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2018年3月号特集

Vol.240 | 英語が出来ないただひとつの理由

仕組みさえ分かれば英語は聞き取れる!

written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)



プロフィール

船津 洋(Funatsu Hiroshi)

1965年生まれ。東京都出身。株式会社児童英語研究所・代表取締役。上智大学外国語学部英語学科卒業後、言語学の研究者として、日本人の英語習得の在り方を研究中。35年以上、幼児・児童向け英語教材開発の通して英語教育に携わる経営者である一方、3児の父、そして孫1人を持つ親として、保護者の視点に立ったバイリンガル教育コンテンツを発信し、支持を得ている。著書に20万部のベストセラーを記録した『たった80単語「読むだけで」英語脳になる本』(三笠書房)をはじめ『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)など多数ある。


特集イメージ1 日本では昭和の『英語教育大論争』あたりから、「使える英語」対「学校英語」の様な図式が出来上がり、まるで「学校英語」が悪者であるかのような空気が漂い続けているような印象があります。同時に国民の間の英語学習(教育)熱は高まる一途を辿っています。大学に進学するのならば,英語力が必要で、本人の持っている英語力のレベルがすなわち当人が進学出来る大学のレベルと言っても過言ではないほど、日本の大学受験では英語力重視の現状が続いています。つまり、「使える英語」を求めている一方で「学校英語」は未だに受験のシーンで重宝されているのです。
 もちろん、これは必然の流れ。受け入れる学生のレベルを担保したければ、選抜試験を課す以外方法が無く、その選抜試験には「知的格闘力」(故渡部昇一による)を比較的測定しやすい英語がクローズアップされるのも、これまた必然の流れではあります。大学入試で英語力が重視されることは、従来的に中学校から英語が一斉にスタートを切っていた時代では、小学校で学力の劣る子にも中学以降の頑張り次第で平等にチャンスがあることを意味していました。しかし、小学校での英語の教科化でこの流れも過去のものとなりつつあります。それどころか、もはや英語が「知的格闘力」の規矩準縄ではなくなりつつあります。本人の努力ではなく、親の教育に関する知識や家庭内の教育費に関する余裕が、子どもたちの英語力に限りなく影響を与えるようになっているのです。
 さて、そんな日本人と英語との関係の中で我々は英語教育を受けてきたわけですし、また、子どもたちもこれから英語教育を受けることになります。その世の中の英語教育の流れですが、冒頭の「学校英語」への批判から「使える英語」へいつの間にか舵が切られています。それどころか、方向転換してから随分と久しく時間が経過しているのです。専門家の意見を踏まえ、文科省も自治体も、英語教育業界もこぞって、この方向に足並みをそろえています。都ではTGGという組織を立ち上げ英語力育成に努めるようですし、そのなかではCLILなる指導法が採用されるようです。CLILとは “Contents Language Integrated Learning” の略で言語としての「英語をコンテンツの中で学ぼう」という発想で、例えばショッピング、観光などのコンテンツの中で英語を使いながら身につけさせようとする試みです。
 これは従来の読み聞き中心の英語学習から、出力も出来るようにとの、つまり「使える英語」へと舵を切られた方向性と一見親和性が高そうです。現在は英語教育業界はせっせと、この方向、つまり学者や政治家と歩調を合わせた英語教育を推進しようとしている訳です。


