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2014年12月号特集

Vol.201 | いま、学校英語は大混乱?!

ただし、早期英語教育をやっていれば心配無用!

written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)


※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。

引用・転載元:
http://palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-1412/
船津洋『いま、学校英語は大混乱?!』(株式会社 児童英語研究所、2014年)


特集イメージ1 政治、経済関連のニュースほど世の中を騒がせたり、スポーツや芸能関連ニュースほど話題に上る機会は少ないものの、年に数度は思い出したように取り上げられる「教育問題」。脱ゆとり、学力低下に歯止めがかかった、など日本の将来の国力の支えになる教育の根本に関わる出来事がある一方、「本気なのかな?」と思われる英語関連の教育改革の提案や諮問もあります。
 その英語関連の話題。大きく分けると2種類あるように思えます。ひとつ目は高等教育へとつながる現在の中学高校での英語教育のあり方。もうひとつは日本人の英語力底上げに関する問題です。言ってしまえば、ひとつ目が「大学入試に向けての英語教育のあり方」と、もうひとつが「使える英語力の習得」とでもすることができるでしょう。ただ、これらの問題、同日に語られることが多く、さらにごちゃ混ぜで考えられているような印象すら受けます。
 たとえば、最近の文科大臣の諮問にあった「高校の授業では学生たちが英語でディベートできるレベルまで育てることを目標とする」などといった考え方は、「大学入試」と「使える英語」との両方の問題に関係します。それどころか、言語による発信能力やロジカルシンキング(論理的思考法)の課題まではらんでいます。また、同じく「小学校5・6年での英語の教科化や小学校3・4年での英語の義務化」などは、高等教育への架け橋となっている「中等教育との連携のあり方」と「使える英語」の問題がい交ぜになっています。そして、問題の核心が曖昧なまま、様々な意見が飛び出すので、ますます混乱してしまう…。
 今回は、切実なる現実問題として、近い将来子どもたちが直面する大学入試を頂点とする「学校英語」のあり方と、情報の受発信もしくは思考回路としての英語力―「使える英語」―のあり方、そのあたりをひも解いて参りましょう。


| 結局は英語力でほぼ決まってしまう

特集イメージ2 ひとつ目の「大学入試時を頂点とする中高での英語教育のあり方」について。
 英検準1級の取得をもって、大学入試センター試験の英語を「みなし満点」にするとか、他方では今のセンター試験のあり方を見直して、一発勝負ではなく複数回受験できるようにする、などの改革案があるようです。
 現在の大学入試の制度では、「ここは日本か?」と思うほど、英語力に評価の重心が置かれています。国公立大学では、センター試験の受験が義務づけられていますが、その中で英語は国語と並んでほかの教科の倍の配点があります。
 また、3教科受験が一般的な私立大学の場合にも、理系文系を問わず英語は必ず受験科目に入っています。しかも、特に文系では英語の配点が高くなっていて、選択教科の1.5~2倍の点数が割り振られています。
 現実を見れば、一流どころの国公立大へ進学したければ、センターで満点を取れる程度の英語力は不可欠ですし、難関以上の私立大の場合には、「英語の偏差値で進学校が決まる」と言っても決して過言ではないでしょう。それほど、日本の大学入試システムでは「英語力」が重要視されているのです。
 ここは日本ですから、頭の出来具合を測るのならば、日本語の論文で入学審査をすれば良さそうなものなのですが、採点が面倒なのか、受験者が多すぎて採点処理範囲を超えているのか、結局は国語もマークシートや簡単な記述式で学生の学力を判断するのが主流となっています。しかも、理系では国語力すら問われない大学もありますが、それでも、英語力だけは問うてくるのです。


| それほど難しいのか?

特集イメージ3 そこで実際に、選抜試験の中身を覗いてみると、意外な発見があります。センター試験の英語の問題は、基本的なレベルの範囲に収まっています。英検でいえば、2級から準1級程度のレベルです。英検2級を持っていれば、150点は取れるでしょうし、英検準1級を8割方得点できるようであれば、満点がスコアできるような内容です。
 これは興味深いですね。「英検準1級を持っていれば、センター英語は”みなし満点”」とするならば、国公立大を受験する子はなんとしてでも「英検準1級合格」を目標にすべきでしょう。なぜなら、すでに述べたように、センター英語で満点のレベルは、英検準1級の問題で8割正答できる程度のレベル。英検準1級の一次試験では、おおよそ正答率7割前後が合格ラインです。要するに、センター英語で満点を取るよりも、英検準1級に合格する方が楽だからです。
 さて、センター試験の英語は、以上のようなレベルですが、難関大の入試問題では、センターレベルには収まっていないのが普通です。中・高と「普通に」英語を勉強してきたくらいのちょっとやそっとの英語力(高校で目標とされている英検2級を持っているくらい)では、高得点は叶いません。難関大の問題が相手では、英検準1級を持っていても、センターのように満点とはいかないでしょう。超難関大の場合には、英検準1級ないしは英検1級の文章題ばかりを集めたような内容になっていて、センターで満点を取れていても7割程度。8割得点は難しいでしょう。


| センター英語は関係ない?

