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2022年1月号特集

Vol.286 |『パルキッズ』が目指すバイリンガル教育

英語は「第2母語」か?「第1外国語」か?

written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)


※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。

引用・転載元:
https://www.palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-2201/
船津洋『「パルキッズ」が目指すバイリンガル教育』(株式会社 児童英語研究所、2022年)


『パルキッズ』が目指すバイリンガル教育 私が本格的に英語教育に携わるようになってから35年ほどになります。しかし、変わらないものは変わらないようです。学校英語では、スタートが前倒しになったり、外国人や英語の音声を使うようになったりしているようですが、残念ながら成果の程はあまり変わっていないようです。
 また、学校英語に飽き足らず「英会話」を志す人も相変わらずです。
 先日ふとした会話からある方が「フランス語を話せるようになりたい」と仰る。そこで “それでは軽く文法をやってから大量に読むインプットすること” を勧めたところ「読んだり書いたりではなく話せるようになりたい」と言われてしまいました。その方の頭の中には “聞き取れなければそもそも会話にならないこと” や “仏語の文の成り立ちが分からないまま適当に語を並べても正しい文にはならないこと” また “定形のフレーズや語だけでは会話は成立しないこと” などのファクトはどうでも良いらしく、まず “話せるようになりたい” のでユーチューブやフランス語のドラマを見ているそうです。
 これでは、お先真っ暗です。そのような考え方のご両親のもとでは、早期英語教育も英会話メインになってしまうのも、頷けます。さらには子どもの関心を引かせるために、子どもにおもねるキャラクターものになるのも “物理” でしょう。そのうえ内容も結局は学校英語に準拠していたりするわけです。日本人の英語に対する考え方は、ここ半世紀以上変わっていないのです。

 そして、昔からある話ですが、こちらもまだあるようです。これだけ情報化が進んでいるのにも関わらずです。
 何かというと、「セミリンガル」とか「ダブルリミテッド」に関する問題です。

 十人並みに英語を使えると自負する母親が「私が英語で話しかければこの子はバイリンガルになる!」とばかりに英語で話しかけたりします。
 果たして、その子はバイリンガルになるのでしょうか?
 なかなかに難しいと思います。ひとつに、その母親は、父親や他の人たちとは日本語で会話するわけです。それを見ている赤ん坊は「自分にだけ妙なことばで話しかける母親」をどう見るのでしょうか。
 さらには、量と質の問題があります。量の問題としては、果たして母親の語りかけのみで、英語が十分に身につくのでしょうか。あるいは母親の語りかけを欠くことによって、母語である日本語の発達に、どのような影響を及ぼすのでしょうか。
 質の問題としては、ネイティブでない話者から得られる、文法的にあるいは語彙的に、あるいは音声的に「不完全な」英語のインプットから、正しい英語の回路が育つのでしょうか。言語衝突によって生じる「ピジン」と呼ばれる接触言語話者を親に持つ子どもたちが身につける「クレオール」のような英語を身につけるのかも知れません。

 結果として、英語も不完全、日本語も不完全な上記の状態に育つ子もいます。また、これは家庭におけるバイリンガル育児に限定的ではありません。
 ある段階から、使用言語を日本語から英語にシフトする環境に置けば、子どもたちは英語を身につけます。しかし、日本語のそれ以上の発達が犠牲になります。このケースの場合、子どもたちは母語として日本語を身につけているので、バイリンガル教育と言うよりは、第1外国語教育に該当します。すると、「外国人としての英語力」と「母語話者としては頼りない日本語力」を身につける結果となります。
 こちらも、結果として「セミリンガル」とか「ダブルリミテッド」という存在となるわけです。

 しかし、子どもたちの将来に英語が必要なことは言うまでもありません。それでは、どのような英語力を子どもたちに身につけさせるのが理想的、かつ自然なのでしょうか。
 まずは、第二言語習得と第一言語習得の違い。そして、留学生や帰国子女が身につける英語力、さらには「パルキッズ」で育つ子どもたちが身につける英語力を順に見ていくことにしましょう。


