんと130万人を越え、学生の2人に1人は借金で学費を賄っているというのですから驚きです。
 脇道にそれましたが、大学側の席数の供給過多に加えて、学費借り入れの手軽さ(が後押ししているのかどうかは定かではありませんが)など、誰でも大学生になれる環境が整っているようです。
 ところで、夢の話に戻りましょう。大学へ進学するのは結構なことなのですが、何か夢があって、それを叶えるために大学へ行く子がいれば、そうでない子もいます。ひと昔前なら高卒で就職する子も、環境が整い、世の中の雰囲気が「大学進学アタリマエ」の様相を呈しているので、とりあえず大学に行って就職を4年間先延ばしするケースも少なくないでしょう。もちろん高卒よりも大卒の方が「平均的」には、わずかながら給料が高いので、その点も大学進学を後押ししているのでしょう。


| 「赤信号みんなで渡れば…」式

特集イメージ4 かつての寿司職人は中卒で小僧として修行を始めたものでしたが、それが高卒になり、今日では大卒の寿司職人も珍しくはありません。時代は変わったものです。日本人全体として学歴が上がっていくのは好ましいことです。(もちろん内容が伴えば、という前提付きであることは言うまでもありませんが。)
 ところが、繰り返しになりますが、どうも最近の風潮として、大学が単なる「就職の先延ばし」の受け皿になっている印象を受けるのは僕だけではないでしょう。
 小学校から、みんなそろって中学へ行く。私立の中高一貫校などへ行けば、多様性の豊かな公立校よりは似た境遇の仲間と勉強することができますが、それも程度の差でしょう。結局はみんなと同じく高校へ進みます。高校受験を経た場合も、学力である程度振り分けられることになり、自分と似たり寄ったりのレベルの人たちと机を並べることになります。そして、大学です。自分とあまり大差のない人たちがいる大学へと進学することになります。
 つまり、何となくそこにいて、何となく勉強していれば、節目節目で振り分けられて、さらに自分と似たり寄ったりの人たちと中学、高校、大学で学ぶことになるわけです。もちろん、中には上を目指す学生もいます。感心なことです。しかし、特に頑張らなくても、似たり寄ったりの仲間たちがそこにいるわけです。
 そして、就職です。優秀な学生、積極的な学生、意欲的な学生は、就職に対しても意識が高く、自分の未来のあり方に関して考える機会も多い結果、そうでない学生に比べれば未来像がしっかりしているでしょう。企業としては主体的な学生が欲しいわけですから、そのような学生の方が就活ではうまく行く傾向にあると考えるのは妥当でしょう。
 一方、節目節目で周りの皆と同じように、「みんなで渡れば」式で中高大と進んできた学生は、ここで苦労するわけです。自分の将来像がイメージできていないので、相対的にものを見ます。その結果、「少しでも良い企業」的な発言となってしまうのでしょう。
 別にルール違反をするわけではなくとも、どうやら「仲間」がいれば何事も怖くないらしいのです。その仲間がどんな人たちであろうと、自分と同じような境遇の人がいれば何となく安心…。しかし、長い人生を生きる上で、こんな姿勢ほど恐ろしいものはないでしょう


| グローバル化は平均化

特集イメージ3 昭和は遠くになりにけり。戦後復興から高度成長期、金の卵たちが集団就職する「昭和」というステキな時代がありました。僕の世代(50歳前後)が、バブルの雰囲気をギリギリ感じられる最後の世代でした。もちろん当時は若手でしたので、所得面での恩恵はあまり受けていませんが、職探しや福利厚生などにおいては随分と恵まれた時代でした。
 しかし、そんな僕らの世代(バブル入社最終世代)が、今厳しい現実を体験しています。早期退職という名の緩やかなリストラや、「追い出し部屋」に象徴される自主退社を促進するような仕組みなど、終身雇用がまったく当てにならなくなってきたのです。もともと企業には、社員を退職まで雇用し続ける義務などありません。たまたま無期の雇用契約が自動更新して退職に至るケースが多かったので、皆が退職まで雇ってもらえていたわけです。しかし今となっては昭和のような沸き立つ経済の状態はありません。企業も生き残りをかけて、時代に合った平成の経営スタイルを模索するのは当然のことでしょう。
 終身雇用ばかりでなく、年功序列型賃金も都市伝説のようになりつつあります。平成になってから急速に広がったIT技術の革新と時を同じくして、それまでゆるゆると進行していたグローバル化が急速に日本全体を飲み込んで行き、それは現在も進行中です。グローバル化は二極化をもたらすとともに、エスニックな文化を世界スタンダードへと変えていきます。つまり終身雇用・年功序列をはじめとする日本の古き良き企業文化も、グローバル化の波に飲み込まれ、だんだんと特殊性を失っていくのは自然な流れなのかもしれません。これが平成なのです。