特集イメージ4 大学入試の英語のレベルは、だいたい以上の様相です。「英検準1級でセンター英語満点扱い」とか「センター試験制度の見直し論」などありますが、それはあくまでも国公立大進学の場合。大半の学生、おおよそ3/4の学生たちは、私大へ行くのですから、これらのセンター云々は、彼らにはそれほど関係ないと考えて良いでしょう。(ちなみに、数字は平成25年5月の段階のもので、高校生は1学年あたり110万人、大学生は1学年あたり65万人[進学率約6割]で計算しています)
 国公立大の場合にも、ここで例に挙げているセンター英語満点を必要とするレベル(旧帝大や旧六医科大学、その他難関国公立大約20校の学生数約6万人=1学年の1/4の国公立大進学者のさらに2/5)の学生に限られますので、大学入試センター試験のあり方が、直に響いてくる学生は、大学生1学年全体の1割程度と考えて差し支えないでしょう。
 センター試験改革は、難関国公立大を希望する学生にとっては切実なニュースである一方、それ以外の学生にとってはあまり関係のない話なのです。特に大学生の半数を占めるほどに一般的になっている「AO・推薦方式」で入学する学生からすれば、他の星の話なのかもしれません。ちなみに、倅たちとの雑談で「留年生たち」が話題になることがありますが、かなりの高確率でAO・推薦組だそうです。一般受験をしてきた子たちとはかなりの学力差があるようです。
 ここで、付け加えれば、おそらく本誌をお読みの皆様は、ご子息を旧帝大・旧六大学を第一志望に、早慶あたりを滑り止めにされるのでしょうから、いずれにしても、現在、取り組んでいる英語力育成が、お子様たちの大学入試を助けることは間違いないでしょう。ここまでの話はあまり関係ありませんね。


| 使える英語vs大学入試英語

特集イメージ3 さて、次へ進めて参りましょう。大学入試の英語のあとは「使える英語」の話です。
 これに関しては、大学受験のみならず、就職活動や昇進・転職など、その後の人生にも大きく響いてきます。英語ができることが、就業にも有利に働きます。また、職業の選択肢が増えるということは当然、所得にもプラスに影響します。所得は、生活の豊かさにも直結することですから、こうなると「たかが英語」ではなく「結局は英語」ですね。そして、社会のそんな風潮を受けてかどうか、文科省でも、近年は「使える英語」教育に焦点を当てるようになってきているようです。
 その流れは、大きく分けて2つ。ひとつ目は中学・高校の英語課程の改変。そしてふたつ目が、何かと議論の多い小学校での英語教育です。
 今回の文科大臣の諮問でも、中学校では英語で授業、高校では英語で議論できるようにすることが可能かどうか、そんなことが問われていたようです。
 順番に見ていきましょう。まずは中学校での英語について。「英語の授業を英語で行う」意図がよくわかりません。
 これも2つの側面があると思いますが、まずは「生徒の英語力」。英語で授業を受けるだけの英語の理解力を、そもそも学生たちが有しているのかと言えば、そんな能力はハナから無いでしょう。
 日本語で英語の授業を行っても、理解できないところを、英語がわからない子たちに、さらに英語で授業を行うとなれば、授業が混乱することは容易に想像できます。さらに懸念されるのは、一層英語の学力が落ちることでしょう。なぜなら、日本語で済むところを、わざわざ英語にすることによって、理解にもより時間がかかるでしょうし、理解のレベルも低下するであろうからです。
 まったく単純な話です。日本語ならそのまま理解できる、英文法に関わる用語(名詞・動詞・形容詞・副詞・前置詞などの品詞、進行形・完了形・仮定法といった文法用語、日本の英文法独特の「~の構文」などの名称)を、さらに英語で覚えなくてはいけないわけですから、覚えることが増えます。また、いちいち英語の授業内容を日本語に置き換えなければ理解できないのですから、授業の進行速度まで低下するでしょう。
 文科省の最新の調査では、中学生で英検3級以上を取得している生徒の割合は17%です。果たして英検3級が「英語で行われる授業を理解できるレベル」とイコールであるのか、はなはだ疑わしいのですが、仮に、英検3級で英語での授業を理解できるレベルだと想定しても、英語の授業について行けるのは6人に1人しかいない計算になります。
 生徒の英語力のみを取り上げても、以上のような問題があります。その上「先生の英語力」にも大きな課題が残ります。同じく文科省の調査で、教員の英語レベルを見てみると、英検準1級以上を取得している教師は、中学校で28%、高校でも52%しかいません。しかも驚くべきことに、英検などの外部試験を受けたことのない英語教師が4人に1人いるのです。英検すら受けたことのない英語の教師たちに関しては、レベルの判断のしようがありません。さらに、英検準1級レベルを保持していれば、「満足できる英語の運用力」があるのでしょうか。これまた、はなはだ疑わしい。
 しかも、英語で授業を行うとしている中学校の教師に至っては、英検準1級の保持者は4人に1人程度です。6人に1人しか英検3級を持っていない中学生たちと、4人に1人しか英検準1級を持っていない教師との間に、はたして英語で行う英語の授業が成立するのかどうか…。
 これは、あくまでも目標なのでしょうけれども、現実と目標の間のギャップがあまりに著しい印象を受けるのは、私だけではないでしょう。また、そのギャップを埋める手段、つまり『いかにして「英語による英語の授業」を「日本語による英語の授業」と同じレベルで行えるように、教師・学生共に英語力を向上させていくのか』その手段は何も提示されていないのです。
 「英語で英語の授業を受けられる」能力があるならば、それは英語を理解できることと等しく、つまりは「実際に使える英語力の保持」に他なりません。
 要するに、「子どもたちが英語で英語の授業を受けられるようにするメソド」がもし存在するのならば、「英語で英語の授業を行う」など七面倒くさいことをせず、そのメソド自体を現在のカリキュラムに加えることで、子どもたちの英語の運用力を高めれば事足りるのではないでしょうか。