| いろいろなメソド

特集イメージ2 ところで、「英語教育改革」のかけ声は忘れた頃に発されて、また忘れた頃に聞こえてくるのですが、どうやらなかなか成果が見えてきません。そもそも、「改革」の毎に成果が上がる学習法を採用しているのであれば、それ以上の「英語教育改革」など必要ないわけです。しかし諸々の「改革」の方向が間違っているのか、その方法論が日本人とマッチしていないのか、運用の仕方に問題があるのか、はたまた運用する教師の質に課題が残るのか、などは専門家の意見にゆだねるとしても、この「改革」は次から次へと放り投げられては捨てられ、また放り投げられては捨てられる現状はなんとか「改善」していただきたいものです。ちなみに、これは学校教育の批判ではありません。メソドを文科省に推奨する学者たちも、それを推し進める役人さんたちも、そして、それに従う現場の皆様方も、それぞれに自らの職掌を精一杯に果たしていらっしゃるであろうことは、付け加えておきます。ただ、それらの歯車がうまくかみ合っていないだけなのかもしれません。
 さて、ここで採用される英語教育のメソドについて少し触れておく必要があるでしょう。第二言語習得(獲得)に関しては100年以上も前から、それこそ言語学者を始めとした専門家たちによって、様々なことが提案され続けて来ました。古くは “Direct Method” のように、幼児が母語を身につけるように習得対象の言語環境に晒すことによって身につけさせようという試みがありました(過去形で書いたのは、専門家の間では否定されているからです。これに関しては後述します)。その後、「音韻」に着目した方法論が提案されました。「対象言語の音素の知識が無いことには外国語学習は始まらない」という極めて健全な着想に基づいた学習法で、対象となる言語の正しい発音を学ばせることが奨められました(これも過去形ですが、後述します)。その後はテクノロジーの進化に伴いテープレコーダーが使われたり、「やはりインタラクティブだ」ということで、対話式の学習法が推奨された時期もありました。全ては過去形で書きましたが、これらは専門家によって「前の方法はあまりうまくいかないね」と指摘されたことによって世に生み出され、新たに生み出されたメソドも、これまた専門家によって「これもうまく行かないね」と否定され、さらに新たなメソドが生まれてきたわけです。そして、今日では、インプットとアウトプットを中心に様々な要素が取り入れられつつ、第二言語習得論が発明され続けています。そして、それが行政に採用され、子どもたちに施される事になるわけです。
 さて、ざっくりと第二言語習得に関して提唱された様々なメソドを紹介しましたが、如何でしょう。勘の良い読者の皆様の中には既にお気づきの方もいらっしゃるでしょう。そうなのです。これらのメソドの対象者はほとんどが大学生なのです。考えてみれば分かることですが、前世紀の初頭 “Direct Method” が提唱された時代、第二外国語などは庶民の手の届く代物ではありませんでした。外国語はほんの一部の裕福な、また優秀な青年たちの学問だったのです。今でこそ、英語を代表とする外国語は中学生や小学生も学ぶようになりましたし、英語教育と言えば、十代そこそこの中学生が対象の学校英語がまず頭に浮かぶのではないでしょうか。ところが、アカデミックな世界での第二言語獲得(「英語教育」と呼んでも良いでしょう)は、なんと主に大学生が対象なのです。アタリマエですがオドロキでもあります。その大学生向けのメソドをそのまま高校生、中学生、ひいては小学生に当てはめるのですから、これまたオドロキではあります。
 大学生を対象として “Direct Method” 宜しく、かけ流しをしても、英語が身につくわけはありません。大学生を対象として音韻の習得に重きを置いた学習法は成果は上がるでしょうけれども、発音矯正に時間がかかるばかりです。限られたコマ数で成果を上げるのは困難でしょう。すると、「発音なんかどうでも良い、通じれば良いのだ」となります。現在はこれが主流です。
 しかし、このように外的なメソドロジーでは成果が上がらないので、終いには内的な刺激、つまり当人の「モチベーション」を奮い立たせるような方法論が今では一般化しています。つまりは、「やる気を出させて、通じる英語を身につけさせる為には?」というのが、アカデミックな世界の「外国語習得」の外枠なのです。少し頭を冷やして顧みれば、そもそも対象が大学生なのですから、ある程度の英語力は担保されているはずです。そんな学生たちには「モチベーション」ではなく「大量の読書課題」を与えればあっという間に英語などは身につけられそうなものですが、なかなか、近年、商業化した大学ではお客さんである大学生たちにそっぽ向かれるような教育法を採用することには勇気がいるようです。
 繰り返しますが、このようなアカデミアの世界から発信される「第二言語習得論」がそのまま中高生の英語教育現場、ひいては小学生の英語教育へと影響していくわけです。終いには、民間の英語教育業界に於いては小学校低学年や幼児に対する英語教育にまで当てはまってしまう可能性すらあるのです。ちなみに音声などから帰納的に言語を習得させる “Direct Method” や「音韻習得」に重きを置いた、例えばフォニックスなどの学習法は大学生に対しては成果が上がっていないのであって、幼児や小学生に対する学習法として否定されたわけではありません。『パルキッズ』にお取り組み中の皆様におかれましては、この点、ご心配なく。
 逆に、税金をつぎ込むからにはCLILを始めとした学習法が本当に中高生や小学生に対して最も費用対効果の高い学習法なのか、検証する必要があるでしょう。私などからすれば、幼児や小学校低学年には “Direct Method” でかけ流しを中心に、小学生の高学年になれば「フォニックス」などで、英語の音声を理解させ、中学生以上である程度読解力がついてくれば,多読が最も費用対効果の高い英語習得法とばかり思えてきます。また、従来的な中高の教授法も「使える英語」の涵養には及ばないものの「知的格闘力」や「大学受験」の英語には十分役立っている、としか思えないのです。少なくとも、現在の「4技能のバランス良い習得を目標とした英語教育」よりは…。