| 昭和ぼけ

特集イメージ3 僕の世代で、特に厳しい現実に晒されている人たちは、平成の不況にチューニングを迫られてきました。そして、僕より下の世代(40歳前後)は「ロストジェネレーション」と呼ばれるように、就職でも苦労、社会に出ても好景気を経験する機会が無く「景気が良いってどういうこと?」然としているわけです。この世代は好景気を経験していないので、地道に淡々と自分の道を進んでいきます。バブルを知らなくて逆に良かったのでしょう。
 問題は、いまだにどこかにバブル経済の亡霊がいて、それが就職活動における「有名企業希望」に繋がっているということでしょう。名前が通っている企業に勤めればどうにかなる、もうそんな時代ではないのですが、いまだにそんな「昭和アタマ」の就活をしてしまう学生がいるのではないでしょうか


| 主体性

特集イメージ3 企業が学生に求める能力の第1位は「コミュニケーション能力」です。同じく常に上位にランクしているのが「主体性」です。
 主体性。これは日本人にとっては、獲得に手こずる能力であることは間違いないでしょう。単純な話です。「みんなと一緒にいれば安心」的な考え方と「主体性」は相反する概念なのです。皆と一緒にいること、集団からはみ出さないでいることに注意を払わなくてはいけない文化において、主体性の獲得とは、一歩間違えれば集団からの離別を意味するからです。
 学生たちと一緒にいる時間が長くなると、彼等を見ていてやはり気になるのは主体性の乏しさです。授業でも積極的に手を挙げたりはしません。間違えるのが嫌なのか、あまり積極的であることによって集団からはみ出すのが嫌なのか、できれば何事もせずに1コマ1コマが過ぎ去るのを待っているようにすら見えます。
 もちろん、彼等には自分の意見がないのではありません。意外としっかりとしています。それが証拠に、一人で行う作業はさっさとやっつけられるのです。ただ、集団の中に入ると、どうしても周りの様子を見てしまうのです。グループでの作業でも、誰もリーダーになりたがらない、作業分担の際もだんまりを決め込む…。しかし、一度分担が決まれば、それはもはや自分の作業ですから、さっさとやっつけられるのです。
 ではリーダー役ができないのか?というとそうでもないようで、いざ自分がその役割を帯びればきちんとこなせます。しかし、「できればやりたくない」のでしょう。皆で集まっても、だんまりを決め込むのです。主体性どころか、積極性がないのです。


| コミュニケーションの方法が変わった

特集イメージ3 世間ではやれ「ゆとり」だ「さとり」だと、若者の生態を分析することが一般的なようですが、昭和から平成にかけて、時代がどんどん変わっていることを抜きに、若者のあり方を考えることはできないでしょう。特にコミュニケーションをはじめとした情報へのアクセスのあり方が一変しているのです
 平成の初めの頃までは、ニュースソースといえば、新聞・雑誌などの紙媒体とテレビやラジオが主体でした。ところが、平成に入ってからは「インターネット」という媒体が急速に広がり、今では他の媒体(新聞・雑誌、ラジオ、テレビ)を圧倒するに至っています。
 僕らの時代はインターネットの出始めの頃なので、同世代でも「ネットは苦手」などと言う向きも少なからずありますが、今日、インターネットと無縁な学生は皆無でしょう。生まれたときからインターネットがあり、当たり前のように「LINE」で家族や友人と連絡を取ってきた世代です。
 僕が大学生の頃は、「携帯電話」すらありませんでした。就職してから「ポケベル」を持たされている人も結構いました。当時は街の至る所に公衆電話があり、財布にテレホンカードを持ち歩かない人は珍しかったのではないでしょうか。そして、携帯電話が普及しはじめます。つまり、人とのコミュニケーションは主に対面で行われ、それが叶わないときには電話越しに会話が行われていたのです。
 その後、インターネットの普及とともに「メール」というコミュニケーション形態が広がります。ファクスや通話がメールになったのです。それが今ではLINEなどをはじめとするSNSが主流です。もちろん、ビジネスの世界では、もしくは我々年配の者たちは、未だにメールを使いますが、学生たちはこのメールすら面倒がるのです。
 もちろん、電話(スマートフォン)も持っています。しかし、驚くことに友人同士ではお互いの電話番号を知らないことすら珍しくありません。つまり、今の若者たちは基本的に「電話はかけない」のです。加えてメールも、必要なとき以外はあまり使用せず、日常のことは、学友とのやりとりも含めて、SNSで済ませてしまいます
 このSNSですが、少し気になるのが「既読」が分かる点です。相手、もしくはグループ中の何人が自分の投稿を「読んだ」のかが解るのです。毎日のように使っていて何となく解るのですが、既読をつけるというのは「読んだよ」というメッセージの役割を果たしています。これは、メールの宛先に使用する “CC”(Carbon Copyの略; 同報したい相手に送る場合等に使用)と、どこか相通ずるところがあるように思えます。「みんなにはメールしたからね」=「自分の役割は果たしたよ」という意思表示と、何か通ずるような気がしてなりません。
 また、SNS上のやり取りでは、文章が短くなります。なるべくひと言で自分の言いたいことを言おうとし、終いには、言葉すら使わずにスタンプなるイラストで、自分の気持ちや意見を表明するようになるのです。
 つまり、以前は会話で行われていたコミュニケーションがひと言メッセージで代用されるようになり、今時の子どもたちはそのコミュニケーションスタイルに慣れきってしまっているのです。
 また、僕らの時代は、授業の休講や履修登録などは、実際に学校に行かないと何も始まりませんでした。足で稼がなければ、情報は入手できなかったのです。それが今では、スマホで様々な情報があっという間に手に入ります。場所や時間に束縛されずに、瞬時に情報が手に入るようになっていて、今ではそれがアタリマエなのです。
 このように、インターネットの発達によって、若者たちの生活スタイルが加速度的に様変わりしていることは、常に念頭に置かなくてはいけないでしょう。