| 何のための授業なのか

特集イメージ3 また、「高校では英語で議論ができるレベル」にするという目標設定も、ひとつの考え方としてあるようですが、これも今ひとつ素直に頷けません。
 議論(ディベート)するということは、論理的な思考を身につけることに他なりません。それは英語で行う必要などひとつもなく、日本語でトレーニングすれば良いのです。そもそも、日本の学校教育のカリキュラムには、米国式の「クリティカルシンキング(批判的思考)」も「ロジカルシンキング(論理的思考)」も存在しません。
 ディベートというのは、単なる恣意的な言葉の応酬ではなく、自説がいかに正しいのか、または相手の説がいかに間違っているのか、これを理路整然と突き詰めていくことです。繰り返しますが、少なくとも私の学生時代には、そのようなトレーニングを受けた覚えはありませんし、今の子どもたちを見ていても、そのような授業を受けて育ったとは見えないのです。
 確かに、論理的思考は、日本人全般において欠けている部分です(「日本語」自体に、論理性・明確性を嫌う言語生理とでも呼ぶべき傾向があるので、ある意味仕方がないことですが…)。そこで、論理的な思考力をディベートを通して養う、この考え方には大いに賛同します。ただ、それが「英語で…」となるところに、落ちつかなさが残るのです。
 今提案されている、中学生に英語で授業を行うことや、高校生に英語でディベートをさせることは、相当なレベルの英語の理解力(授業を受けるに耐えうる)や、運用力(論理思考並びにその発露)を有しているのが前提条件で、それらをクリアした上でようやく可能となる授業形態です。しかし、文科省のウェブサイトなどを覗いてみても、どうしても『英語で行う授業や英語でのディベートを通して「使える英語力」を身につけよう!』と言っているようにしか響いてこないのです。
 さらにひとつ忘れてはいけない、大きな課題があります。現実問題として、受験生たちは、そんなことにかまけている暇があるのか、という単純な問題です。高校受験もそこそこ、大学もAO・推薦入試で進学するのならば、そんな子たちには「使える英語」を目指した取り組みも大いに結構なのでしょう。しかし、難関大を目指す場合には、限られた時間をどう使うのか。これは避けて通ることのできない、大きな問題です。