| そもそも英語が出来ない理由

特集イメージ3 さて「AではダメだったらB」「BではダメだったからC」と次々と世に送り出される英語の習得法の話はこの辺りにしておいて、「そもそも論」に移りましょう。そもそもなぜ日本人は英語が苦手なのでしょう。
 ヨーロッパの人たちは言語間の関係に於いても「英語」と近いところにいます。英語もロマンス語とは姻戚関係にあるようなもので、現代の英語の語彙で純粋に「英語由来」のものは25%にも満たず、6割以上がフランス語、またはラテン語からの借用語です。ラテン語やフランス語と言えば、スペイン語やポルトガル語、イタリア語などとは親子や兄弟のようなものですから、英語は血統は異なる姻戚のようなもの。西ヨーロッパの言葉と共通する部分がとても多いわけです。
 またアジアに目を向けても中国語は音素が豊富らしく(中国人の友人に聞いたことなので真偽の程は知りませんが)、英語の音を聞き取りやすいとか。その点、日本語と英語は共通する音素もありますが、/f/,/v/,/th/,/r/,/l/ などの子音や母音などで日本語には存在しない音が多く英語には存在するのです。英語の連続音声を耳にすると、日本語話者の頭の中の音の一覧に存在しない音が多々あるわけです。これが日本人が英語を聞き取れない理由の一つです。まずは英語の音素を知らないわけです。英語にどんな音があるのかを知らなければ、日本語の音の知識に置き換えて英語の音声を処理するしか方法はありませんが、一度日本語に変換されてしまっていては,最早それは英語の音声では無く日本語の音声に他ならないのです。
 ちなみに、/l/,/r/ の違いは生後半年くらいの段階では日本人の子でも,アメリカ人の子でも同じように聞き取りが出来ますが、一歳になる頃には,日本人の子は /l/,/r/ の聞き分けをしなくなります。理由は簡単です。日本語の世界では /l/,/r/ の違いは存在しません(もちろん英語の世界では /l/,/r/ の違いは意味の違いを生みます)。人間は面倒くさいことをなるべく避けるようにプログラムされていると言われていて(私のような面倒くさがりには恵みの言葉です)、無駄を省き最低限の努力で最大限の効果を得られるような学習をするそうです。つまり、日本語を習得中の幼児たちにとって、日本語に存在しない /l/,/r/ の聞き分けなどは「無駄」な事と切り捨てられてしまうわけです。では、一歳を過ぎると「/l/,/r/の聞き分けは出来ないのか」といえば、そんなことはありません。/l/,/r/の違いを聞き分ける必要の無い言語環境下、つまり日本語のみの世界に育てば、/l/,/r/ の聞き分けはしなくなりますが、/l/,/r/ の聞き分けが必要な環境下、つまり英語の音声が存在する世界に育てば /l/,/r/ の聞き分けは出来るようになるのです。
 このように、日本語に存在しない音が英語にあることが、まず日本人の英語学習を困難にする一つの原因です。しかし、日本語に存在しない音と言っても無数に存在するのではありません。/l/,/r/,/f/,/v/,/ð/,/θ/,/ʒ/,/j/,/æ/,/ə/など子音と母音合わせても両手で数えて足りるほどです。『フォニックスドリル』のような教材に一通り取り組めば簡単に理解出来てしまいます。しかし、日本人が英語を聞き取れない理由は、この他にもう一つあって、そちらの方がやっかいなのです。


