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2018年4月号特集

Vol.241 | 「生活言語」と「学習言語」

「日本語」と「国語」の違いに見る、日本人に足りない英語力とは

written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)



プロフィール

船津 洋(Funatsu Hiroshi)

1965年生まれ。東京都出身。株式会社児童英語研究所・代表取締役。上智大学外国語学部英語学科卒業後、言語学の研究者として、日本人の英語習得の在り方を研究中。35年以上、幼児・児童向け英語教材開発の通して英語教育に携わる経営者である一方、3児の父、そして孫1人を持つ親として、保護者の視点に立ったバイリンガル教育コンテンツを発信し、支持を得ている。著書に20万部のベストセラーを記録した『たった80単語「読むだけで」英語脳になる本』(三笠書房)をはじめ『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)など多数ある。


特集イメージ1 必修化されたと思ったら、あれよあれよという間に評価対象の教科化が近づいている小学校の英語教育。好むと好まざるとに関わらず、日本で子育てをするならば、誰もがみなこの「小学校英語」の洗礼を受けることになります。
 学校における英語教育は様々な改革を経て現在の形、つまり「英語は英語で」「4技能バランス良く」教わる事となっています。そしてバランス良く教わった結果、身に付いた英語力を民間の技能試験で測定して、大学入試の参考にするとかしないとか。世の中はこぞって「話す力だ」「表現力だ」と傾倒する一方で、東京大学は早速、そんな流れに水を差すかのごとく、「民間試験を合否判定に使用せず」のコメントを出したことが報じられたりと、相変わらず英語教育界は混迷を極めているようです。
 小学校英語も評価対象となるものの、何を評価するのかなど具体的な指標はこれから作られるようですし、また、そもそも小学生に英語を指導する教師の資格に関しても、簡易化して広く民間人を使うなどの漠然とした方針が打ち出されたり、内容に関しても中学英語の先取りにならないようにするなど、クリアしなくてはいけないハードルはまだまだ多そうです。
 小学校で英語教育が始まって間もない頃耳にしたエピソードですが、授業の中に先生が「キャットを英語でどう書くか」を問い、それに対してとある生徒が ‘cat’ と答えたところ ‘kyatto’ と訂正された事があるとか。このエピソードにも見え隠れしますが、’cat’ の綴りは中学校での指導内容なので、小学校ではローマ字で ‘kyatto’ と綴る以外指導のしようがないのでしょう。「先生が悪い」などと言った単純な問題ではなく、仕組み自体に齟齬がある一例ではないでしょうか。
 また、『パルキッズ』の生徒では小学生の低学年で英検の2級などを持っているケースが考えられます。とある生徒は小学校の英語の時間に英語を口にしたところ「発音が生意気」と指摘されたと耳にしたこともあります。小学校の教員資格を有する者で英語の指導が出来る人材は極めて限られている点も、小学英語のこれからの課題であることは間違いないでしょう。しかし、いずれにしても、これからの子どもたちはそんな「小学校英語」を必修科目として履修することになるわけです。
 そして、『パルキッズ通信2月号』にも書きましたが、そんな学校英語の “現実” と別のところで卒業生を受け入れる中学校側では、早くも大学入試を視野に入れた学生の獲得に乗り出していて、「小学校英語の教科化」が始まってもいない現段階で、すでに選抜試験での「英語力保持者優遇」を打ち出しているのです。