第二言語習得の例

第二言語習得の例 第二言語習得とは、母語を身につけた後で母語以外の言語を何らかの方法で身につけることを指します。
 「習得」とは「習って身につける」ことです。自動車の運転技術を習得して、それが認められれば運転免許証をもらえます。スキーを習得すれば、とりあえず山の上から安全に麓まで滑り降りれるでしょうし、フライフィッシングを習得すれば、とりあえず川で魚と戯れることができます。ギターを習得すれば、とりあえずギターを使って、能力の範囲の演奏をすることが可能です。
 「習得」とは言い換えれば、とある技術を一般的な使用に耐えられるレベルまで身につけたこととも言えそうです。つまり「ある程度はできるよ」ということであって、「どの程度できるのか」は問われません。商業レーサーやスキーの国体選手、プロの釣り師やミュージシャンではないけれども、「普通にできるよ」というのがとりあえずの「習得」と考えて良いでしょう。

 さて、そうすると「第二言語習得」とは、英語などの第二言語を “とりあえず” 日常の使用において不自由さを感じず、他人に心配や迷惑をかけない程度に運用できるレベルに「習って身につける」ことと言えそうです。
 それでは、 “カタコト” の英語は「習得」に含まれるでしょうか?移民の国ではしばしば起こることですが、肌の色のみでなく言語使用のレベルによって差別を受けることはあります。訛りや外国人特有の言い回しなどで、「知的レベル」まで先入観によって判断されることが少なくありません。
 実はネイティブのアメリカ人による英語の録音なのですが、そこの音声に「この話者は中国人だ」との偽の情報を付け加えると、それを聞いた人たちはまったく同じ内容の英語から「おおらかさ」を感じるようですし、「白人だ」とのラベルをつけると「知的」な印象、あるいは「ラテン系」とラベルをつけると「楽天的」などの印象を受けるようです。
 まったく同じ話者の英語でも、付属する情報によってその話者の性格まで勝手に操作するのですから、そこにもし訛りがあれば、それでもって様々な先入観における判断が成されるのも致し方がないことでしょう。
 つまり、 “カタコト” では不自由なレベルなのです。とりあえずネイティブと遜色ない程度の音声的特徴を身につけるか、あるいは訛りがあったとしてもそれを補ってあまりあるほどの知性を感じさせる語彙や文法知識を身につけて漸く “とりあえず” 英語を身につけたことになります。

 この “とりあえず” を「第二言語習得」の達成と見なすならば、ほとんどの日本人は第二言語習得を達成できていないことになります。留学生や帰国子女、あるいはわずかに存在する純ジャパ(海外経験が無いが英語に堪能な学生)のみが日本における第二言語習得の成功者となるので、やはり留学でもしなければ望み薄と考えておくのが一般的でしょう。もちろん、『パルキッズ』で育つ子たちは別の問題で、この点は後々触れることになります。

 つまり、第二言語習得には海外経験などの時間とお金がかかる。仮に国内で英語を身につける特殊例である純ジャパにしても、相当なモチベーションと同時に時間とお金という犠牲の上に第二言語習得が成立していると考えてよいでしょう。一般人とは無縁と言うことです。


第一言語習得の例

第一言語習得の例 続いて第一言語習得、つまり母語の習得に目を移しましょう。
 時間やお金、さらにはモチベーションやそれと平行する努力などの大変なコストがかかる第二言語習得に比べて、極めて経済的に達成されるのが第一言語習得です。
 第一言語習得に関して20世紀半ばまでは、幼児たちは自らの言語経験を分析し帰納的にことばを身につけるという構造主義的な考え方が広く行われていました。
 しかし、幼児たちが得られる言語証拠、つまりことばのインプットは、そのほとんどを親からのそれに依存しており、その言語証拠は一般に断片的で言い間違えを多く含み、不完全なものです。
 仮に、彼らが分析的手法を用いて言語を身につけるのであれば、質量共に乏しい言語環境に置かれながら、何も知らない赤ん坊がわずか2年ほどでことばを身につけることは、絶望的と想像するのが妥当でしょう。