| 切り出しの仕方が分からない

特集イメージ4 『パルキッズ通信』や拙著でも繰り返し使っている「リズム回路」という言葉があります。音声は文字にすると切れ目が分かります。日本語ならかなや漢字で音は表されますが、現実には音の切れ目が文字と文字の間に存在するわけではありません。英語の場合にも同様です。英語は単語単位で分かち書きされますが、必ずしも単語と単語の間のスペースの部分が音声の切れ目ではありません。もちろん、そこで切れることもありますが、くっついてしまっている場合が少なくない。また、逆に一つの語の中に音声の切れ目が存在することもあります。言葉は連続した音声で発せられますが、それらを語(意味のある単語)や文の要素(日本語の助詞や英語の複数形のsなど)に切り出す作業が必要となり、そして、切り出された結果を文字で表記しているのです。その作業を「分節」とも呼びますが、その「分節」を可能にする頭の中での言葉の処理機能を「リズム回路」と呼んでいるのです。もちろん、この「リズム回路」を持っていなければ、英語も日本語も単なる「言葉のような」音の連続に過ぎません。未知の言語を聞いたときのようにまるで理解出来ないのです。
 幼児が日本語なら日本語、英語なら英語を身につけていく過程で、それぞれの母語の「リズム回路」を身につけます。この「リズム回路」は言語によって異なるので、日本語の「リズム回路」を持っていても英語の連続音声を「分節」して語に切り出すことは出来ません。逆もまたしかりです。「空耳」などと言われますが、”Come here!” が「神谷」、”How much?” が「はまち」などなど、英語を聞いても日本語に聞こえてしまう現象があります。これは英語の連続音声を分節する(単語や音節に分ける)際に英語では無く日本語の音韻知識を使ってしまうことによって起こります。これまた、逆もしかりです。
 このように、モノリンガルは母語の「分節」のやり方で外国語を「分節」することは研究でも分かっています。ヒトの「リズム回路」には様々な知識がつまっています。例えば、既に述べたように日本語なら日本語、英語なら英語を構成する音素の知識がまずそこにはあります。そして、モノリンガルは母語の知識でもって外国語を処理します。例えば英語の ‘hat, hot, hut’ は音声記号で表示すると /hæt/, /hɑt/, /hʌt/ と異なる音声ですが、日本語の「リズム回路」を通して処理すると全て「ハット」になってしまうのです。発音もそうですが、文字で表記しようとしても、かなを使ってこれら英語の音声を区別して表記することは出来ません。(ここから先はわかりやすく書いているつもりですが、ご面倒であれば、最後のセクションまで飛ばしていただいても結構です)
 また、困ったことに音素が異なるだけでは無いのです。日本語では「母音」または「子音+母音」でそれぞれの音素を構成しています。ところが、英語は「母音」はもちろんのこと「子音」のみでも一つの音素となり得るのです。日本語の場合、音素は必ず母音で終わる(関東方言で「です /desu/」などの語尾の /u/ が発音されない母音の無声化という現象もありますが、ここでは触れません)ので、子音が連続(str, plなどなど)したり、語末が子音で終わる(mp, ks などなど)ことはありません。つまり、子音が連続したり,子音で終わっている語を、ありのまま分節することが出来ないのです。日本語の「母音」または「子音+母音」の音素に “無理矢理” 分節するので、例えば英語では1音節の ‘sprint’ は日本語では5音節の ‘supurinto’ となります。英語では母音は ‘i’ ひとつしかないのに、日本語では ‘u, o’ が付け加えられていることが分かります。また、それによって、全く異なる発音になってしまっていることも一目瞭然です。