| 学校英語と『パルキッズ』の英語の違い

特集イメージ2 さて、そのような発展途上の小学校英語の海原に子どもたちは放り出されることになるわけですが、小学校での指導は小学校での指導、その後に続く中学校での授業も中学校なりの授業として、必修科目ですから避けて通ることは出来ません。『パルキッズ』で学習中の子どもたちはそんな授業とどのように付き合っていくことになるのでしょうか。と、ここまで書いていて、もう15年以上も前のエピソードを思い出しました。
 今はもう社会人となって久しいとある(といっても知る人ぞ知る)生徒が中学校の英語の授業に抱いた感想です。その子は中1の一学期で英検1級を取ることになるのですが、そんな実力者が中1の英語の授業をどう感じてどんな態度を取るのか、気になるところではないでしょうか。ちょっとばかり英語が出来る子が、先生の発音を小馬鹿にしたなどということも珍しくないようですから。
 ところが、当のその子は家に帰って「(英語の)○○先生って面白いんだよ。’I my me mine’ とか教えてくれた」と喜んで母親に報告したそうです。ちなみに、このエピソードを聞いてから、英語のネイティブスピーカーに会う毎に’I my me mine, you your you yours, he?’と私はやってみるのですが、一様に彼らは戸惑いを見せ、「そんな風に考えたこともない」「そんな教え方をするのか」と興味を示します。
 確かに、日本の英語教育はかなりユニークで、その教え方は英語の母語話者の目には「新鮮」と映るのかもしれません。例えば、バイリンガルのハーフ(ダブルというらしいです)が中学校で英語の授業を受けたとしても、先生の日本語的な英語の発音は「からかい」の対象とはなり得ず、その授業内容に「へぇ~」と興味を抱くのが自然なのです。我々の母語である日本語に置き換えて考えてみれば氷解です。例えば、日本語に堪能な外国人の日本語教師に日本語の文法を改めて習うとき、そこには新鮮さはあれど、教師の発音や彼らの日本語の運用に対する侮りなどは存在し得ないのです。
 少し話が逸れましたが、『パルキッズ』での英語学習は「第一外国語」としての “英語習得” ではなく、「第二母語」としての “獲得” を目指しています。英語で言えば ‘learning’ ではなく ‘acquisition’ です。我々は母語である日本語を耳にして、それらを単語単位に切り出し、意味のある句単位でそれらを次々と、あるいはイメージ化したり、あるいは理解しています。最早文の理解と言うよりも、裏の意味の理解とも言える複雑なことすらも意識せずにやってのけています。簡単な例を挙げると、「お腹空いたね」に対し「カレーが食べたい」と言ったら、これは厳密には質問に答えていないことが分かります。受け手は発話者の「お腹が空いた」との定義を耳にして、発話者の意図、つまり「私はお腹が空いたけど、あなたもお腹が空かない?何か食べましょうか?」を読み取り、それに対して、おそらく即座に頭に浮かぶイメージ、この場合には ‘カレーライス’ を言語に載せて発するわけです。
 これらの脳内の言語の処理作業は単純そうで、結構複雑なことなのです。そして、このような複雑な作業、言語学風に言えば日本語の音韻の知識でもって、日本語の連続音声を意味のある語(形態素)に切り出(分節)して、さらに日本語の統語(文法)知識に参照して文の表面的な意味を理解し、それだけではなく意味論や語用論的な談話の知識も総動員して相手の意図を理解する、そんなことを日常的に出来る言語力、つまり母語で行っているような言語処理力を英語においても身につけさせてしまおう、というのが『パルキッズ』学習のゴールなのです。
 繰り返しますが、これは学校で教わる「英語」とは根本的に異質であることを改めて強調しておきます。『パルキッズ』の学習では上記のような英語の獲得を目標にしており、つまり、母語のように日常的に使える英語力を身につけることを目標としている一方で、学校での英語はこれとは全くアプローチが異なる教授法を採用しています。学校英語ではユニークでさらに、微に入り細に入る文法を教えてくれますし、ドラマのような会話のパターンも教えてくれます。ディベートするようですし、レポートも書くことになるようですので、学校英語とはさしずめ、「日本語」が出来る小学生に対する「国語」の授業のようなものだと考えれば良いでしょう。それはそれで、とても重要な教務内容であることは否定出来ないでしょう。