 しかし、その予想とは反対に、どんな子でも、驚くほどの均一性を持った言語、日本語なら日本語の能力を身につけてしまうわけです。従って、子どもたちは言語を分析から身につけるのではなく、もともと言語に関するかなりの知識を持って生まれてくるという考え方が生まれます。これが20世紀半ばから盛んに唱えられるようになった普遍文法と呼ばれる考え方です。

 普遍文法によれば、幼児は日々耳にする言語情報から、語順等に関する基本原理と、屈折や活用など文法の様々な項目に関するいくつかのパラメータの値(例えば冠詞や複数形の有無など)を設定するだけで、その設定が完了すると、それが日本語なり英語なりになるという考え方です。[現在では、極小主義という、さらに単純化された(故に複雑でもある)モデルのもと研究が進んでいるようです。]
 幼児たちの仕事は、まず耳にする音声から、音素や音の並びを学習します。これでその言語を単語単位で聞き取れるようになるわけです。その後、聞き取れた語を、レキシコン(語彙目録や心内辞書)と呼ばれる場所に格納すると同時に、先ほどのパラメーターの値を決めていけば、日本語なり英語なりフランス語なり中国語のハイでき上がり、というわけです。
 この生得的な言語知識があるから、幼児たちはあっという間に母語を身につけてしまうわけですね。

 先ほどは第二言語習得を、自動車の運転やスキー、釣りや楽器演奏に例えましたが、第一言語習得は、これらとはずいぶん様子が異なります。
 例えるならば、生後半年で寝返りをうったり、1歳すぎると歩行を始めたりするような、人間ならば放って置いても身につく技術といえるでしょう。つまり、生得的にプログラムされていて、身体的な機能や、それを許す環境が与えられてれば、自然と身につくものと考えると良いのです。

 さて、この普遍文法、母語以外の言語の習得にも役立つのでしょうか。続けて見ていくことにしましょう。


バイリンガル育児

バイリンガル育児 バイリンガルとは「2つの言語を使いこなすヒト」のことです。2つの言語とは、ひとつに母語であり、もうひとつも母語あるいは母語に準ずる運用能力を伴った言語を指します。
 バイリンガルには、’simultaneous bilingual’ と ‘sequential bilingual’ とがあります。前者は字義通り、生まれたと同時に2カ国語の習得を始めたバイリンガルのことで、後者は第一言語の母語を習得した後、3歳までに第二言語習得を始めたバイリンガルのことです。
 つまり、この考え方によれば、3歳までに母語以外の言語教育を開始すれば、それは「バイリンガル」と呼ぶことができますが、それが3歳を過ぎてからのスタートであれば、もはや厳密な意味での「バイリンガル」ではないこととなります。
 そして、3歳を過ぎてから第1外国語の習得を開始するケースはさらに ‘early learner’ と ‘late learner’ に分けられ、前者はおおよそ思春期までに第1外国語習得を開始するケースで、後者は思春期以降に外国語を本格的に学ぶケースとなります。
 具体的な例としては、 ‘early learner’ は帰国子女で、’late learner’ は留学生といったところでしょうか。

 さて、 ‘early learner’ の帰国子女と ‘late learner’ の留学生、あるいはバイリンガルたち、その英語力にどんな差があるのでしょうか。ひとまずここでは ‘simultaneous bilingual’ と ‘sequential bilingual’ は、両者とも2つの言語を母語並みに身につけた人たち、ということにしておきます。

 一般的には ‘early learner’ の英語の運用力は極めて高く、発音や韻律に関してもネイティブと比べて何の遜色もありません。一方の ‘late learner’ はかなりの精度で英語を身につけていて、日常的な言語使用に関してはまったく問題ありませんが、発音や韻律に関しては「外国人」的な訛りをもっています。
 もちろん、これは程度の問題で、 ‘early learner’ でも母語の訛りが抜けない人もいれば、 ‘late learner’ でもネイティブと紛うほどの運用力を発揮する人もいます。しかし、多くの帰国子女や留学生たちと英語で授業を受けてきた身としては、「やはり帰国子女はスゴいなぁ」と感じることは否めませんし、「これは留学生の限界だなぁ」と自らの英語力を嘆くこともなきにしもあらずです。