| 日本語は安定している

特集イメージ5 日本語と英語ではリズムが全く異なります。日本語は「モーラ」と呼ばれる「拍」のリズムを持っています。一方の英語は「ストレス」と呼ばれる強弱のリズムを持っていて、音素が「母音」を中心に「シラブル(音節)」という塊を構成しています。ややこしそうな話かもしれませんが、実は至ってシンプルです。先の ‘sprint’ が英語では1音節と数えられますが、これは母音が回りの子音を伴って音節を構成することによります。例えば日本語の ‘konbanwa’ は日本語では5音節(5拍)ですが、英語式では ‘kon’ ‘ban’ ‘wa’ の3音節と分節されます。そして、この「母音を中心に前後の子音をくっつけてしまう」ことによって、日本人とは感覚的に分節の仕方が異なるのです。アメリカ人が日本語を読むとちょっとヘンな読み方をする一つの原因はここにあります。例えば ‘timing’ を分節しようとすると、日本人なら ‘ta’ ‘i’ ‘mi’ ’n’ ‘gu’ と5音節に分析しますが、英語では ‘tim’ ‘ing’ の2音節です。興味深いのは日本人なら「子音+母音」で ‘mi’ を一塊として分けたくなるところを英語では分断しているところでしょう。これは英語の音節が子音で終わることが多い言語生理によるのかもしれません。同様に ‘cinema’ も ‘cin’ ‘e’ ‘ma’ と日本人とは異なる分節の仕方をするのです。「これを身につけなさい」とは申しませんので、ご安心下さい。ただ、英語が子音連続する点と、特に子音で終わることが出来る点のみ心に留め置いて下さい。
 日本語に見られる開音節(末尾が母音)の音素は、英語のように閉音節(末尾が子音)よりも安定していると言われています。英語は音がふわふわ不安定で、前後の語に影響されてしまうのですが、日本語はドカンと腰を据えている感じです。そんな不安定な英語は特に子音で終わる語に母音で始まる語が後続するときに子音誘引という現象が起こります。これも難しいことではありません。思い出して下さい。英語の「シラブル」は母音が前後の子音をくっつけてしまい構成されていました。子音で終わると,最後の子音がフワフワと不安定な状態です。そこに母音が後続すると、この母音が子音を吸着してしまうのです。
 一つの英文、例えば、‘I’m in on it.’ は子音で終わる語が母音で始まる語に後続されています。すると、‘in’ の母音 ‘i’ が先行する ‘I’m’ の語尾の ‘m’ を、‘on’ の ‘o’ が ‘in’ の ‘n’ をと言う具合に次々と母音が先行する子音とくっついてしまうのです。そして、結果として、‘aiminonit’ となって、文字表記では単語毎に分かち書きされていた文が、全部くっついて語の切れ目が無くなってしまいました。これは安定している開音節の日本語に於いては滅多に起こらないことです。そして、語同士がくっついてしまうことで、どこからどこまでが一つの語であるのかが判断出来なくなってしまう、つまり、分節出来なくなるのです。
 分節出来なければ単語が発見出来ません。単語が発見出来なければ,理解の糸口がつかめないのです。いくら英語を聞いてみたところで、日本語の「リズム回路」を使って英語を分節しようとしている限り、英語の連続音声から単語を抽出することが出来ないので、英語が分からないのです。