| 主体性をどう育てるか?

特集イメージ4 さて、手軽な情報交換に慣れてしまった子どもたち。彼らはじっくり話し合うよりも、さらっとコミュニケートを済ませてしまいます。どうしても表面的になりがちなのは仕方がありません。加えてそんな手軽なコミュニケーションツールの負の遺産として、サイバー・ブリイング(ネットいじめ)がはびこっていしまい、ますます「いじめ」が目に見えなくなってきています。そんな中で、集団からはみ出したくない、目立ちたくないという意識が働けば、積極的であることや自発的であることを避ける雰囲気が生まれるのも仕方が無いことでしょう。
 つまり、「主体性」が育たない、もしくは以前にも増して育ちにくい風土になっているのかもしれません。企業は主体性を求め、学生たちは安定を求める…。お互いの欲求がかみ合わなくなっているのです。
 しかし、繰り返しますが、時は平成。企業は以前のように社員を守ってはくれません。これからの時代は、自分の人生を組織にゆだねるのではなく、主体的に切り開いていくことが求められます
 「主体性」とは何でしょう。今の若者たちには「自主的」に課題をクリアする能力は、思いのほか身についています。しかし「自発的」ではない。与えられたことはこなしますが、自ら進んで「積極的」に手を挙げることは避けるのです。
 「主体」とは「自覚や意思を持ち、動作・作用を他に及ぼす存在としての人間。機械や製品の主要部分」(広辞林)とあります。また「自主」とは「他人の干渉・保護を受けずに、自分の判断で行動すること。自主的な運営。」とあります。ちなみに、「自発」とは「他から命令されたり矯正されたりせずに自分から進んで物事をすること。自発的な学習。」となっています。
 これらを整理すれば、例えばそこにある課題を人から言われずに自ら進んで取り組めばそれは「自発的」で、その課題を人の手を借りずにやり遂げれば、それは「自主的」なことになります。ただ、「主体性」とは、これらとは次元の違う概念のようです。
 目の前にあるやるべき事にいかに取り組むのかが「自発性」や「自主性」だとすると、「主体性」とは何をやるべきなのかの取捨選択を含め、自己判断していくことと言えるでしょう。自発的で自主性があっても、主体性のない人はたくさんいます。そのような中、やるべきことを与えると動く「指示待ち型」ではなく、自分で何をすべきなのかを考えて問題を解決していく、そんな「主体性」を備えた人間を、企業をはじめ誰もが欲しているのです
 繰り返しますが、現代の日本の教育現場では、放っておいても自主性が育つようなことは期待できないでしょう。では、いかにして主体性を育てるのでしょうか。
 そもそも、主体性を発揮するためには、豊かな「情報力」と的確な「判断力」、巧みな「処理能力」が不可欠です。それらはどのように培われるのでしょうか。
 情報力にはあらゆる物事に関心を抱く好奇心が、判断力には豊かな情報力と未来を見据える想像力が、そして実際の処理に際しては豊富な経験が必要です。まずは、何事にも自発的に当たり経験を重ね、常に物事に関心を持ち続ける姿勢が欠かせないでしょう。
 例えば、日常生活においては、家事などの言いつけられた手伝いに、面倒くさがらず笑顔で取り組む自主性を育てましょう。そこから、人から言われなくても自分の分担はこなす自発性が育ちます。加えて、情報豊かな子どもに育てるために、ありとあらゆる知識を吸収させてあげましょう。実際の体験も有効ですが、一番手軽で身近なのは本を読ませることです。
 家事の分担と読書。簡単なことですが、この連続が10年後、20年後、30年後の子どもたちの人生大きく左右するかもしれません。「主体的」な子どもに育てる。そんなことを常に頭の片隅に置いて育児に当たるのが、今の時代の子育て法としては賢明なのかもしれません。


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プロフィール

船津 洋(Funatsu Hiroshi)

株式会社児童英語研究所 代表。幼児英語教材「パルキッズ」をはじめ多数の教材制作・開発を行う。これまでの教務指導件数は6万件を越える。卒業生は難関校に多数合格、中学生で英検1級に合格するなど高い成果を上げている。大人向け英語学習本としてベストセラーとなった『たった80単語!読むだけで英語脳になる本』(三笠書房)など著書多数。

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