 さて、そのように留学生より遙かに高い英語力をもつ帰国子女たち、つまり ‘early learner’ たちですが、そんな彼らもネイティブに比べれば大したことありません。
 こう言うと語弊がありますね。一般的な言語使用においては「差別を受けるような」レベルではないので、まったく問題なく英語圏で言語生活を送れます。つまり彼らがバイリンガルなのか ‘early learner’ なのかの区別は「聞いても分からない」のです。
 しかし、より細かく彼らの英語の知覚や産出力を見ていくと、彼らの英語力もネイティブには遠く及ばないことが分かるのです。(レキシカルディシジョンの反応速度、帯気音のVOTやアクセントのない母音の弱化のレベルなど。もちろん説明は省きます。)

 つまり、ネイティブはスゴいのです。そして、バイリンガルは2つの言語のネイティブなので、ネイティブよりもっとスゴいのです。(この点に関しては『パルキッズ通信2019年1月号』参照)

 ということで、バイリンガル育児をするにあたって、果たして自分が現在行っていることはバイリンガル育児なのか、あるいは子どもの第二言語習得に取り組んでいるのか、このあたりを意識することも、道に迷わないためには、役立ちそうです。
 単純に、英語学習の開始年齢のみに焦点を当てれば、おそらく、ほとんどの方は帰国子女的な ‘early learner’ に相当する時期にお子さまの英語教育を開始していることになりますし、パルキッズユーザーの中には ‘simultaneous bilingual’ や ‘sequential bilingual’ に該当する早い段階でお子さまの英語教育をスタートしているご家庭も少なくないことでしょう。


UGはどこまで使えるか?

UGはどこまで使えるか? さて、ここからは仮説であり、論理を伴った希望的観測でもあります。

 帰国子女や留学生にでもならない限り、成功が絶望的な第二言語習得に対して、どんな子でも本人すら気づかないうちに達成されてしまう第一言語習得。そして、その第一言語習得を可能にするのが普遍文法の存在でした。

 私たちすべてに備わっていて、赤ん坊の時分に母語を身につけさせてくれたステキなステキな「普遍文法」ですが、使用期限はあるのでしょうか。あるいはその遺伝子を活性化させるスイッチを入れる条件とは、どのようなものなのでしょうか。

 幼児が言語を身につけるためには、機械的な刺激だけではいけないという立場の人たちがいます。有名なところでは、クール(Patricia K.Kuhl)博士でしょう。彼女の実験では生後11ヶ月になると、子どもは母語以外のことばに反応示さなくなることが観察され、また “子どもは機械音には反応せず自分に対して話しかける人から言語を学ぶ” という仮説も引き出しています。
 しかし、彼女の実験では、『パルキッズ』のような長期にわたる質量共に豊かな言語情報のインプットは想定されておらず、ある段階で反応を見てみたら ‘lr’ の聞き取りはしませんでした、というものですので、上記の結論は少し飛躍している印象です。
 また、上智大学の200人ほどの学生が履修するとある授業で、教授が戯れに行った ‘lr’ の聞き取り実験では、ほとんどの学生が ‘lr’ を正しく聞き分けていました。さらに帰国子女や留学生たちもかなりの精度で聞き取りができるわけですから、「生後11ヶ月云々」は心配に及ばないでしょう。
 また、『パルキッズ』あるいは他の教材を使用して英語を身につけた子どもたちは星の数ほど存在しています。現に既述の実験(『パルキッズ通信2019年1月号』参照)でも、パルキッズ生たちはネイティブ以上の知覚力を表していたわけです。「機械音には反応しない」というのも、少々調子に乗ってしまった印象が拭えません。