| 「日本語力」と「国語力」の関係

特集イメージ3 さて、そのような日本の英語教育、つまり、「日本語話者にとっての国語の授業」のような英語教育を子どもたちは小学校から高校の長きにわたって受けることになりますが、それでは、学校の外で行われる英語の取り組みとはどのようなものが考えられるのでしょうか。例えば我々の母語の「日本語」に置き換えて考えてみると、小学校で「国語」の授業が始まる前に、家庭ではどのような「日本語」の力を子どもに身につけさせてやるのが好ましいのでしょうか。それが分かれば、件の英語に関しても、どのような力を身につけさせるのが好ましいのかのヒントになるでしょう。
 私の上の子が幼稚園児だった二十数年前には(彼の通った)幼稚園では文字を教えてはくれませんでした。文字は小学校で習うものらしく、幼稚園で教えると先取りになってしまうわけです。そして小学校の入学までは「文字」は教えなくて良いと指導されることになります。その結果、学習があまり得意でない子、文字のような抽象的な記号を覚えるのが苦手な子の中には、小学校の四年生になってもカタカナが読めなかったりしたものです。小学生の中学年でカタカナが読めないということは、読書に重大な支障を来します。そんな子はあまり本を読まずに小学校を卒業するのでしょうし、あまり本を読まずに小学校を卒業してしまえば、中学生になって抽象的な文章の読解に出会えば大変戸惑うことでしょうし、その程度の読解力しか有していなければ、大学への進学もままならないでしょう。つまり、母語である「日本語」を話すことは出来ても、「国語」が苦手であれば、日本語の運用力にも大きな影を落とすことになります。それが小学校の「国語」との出会いの時に子どもたちが有している「日本語力」に大きく左右されてしまうのです。
 このように、一つの言語である日本語ですが、子どもたちは「日本語」として、また「国語」として別の出会い方をして、さらに、別の能力を持っているのです。そして、小学校入学までに「日本語力」を育てておかないと小学校からの「国語」の学習の足を引っ張ることまでは分かりました。それでは教科としての「国語」に接する前にいかなるレベルの「日本語」を身につけておくことが好ましいのでしょうか。
 原則「文字」の学習などはしないはずの幼稚園ですが、保護者からのニーズに合わせてかどうか、文字を教える園もあります。最近では文科省も方針を変化させつつあるようで、昨年告示の「幼稚園指導要領」では「5歳児修了時までに育ってほしい具体的な姿」として「自立心」「協同性」「道徳性・ 規範意識の芽生え」「思考力の芽生え」などと共に、「数量や図形,標識や文字などへの関心・感覚」と挙げています。就学前児童に対する「文字」の教育への道を開いたようにも受け取れます。ただ、これは建前の話であって、現実的には少なからずの割合の児童が小学校入学前にひらがなやカタカナはもちろんのこと、小学1、2年生程度までの漢字は読めるようになっています。おそらく、読者の皆様もそのようにされたのではないでしょうか。
 建前としての「就学前に文字教育の必要なし」ですが、現実はなかなかそのようなゆとりの教育を許してくれはしないようです。国語の授業に関して言えば、入学したと思ったら、学校に慣れる前に運動会を始め様々なイベントが目白押しで、あれよあれよという間に一学期は終わってしまいますが、その慌ただしい一学期の間にひらがなの読み書きをクリアしないといけません。クリアしなければ連絡帳が書けないのです。そして二学期になるともう漢字が入ってくるのです。かなりの急ピッチで国語の授業は展開していくのが現状です。
 そのような現実の中で小学校の「国語」の授業は運営されていくので、前述の子のように文字の教育を全く受けずに「国語」に接する子は下手をすれば小1の段階で置いてけぼりをくってしまいます。やはり、「日本語」を話せれば良いというわけではなさそうで、読み書きの方もある程度身につけておくのが、我が子を落ちこぼれさせないための予防手段なのでしょう。


| 「生活言語」と「学習言語」

特集イメージ4 ここまで母語のことなのでアタリマエのように飛ばしてしまいましたが、もちろん「日本語」を聞いて理解でき、アタマの中にある思考を話せるだけの基本的な回路を、子どもたちは身につけていることを忘れてはいけません。「読み書き」以前に日本語を「聞いて話せる」までの能力を有していながら、それだけでは「国語」の授業では読み書きのみの点に於いて、決定的に遅れを取ってしまうわけです。つまり、「国語」の授業で文法や読解、思考や表現を身につけるのとは別に「日本語」の(ある程度の)4技能は身につけた上で「国語」の授業を受けると授業の内容もスッキリと消化できるのです。
 外国語教育の分野では言語のレベルは「生活言語(Basic Interpersonal Communication Skills)」並びに「学習言語(Cognitive Academic Language Skills)の」二つに区別されています。前者は日常的かつ具体的で認知的要求の低いレベルの言語運用能力であり、言い換えれば日常生活レベルの言語力であり、後者は文脈への依存が低く抽象的かつ認知的要求度の高いレベルの言語運用能力で、これは中等教育から高等教育に耐えうる言語能力を意味します。
 少々乱暴に過ぎる嫌いがありますが、分かりやすくするために極度に一般化すると、以下のようになります。ここまで述べてきた「日本語」は「生活言語」に、「国語」は「学習言語」へと置き換えてみると、思いの外スッキリするかもしれません。つまり、母語である日本語の場合には我々は「生活言語」を身につけてから「学習言語」の習得へと進めるわけです。
 さて、これら「生活言語」と「学習言語」を英語教育に置き換えてみて、さらに英語教育の現場に当てはめるとどのようになるのでしょうか。日本の英語教育では「生活言語」、つまり、英語を聞いて理解して話し、かつ少し読めて書ける段階をすっ飛ばして「学習言語」としての「英語」、つまり、文法やら作文やらドラマやらディベート等々の授業を受けることとなっている現実が浮かび上がってきます。
 もちろん、中学校から始まる「学習言語」としての英語の授業の時間にも「生活言語」としての英語風の「会話」「基礎概念」「基礎語彙」などを教えることもしますが、それをもって「生活言語」レベルの英語を身につける事は出来ていないので、現在の学校英語ではこの「生活言語」としての英語を教える部分が決定的に足りていないことが分かります。従って、家庭内英語教育のあるべき可能性の一つとして、「国語」に対する「日本語」に相当する「生活言語」としての「英語」を、小学校での「英語」の授業とは別に学ばせるのが理に適っていると言えるでしょう。


| 「生活言語」としての英語を身につけるとは?