| 低年齢化に関して

特集イメージ3 さて、「大学受験の英語」から「使える英語」、そして「使える英語」の中でも「中・高の英語の授業」について書いて参りましたが、残るは「小学生からの英語」です。
 すでに、小学校で英語が必修化されて久しいのですが、中学英語との兼ね合いから制限も多く、暗中模索が続いている感がぬぐえない小学校英語。将来的な方向性としては、完全な「教科化」―テストがあり成績評価の対象となる―への道を進みつつあるようです。
 評価の対象となると、現在のように各学校や地域任せで統一感のない英語の授業ではなく、カリキュラムが必要ですし「教科書」も必要となります。そこで避けて通れないのが、「中学校との連携問題」でしょう。
 現在のところ、中学校で教える内容は、小学校の英語の授業で教えることはできません。従って、スペルや文法は教えられないのです。そこで、外国人とふれあわせることによって、英語を身近に感じさせたり、リスニング能力の向上を狙いとするケースが多いようです。
 これに関して、幼児から小学生、中学生までの英語教育を実践してきた立場から言えば、外国人とふれあうことによって、確かに「外国人に慣れる」ことはできます。英語を話す人と、なにやら英語で話す機会を持たせることによって「外国人を見ても怖じ気づかないように育てる」ことはできるでしょう。この点においては、十二分に効果があると思います。ところが、「外国人とふれあう=リスニング力の涵養」、この点に関しては疑問だらけです。
 小学生から、毎日1時間、倍速などの様々な手段を講じて本気で英語に取り組んだとすれば、ようやくリスニング力の向上にも効果はありますが、週に1・2度の授業の中で、情報量にはかなりの制限がある中、外国人教師がいるからといって、それでもって子どもたちに「英語のリスニング力」を身につけさせる、とは現実味のないことです。
 仮に、小学生がちょっとやそっとの英語に触れる程度でリスニング力が向上するなら、幼児・小学生からの英語教育が世間の風潮として珍しくない今日、相当数の日本人は、とうの昔に英語を身につけているはずでしょう。
 私自身、決して小学校からの英語教育に反対する立場をとるものではありません。しかし、小学生期の貴重な時間を割いてまで英語を教えて、得られるものが「外国人を見ても驚かない」程度であるとすれば、お粗末感をぬぐえません。もっと他にやるべき事があるでしょう。
 ただ、評価対象となる教科化が現実のものとなるのであれば、話は別です。これは歓迎すべきことです。しかし、何度も繰り返しますが、そこには中学英語との兼ね合いという大問題が横たわっています。もし仮に、中学英語を小学校で先取りすると、次は、高校英語のカリキュラムにまで響いてきます。しかも、ゴールを大学入試にするのか、はたまた「使える英語」の獲得にするのか、学生間にもニーズの格差があります。これらの難問をクリアして、小学校から高校までの画一的な英語のカリキュラムを組み上げるのは、並大抵のことではないでしょう。


| 小学生のうちにやっておくべき事

特集イメージ3 ところで、そこには、きわめて簡単な解決法があるのです。中・高の英語は今のまま。現状のまま手を付けずに、大学受験へ向けて、もしくは「人生のたしなみ」としての英語力を育てる。しかも、すでに動き始めている小学校の英語教育を有意義なものにしていく。…そんな方法が、ないわけではありません。
 「使える英語力」にまず必要なのが「聞き取り能力」です。読み書きを通して「英語を日本語に訳していく方法」を身につけるのならば、中学校からで十分できますので、小学校ではまず「聞き取りの能力(リスニング力)」を向上させておくことで、来るべき将来の英語学習において、相当のメリットを生み出すことができるでしょう。その前に、「四技能」についての誤解を解いておきましょう。


| 四技能について

特集イメージ3  ちなみに、「読む・書く・聞く・話す」を英語の「四技能」といってありがたがっている向きがあるようですが、これらは個別に働く技能ではありません。聞き取る・読み取るという言語情報「入力」の回路と、それを「思考」する段階があり、さらに何か表現したい内容を持っていれば、話したり・書いたりすることを通して「発信」する…。実際には、言語回路はこのように複合的に使われます。
 これは、日本語を例にとれば良くわかります。昔から身につけるべき技術の代表格として「読み書きそろばん」などと言いますが、情報を読み取るために、読めるようにすること、さらに、記録・発信するために書けるようにすること、これができれば良いのです。そして、聞いたり話したりすること(会話)も、それ自体が独立した技術なのではなく、聞いたり読んだりして情報を得て、考えたことを書いたり話したりして発信する、これができれば良いわけです。
 考えるに、日本人は英語のいわゆる四技能に関して、「我ら日本人は読んだり書いたりはある程度できるが、聞き取りと話すことが苦手」と漠然と感じているようです。果たしてそうなのでしょうか。
 実は、日本人は英語を聞き取れない、そして話せない、それだけでなく、書いてある英文すらも実は理解できないのです。試しに『ハリーポッター』を原書で読んでみればわかります。日本語で書かれていれば、小学生でも理解できるような内容ですが、英語になったとたんに理解できなくなります。これはつまり、四技能のうちの「読む」ことができないことに他なりません。
 さらに、もし「書く」ことができるとすれば、大学生にもなれば、英語である程度の論文は書けるはずです。しかし、実際には、英語で論文など書ける学生はほとんどいません。つまり、四技能のうちの「書く」ことに関しても、その能力を有していないのです。極論すれば、日本人は英語を読んでも理解できなければ、聞いても理解できない。さらに、書いて発信することもできなければ、話すこともできない。きつい言い方ですが、これが大方の、一般的な、大学まで卒業した日本人の英語の四技能のレベルです。