| 英語の「リズム回路」の入手方法

特集イメージ6 さて、英語を単語単位で認識するためには、どうやら英語の「リズム回路」が必要そうです。そして、その「リズム回路」を身につける事が英語の理解の第一歩であることは間違いありませんし、逆に英語の「リズム回路」を持っていないことが、日本人が英語を理解出来ないことの一つの大きな原因であることも間違いないでしょう。英語と全く異なる音素や分節に慣れきってしまっている日本人は、そもそも英語の「リズム回路」を身につける事が出来るのでしょうか。
 答えは「イエス」です。私の周囲の帰国子女達は、日本人でありながら英語の「リズム回路」を身につけています。帰国子女で無くとも1年ほどの留学経験者であれば、彼らも英語の「リズム回路」を身につけて帰ってきます。では留学しなくてはいけないのか、といえば、そうではありません。「純ジャパ」と呼ばれる留学未経験者たちも英語の「リズム回路」を身につけているので、英語で行われる授業や英語の映像資料などを問題なく理解することが出来るのです。つまり、日本人だから英語の「リズム回路」を身につける事が出来ないのでは無いのです。
 それでは、どのようにしたら英語の「リズム回路」を手に入れることが出来るのでしょうか。また、特に、留学経験の無い「純ジャパ」と呼ばれる人たちは、日本に居ながら如何にして英語の「リズム回路」を身につけたのでしょうか。
 一歳に満たない幼児たちは /l/,/r/ の聞き取りが出来る事が知られていることは既に述べましたが、それでは1歳前後が音素の聞き分けを始めとする「リズム回路」の獲得の臨界期かと言えば、そうではありません。研究では日本語の文字を身につけるまでの子どもたちは、日本人でありながら、なんとモーラ(拍)では無く、英語のようなシラブルで連続音声を切り出すことが知られています。彼らは「こんにちは」を5拍では無く、英語話者のように3拍と捉えるのです。それでは、日本語の文字を身につける4歳から5歳くらいが英語の「リズム回路」を身につける臨界期かといえば、そうでもありません。英語に堪能な「純ジャパ」に限らず、それほど英語を得意としない大学生達でも講義の中のちょっとした実験ではl, rの聞き取りが出来ているのです。つまり、幼児期はもちろんのこと、中学生以降、大学生になっても英語の「リズム回路」を身につける事は可能なのです。
 余談ですが、この「リズム回路」の入手方法の解明とそのお手伝いこそが、私の長年に渡る課題で、いまだにその課題に取り組んでいる最中ではありますが、どうやら『パルキッズ』シリーズを始めとする年齢別の取り組み方は、日本人の英語の「リズム回路」獲得に極めて有効に作用していることは明らかなようです。閑話休題。さて、それでは、その具体的な方法論です。全く目新しいことはありません。何度も本誌や著作、並びに講演会で述べていることですが、改めて触れておくことにします。
 英語の「リズム回路」に必要なのは一つに英語の音素の知識(特に日本語に存在しない音素を知ること)と、一つには分節の仕方(モーラでは無くシラブルでの単語の切り出し)を知ることです。前者はアルファベットを始めとしたフォニックスのルールを身につける事で達成されます。後者は幼児期から小学生の学習に関しては繰り返しの学習で「感覚的」に身につけさせ、中学生以降の学習では逆転の発想で臨みます。つまり連続音声から単語を切り出すのでは無く、単語を連結させながら英文を産出する練習を通して、英語のシラブルの特徴を体感・理解させるのです。
 具体的には至ってシンプル。まだ読めない幼児期には耳からの大量の英語音声を入力します。これによって、日本語には存在しない英語の音素を身につけ、さらに、モーラでは無くシラブルで英語を分節する能力を維持(研究ではどうやらヒトは生まれつきシラブルで分節する能力を持っているようですが、「かな」を覚えるとモーラ分節が始まってしまうと考えられています)させます。また、既に「かな」を身につけた子でも、小学生低学年までに1年ほど英語音声の環境を与えられれば、幼児期と同様の英語の聞き取り能力の獲得が可能となることは、『パルキッズ』の学習者の英語力から観察されます。つまり、この時期には文字の視覚情報よりも耳からの音声情報による学習が適しています。『パルキッズ』で学習中のお子様は、『パルキッズプリスクーラー』のかけ流しとオンラインレッスンによって英語の「リズム回路」の獲得は達成されます。そして、『パルキッズキンダー』へと進めることで「リズム回路」のみならず、(今回は触れませんでしたが)語彙化と直感的な文章理解が身に付きます。
 小学生の中学年から高学年では、既に日本語の読解は身に付いているので、加えて英語の読解力を育てます。音素の学習にはアルファベットとフォニックスの学習が有効ですし、英語の「分節」の感覚を身につけるためには、中学生以降よりは遙かに柔軟なリスニング能力や暗唱能力を活かして、絵本や詩を始めとした簡単な文章を暗唱させます。小学生には耳からと目から、つまり音と文字の両方からのアプローチが有効でしょう。『パルキッズジュニア』では「音素」の学習と「連結」の学習の両面が可能ですので、中学年以上の子は1日20分ほど『パルキッズジュニア』に取り組むことで、英語の「リズム回路」の獲得は達成されます。もちろん、語彙や文章理解も英検準二級程度には育ちます。
 中学生以降になると大人と同じような頑固さを英語の音声に対して持っています。つまり、日本語の「リズム回路」でもって英語の連続音声の分節をせずにはいられないのです。そして日本人特有の例の日本語英語となるわけです。しかし、それはもはや仕方がないと、潔く一旦諦めるしかありません。ただし、同時に中学生以降の学習スタートでも英語の「リズム回路」を身につけた人がいることを忘れてはいけません。前述の逆転の発想で英文の分節ではなく、単語の「連結(語末の子音と次の語の語頭の母音をくっつけること)」の練習をひたすら繰り返す以外ありません。もちろん、その時には適当に英語らしく発音するのでは無く、「アルファベット」と「フォニックス」の学習を通して、一通り英語の音素がどの様なものなのかを理解しておくことが英語の「リズム回路」に限りなく資することは言うまでもないでしょう。中学生以降、大人も含めては英文が読める、このメリットを最大限に活用して、文字情報からの大量入力を試みます。新発売の『7-day English』に取り組んでいただければ、英語の連結の感覚は十二分に身に付きます。「連結」の感覚が分かれば、逆の「分節」の感覚を理解することも出来るようになるのです。多くの「純ジャパ」と呼ばれる人たちが日本に居ながらにして英語を身につけたように、『7-day English』で英語の「リズム回路」を身につけられるのです。

 お陰様で『パルキッズ通信』は今月号で創刊240号となりました。教材としてのパルキッズは今年で誕生から25年目、パルキッズの前身である弊社の英語教室プログラムからは数えて35年を迎えることとなります。今後ともパルキッズの学習が幼児を始めとする様々な一人でも多くの学習者に「英語力」という掛け替えの無い人生の「武器」をもたらすことを心より願ってやみません。


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引用・転載元:
http://www.palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-1803/
船津洋「英語が出来ないただひとつの理由」(株式会社 児童英語研究所、2018年)

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