特集イメージ5 さて学校で習う「学習言語」としての英語に対する「生活言語」としての英語はいかなるもので、いかにして身につけさせると良いのでしょうか。
 移民や移住で母語とは別に現地の言語を学習すると、「生活言語」は2年程度、「学習言語」が5年以上、習得に時間がかかると言われています。さらっと書きましたが、これをどのように受け止めますでしょうか? 「生活言語」の習得が2年間で達成される。英語であれば、「英語を聞いて理解し、思考した内容を話すことが出来、ある程度は読み書きが出来る」、そんな能力は「2年」程度で獲得出来るとされています。現に私も35年前に留学した際に、「生活言語」レベルの英語は1年足らずでほぼ満足いく程度には習得出来ました。つまり、「生活言語」の獲得はそれ程難しくないと、実体験並びにアカデミアの提言から導き出すことが出来るのです。
 しかし、他方で日本人は英語における「生活言語」レベルを身につける事に四苦八苦しています。そして、もちろんの事ながら「生活言語」を身につけていない状態で「学習言語」としての英語を学び続けてもなかなか成果は上がっていません。既に述べたように日本の英語教育は「生活言語」の習得を飛び越えて「学習言語」としての英語に着手している観があります。そして、この辺りに課題が存在するのではないでしょうか。
 「生活言語」としての英語を構成する知識や技術とは以下のようなものです。まず第一段階の聞き取りです。英語は子音誘引(語末の子音と続く語頭の母音がくっついてしまう)という特性によって再音節化(もともとの発音から変わる)された連続音声(例えば ‘ɪtsənˈæpəl’ ) を語(形態素)単位に分節 ( ‘ɪts ən ˈæpəl’ つまり ‘It’s an apple.’ に分ける)する音韻知識(英語の音素の知識)が必要です。しかし、ここまでの英語の処理能力のどれひとつとっても学校では教えてくれません。
 その後第二段階として、正しく聞き取り、バラバラになった語を、どれが主語でどれが述語なのか( ‘It’ がイコール ‘an apple’ であること )を理解してかつイメージします。これを可能にする能力は、学校で習う「文法(grammar)」とは少し異なっていて「統語(syntax)知識」と呼ばれています。直感的に語が文中でどのような役割を果たすかを理解する能力ですが、これを身につけるには大量の言語情報に触れることが必須であると「言語学」の世界では考えられていて、学校英語のような限られたコマ数ではなかなか達成出来ないのが現実です。
 そして、次の段階として、頭の中に浮かんだイメージから統語知識と心内辞書(lexicon : 語彙のようなもの)を元に句や文を作りだし、それを口にするわけです。語の正しい発音やプロソディーを知らないと正確には出来ません。それに加えて、少々読めて、少々書ける能力を加えたものが「生活言語」としての英語なのです。
 これらは、上で既に述べたように『パルキッズ』の学習の目指すものとピタリと一致しています。つまりは、学校で教えてくれないことを家庭で『パルキッズ』を使って身につけさせておけば良いのです。そして、『パルキッズ』で獲得した「生活言語」をもって学校英語の「学習言語」へと歩みを進めれば、「日本語」を習得した後に学ぶ「国語」のようにスムーズに英語の運用能力、「学習言語」としての英語力を最大限に伸ばすことが出来るでしょう。