 しかし、気になるのは「普遍文法」の有効期限とその覚醒の条件でしょう。

 生後3歳までに習得を開始すればバイリンガルと定義されるようですので、おそらく、その段階までに質量共に十分なインプットが成されれば、普遍文法は機能すると考えても良いのではないでしょうか。
 また、肉声と機械音の問題に関しても、音波としては同じことですし、『パルキッズ』のように生育環境に継続的に存在し続け、さらにこちらも『パルキッズ』のようにオンラインレッスンなどでインタラクティブな取り組みが成されているのであれば、別段「肉声」でなくても十分なインプットとなり得ると考えられるはずです。
 それどころか、『パルキッズ』によるインプットは母親による語りかけと比較すれば、質と量共に優れることはあっても劣ることはないと思います。
 特に、言語習得の第一段階であるところの「韻律(その言語特有のメロディー)」、「音素(その言語特有の子音や母音)」、「音素配列(その言語特有の音素の並び方の規則)」の知識の習得は、与えられた情報から帰納的に行われると考えられており、さらに「語彙」に関しても同様に与えられた情報から蓄積されていくわけですので、その点のみにおいても『パルキッズ』の学習が有効であることは言を俟たないことです。

 しかし、果たして「普遍文法」がどこまで使われているのかに関しては、ここでははっきりとさせることは困難です。バイリンガルまでなのか、もしくは帰国子女のような ‘early learner’ にまでは有効なのか、それとも留学生のような ‘late learner’ たちにまでも有効なのか、はっきりとしたことは分かっていません。


経験的帰納、分析ディープラーニング

経験的帰納、分析ディープラーニング それでは、仮に「普遍文法」はずいぶん早期のバイリンガル教育にしか使用できない機能だとしましょう。
 すると、帰国子女のような ‘early learner’ や留学生のような ‘late learner’ たちは、どのようにして英語を身につけたのか?という問いが生まれます。既に述べたように、帰国子女であれば現地の言語生活に何ら不自由はありませんし、逆に留学生でも帰国子女以上の言語能力を発揮する人もいるのです。

 ネイティブが聞いてもネイティブと間違えるような英語力を身につけているのであれば、それで結構ではありませんか?

 ということになれば、「普遍文法」のステキなステキな機能を活用して英語を身につけさせようと考えなくても、人間が本来持つ経験から帰納的に学習する能力を十二分に発揮させれば、それで事が足りてしまうのです。
 ヒトの情報分析能力や帰納の能力は、とても優れています。
 私事で恐縮ですが、1年前に学習を開始したフランス語、今日では現地の子ども向けニュースや、あちらこちらで目にする簡単なフランス語であれば理解できるようになりました。
 音声教材は一切使用せず、とにかくひたすら与えられた教材を読んで訳すことに集中してレッスンをしてきました。半年もする頃から、日本語に訳すことはやめて英語に訳すように切り替えました。その方が圧倒的に楽なのです。

 さて、これは明らかに「普遍文法」を使用していない学習例です。しかし、それでもある程度は身につきます。

 さらに、こちらも自分のケースですが、高校生の時分に米国に留学して3ヶ月ほどで一通りの基本的な回路ができ上がりました。つまり、耳から入った英語は単語単位に分節され、それらが勝手に脳内で意味を持ったイメージとなる、という回路を身につけたわけです。
 ここに「普遍文法」は使われているのでしょうか。
 分かりません。ただし言えることは、英語の聞き取りはできて、日本語を介さず理解したり、頭に浮かんだことが考えるまでもなく英語の形で口から出てきたりという能力は身についていますが、冠詞の使用法などは未だに間違えます。どうやら「普遍文法」っぽくはない習得の仕方のように思えます。

 また、今流行の「ディープラーニング」ですが、これに至っては文法と言うよりは、膨大なデータからその規則性や共起する語、あるいは同じ語でも文脈によってどのように意味が変わるかなどが、それこそ勝手に学習されていて、その精度もずいぶんと向上しています。
 このディープラーニングも、もともとヒトの脳の機能のあり方に端を発している考え方ですので、人間がこのような学習ができることは言うまでもありません。であれば、大量の情報、知覚可能な情報をインプットすることで、「普遍文法」を迂回して外国語を身につけることも可能と考えられるわけですし、現に私自身もそのようにして外国語を身につけてきたわけです。

 それであれば、「普遍文法」なのか「ディープラーニング」なのかの別は置いておくとして、両者に共通する質・量共に十分なインプット環境を与え続ければ、言語は習得されると考えられることになります。