| 『パルキッズ』で身に付く英語力

特集イメージ6 『パルキッズ』の学習は極めてシンプルで「かけ流し」と「オンラインレッスン」で構成されています。幼児・児童に英語の音韻知識を身につけさせるのは簡単で、英語の音声を継続的に大量に与えることで達成されます。幼児たちは生後10ヶ月ほどで母語にない音声 (例えば日本語話者に於いては ‘l, r’ の区別) の認知をしなくなります。こんな事を書くと「うちの子は手遅れだわ」と感じるかもしれませんが、心配は無用です。10ヶ月ほどの月例を過ぎると母語に存在しない音素に関心を示さなくなるものの、それは聞き取り「出来なくなる」のではなく、おそらく「しなくなる」だけのことで、聞き取りの潜在的な能力は、幼児期を過ぎても人は誰でも持っているものと考えられます。
 日本人の英語の聞き取り能力に関しては、様々な研究が行われていて、上のような「10ヶ月臨界説」を唱えて無用に不安感をあおるものもあれば、「学齢期説」とでも言えるようなものもあります。これは小学校で日本語の文字を学ぶ以前の幼児たちはまだ日本語のよう(モーラ分節)にではなく、英語のよう(ストレス分節)に音声を切り出しているという観察から導かれています。この説に依れば、英語の音声学習の臨界期が10ヶ月から一挙に6歳くらいに跳ね上がるわけです。
 また、その後に学習をスタートした子ども、例えば高校生時代の私自身なども訓練次第によっては英語の音韻知識を身につけることが出来たことは、自らがその証明ですので、英語の音韻知識の習得の臨界期に関しては、あまり焦る必要はないでしょう。『パルキッズ』では幼児期には英語音声のかけ流しによって、また、少し年齢が上がった子にはフォニックスなどの視覚・聴覚両面からのアプローチで習得させるようにプログラムされています。
 また、英語は聞き取れるだけでは意味がなく、理解したりイメージを結像させる必要があります。あくまでも「学習言語」ではなく「生活言語」レベルの具体的な目に見える事象と、言語としての「英語」を結びつける能力は統語知識と心内辞書が受け持ちます。この英語の統語知識も心内辞書も、音韻知識を元に切り出された語を繰り返し別のコンテキストで耳にし続けることによって、身に付いていきます。例えば ‘on’ という語(形態素)を切り出したあと、それを ‘on the table, go on, lights are on’, などの異なった文脈で耳にすることで、「前置詞、副詞、形容詞」など一つの語でも異なった役割を担っていること、また、意味合いも文中の役割によって異なってくることなどを理解するようになります。この役割の理解が「統語知識」でなされ、意味合いの理解が「心内辞書」に書き込まれていくのです。これは、文法のように説明出来ることではなく、直感で理解しなくてはいけないのです。
 例えば日本語の母語話者であれば、「は」と「が」を誤用することはありません。しかし、どの文脈で「~は」を使いあるいは「~が」を使うのかを説明せよといっても、説明出来る人などほとんどいないでしょう。しかし、説明は出来なくても誤用はしないのです。これが統語知識です。これらを英語音声の「かけ流し」で身につけさせることを『パルキッズ』の学習では中心に置いています。
 しかし、「かけ流し」だけではなかなか定着には至りません。そこで、『パルキッズ』では4年前からインプットに加えて、アウトプットを担当する「オンラインレッスン」を導入しました。「定着に至らない」と書きましたが、厳密に言えば、学習が進んでいるのにもかかわらず、「定着しているのが見えない」「理解していることが自覚出来ない」といったことが起こります。そのあたりを「オンラインレッスン」は解決してくれます。
 「どっち遊び」というクイズ形式の取り組みを通して、「正しい語」「正しい表現」「正しい綴り」などを認識出来るかどうかの確認が出来ます。そして、それらの結果は、逐一成績表に反映されていくので、レッスン時点での「理解度」や「語彙数」までも一目瞭然で判断出来るようになっています。これにより、本人もそうですが、学習を見守る保護者も我が子の成長が手に取るように分かるので、安心して、またやる気を持って学習に取り組むことが出来るのです。
 また、毎日取り組むことで完成していく、スタンプラリーなどで学習習慣も身に付いていきます。『パルキッズ』が目指すのは「家庭で」「手軽に」「誰でも」が英語を身につけてしまうことです。一日5分程度のレッスンですが、毎日行えば月に3、4回英語のレッスンを受けるのと同等、もしくはそれより濃厚な英語との接触が可能です。さらに、毎日90分のかけ流しがこれに加わるのですから、英語を身につけるのに必要十分な量のインプットとアウトプットに接することとなります。

 さて、今回は私たちにとっての「国語」と「日本語」の関係から、それを「学習言語」と「生活言語」に置き換えて、さらに英語教育に置き換えてみることで、学校の英語の時間以外に我々が子どもたちにどのような英語教育を施すのが理に適っているのかを眺めて参りました。大学受験改革や小学校英語の変革など、子どもたちを取り巻く英語環境はなかなか落ち着きを見せませんが、英語の実力を身につけている子にとっては、それが「4技能」であろうが、「CLIL」になろうが、「筆記試験」になろうが、「民間試験による評価」となろうが、ほとんど影響は受けません。これからも『パルキッズ』の学習を淡々と続け、当面は英検の準2級レベルの取得、さらには英検準1級から1級くらいまでをクリア出来ることを視野に入れた英語教育をお子様に施していただけるように心から願っております。


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引用・転載元:
http://www.palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-1804/
船津洋「生活言語と学習言語」(株式会社 児童英語研究所、2018年)

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