パルキッズ

パルキッズ さて、第二言語習得から第一言語習得、そしてバイリンガル育児、さらにはそれらの言語習得に関わると考えられている「普遍文法」あるいは経験の分析に基づく帰納的な学習のあり方の例としての「ディープラーニング」などいろいろ見て参りました。

 結論として言えるのは、ヒトは何らかの方法で言語を身につける生き物であること。そして、言語を身につけるには年齢の制限はないことでしょう。もちろん、習得するレベルは異なりますが、現地の人たちから差別されることなく、日常の言語生活に支障を来すことないレベルで外国語を身につけることは、どんなヒトにでも、どんな年齢においても可能なのです。(もちろん、冒頭の「喋れるようになりたいので」方式の学習では成果は絶望的です)

 そして、もちろん年齢が低い方が学習効率が高いことは言うまでもありません。何しろ記憶力が良い。特に帰納的な学習で言語を身につける場合には、この記憶力がものを言います。
 普遍文法から言語を身につけた場合にも、身につけた言語力を人から馬鹿にされないレベルに高めるためには記憶力が必要となります。いくらバイリンガルになっても、それらの言語におけるレキシコンが貧弱であれば、まともな社会生活は送れないでしょう。

 つまり、普遍文法が活用できるか、あるいは帰納的に学習するのかを問わず、レキシコンを充実させることは重要なのです。
 バイリンガリズムの研究では、語彙の豊かさと音韻知識の正確さは相関関係にあるとされています。語彙が豊かになれば、その人の発する英語は音韻的にもより優れていることが推測されるのです。

 パルキッズ生たちは、日々環境に存在する英語から、音素と音韻の知識を帰納的に学習しています。これは本人の意思とはまったく関係のないところで行われています。そして、この帰納的な学習をより堅固なものにするために、オンラインレッスンが用意されています。インタラクティブな取り組みによって、日々のインプットが具体的な意味を持ってくるのです。

 その後の学習は、低年齢では「普遍文法」を活用して、また3歳を過ぎた子どもたちは「帰納的な学習」で行われます。いずれの方法にしても、言語を身につけられることは、すでに見てきた通りです。


言語力を高めるために

言語力を高めるために いずれにしても、身につけた言語力を高めないことには片手落ちです。これも本誌で何度も触れていることですが、普遍文法で日本語を身につけても、そのまま放って置いては宝の持ち腐れです。身についた日本語を、優れた国語へと磨き続けることが大切であることは言うまでもありません。
 バイリンガル育児の場合にも、大切なのはまず母語である日本語です。そして、日常生活に耐えうるレベルの英語を習得させたら、あとは読書するだけで英語力はどんどん高まっていくのです。
 日本語と英語。特に、英語の学習開始年齢は様々で、年齢によって習得のあり方も変わります。しかし、両者共にある程度の「会話力」を身につけた段階で、教育あるいは学習を止めてはいけません。
 本人が一人で、際限なく言語力を高めていけるように育ててあげる。その入り口である「読解力」を身につけさせてあげる。ここまでが、英語を「第2母語」とするバイリンガル育児、あるいは「第1外国語」としてのL2英語教育を実践するご家庭においての、当面のゴールだと考えていただければ間違いないでしょう。


【編集後記】

今回の記事をご覧になった方におすすめの記事をご紹介いたします。ぜひ下記の記事も併せてご覧ください。
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プロフィール

船津 洋(Funatsu Hiroshi)

1965年生まれ。東京都出身。株式会社児童英語研究所・代表取締役。上智大学外国語学部英語学科卒業。実用英語技能検定1級取得。30年以上に渡る幼児教室・英語教室での教務を通じて幼児の発達研究に携わるかたわら、「パルキッズ」などの英語教材を始めとした幼児向け教材を多数開発。また、全国の幼児・児童を持つ親に対して9万件以上のバイリンガル教育指導を行う。講演にも定評があり、全国各地で英語教育メソッドを広めている。著書に20万部のベストセラーを記録した『たった80単語「読むだけで」英語脳になる本』(三笠書房)をはじめ『どんな子でもバイリンガルに育つ魔法のメソッド』(総合法令出版)『ローマ字で読むな!』(フォレスト出版)『英語の絶対音感トレーニング』(フォレスト出版)など多数ある。

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