| リスニング

特集イメージ4 話を「小学生」に戻しましょう。まず、小学生のうちに行っておくべきことは、リスニング力を育てることでした。
 ところで、物事の始めのことを “ABC” とか “イロハ” などと例えますが、英語の事始めは本当に “ABC” なのでしょうか?
 もちろん、アルファベットから英語の学習をスタートすることに異存はありません。英語の音素を表記するアルファベットをまず知ることは、英語学習者としてあるべき姿でしょう。
 ところが、そのアルファベット。きちんと習ったことがある日本人はどれだけいるのでしょう?大文字小文字、楷書体は学校で習いますが、アルファベットの「正しい音」を習ったことがあるでしょうか。これは実に興味深いことですが、日本の英語教育においては「音の学習」というものがまったく重視されていないのです。
 英語の音素は、子音が日本語とだいたい同じで20ほど、母音は日本語が5つなのに対して20もあるのです。また、日本語にない発音もあります。しかし、英語の文章を構成する単語の「スペル」は習っても、英単語を構成する「音素」に関しては習う機会がありません。そこで、学生たちは仕方なく、英語の音を日本語のカナに置き換えて、つまり英語の音を日本語風に変換して発音するようになります。運良く英語をまともに発音できる教師に出会えば、正しい発音に触れる機会もあるでしょう。しかし、大抵の学生たちは英語の音素を習う機会がまずありません。
 これに関しては、*拙著『ローマ字で読むな!』に詳しいので省きますが、英語がどのような音から成り立っているのか、そんな知識を学生たちはまったく持たないのです。
 しかも、音素の知識がないだけではありません。母音なしで発音することのできない開音節の日本語とは異なり、英語は、子音だけを連続させたり、子音で単語を終了することのできる閉音節の言語です。そして、この閉音節の言葉はやっかいなことに、リエゾンして単語同士がくっついてしまうのです。
 日本語の単語は母音で終わるので、次の単語と音がくっついてしまうことはありません(「天皇」と発音するときのように「てん」の「ん」と次の「おう」の「お」がくっついて「の」となる場合を除く)。それに対して英語は ‘I’m in on it.’ を発音すると m と i がリエゾンして mi に、n と o がリエゾンして no に、さらに n と i がリエゾンして ni と発音されるのです。つまり、音にすると ‘aiminonit’ とすべてくっついてしまうのです。このように、リエゾンしてしまった英語は単語の切れ目がわからないので、英語の音素もリエゾンの感覚も身についていない日本人たちには、英単語を発見することができないのです。
 こんな簡単な仕組みで、日本人はリスニングができません。基本となる「音の仕組み」が理解できていなければ、闇雲に英語を聞いてみても時間ばかりがむなしく過ぎていくことでしょう。
 まずは中学に上がる前に、英語の音の基本となる音素を学ぶ。そして、その音素を表記していくアルファベットにも敬意を表して、とりあえずアルファベットくらいは正確に発音できるようにしてあげることが良いでしょう。
 それが、ひいては正しい発音を口にすることにつながり、正しい発音を口にしながら適宜リエゾンする感覚を身につけていけば、なるほどリスニングの能力も向上するでしょう。少なくとも「勘」に頼るリスニングよりは、地に足の付いた方法であることは間違いありません。

 さて、長々と書いて参りましたが、これは世間一般の話です。すでに幼児期に「パルキッズ」で英語学習をスタートされていらっしゃる皆様にとっては対岸の火事。お子様たちは、「英語を英語のままで理解できる能力」を身につけ、大学受験までに英検準1級は問題ないでしょう。そしてもちろん、この英語力は、受験のためだけのものではありません。実践で使える英語力ですから、その後、社会人になってからの人生でも、英語の「壁」に行く手を阻まれることはないでしょう。
 強いて、今の段階で関係があることといえば、最後に触れた「音」の話です。英語を「聞いて理解」できるようなったら、今度は「音」と「スペル」の関連性を知り、正しく読んだり書いたりできるようにすること。ここさえクリアしておけば、あとは間違いないでしょう。

 世間で言われていることに惑わされず、日々の「パルキッズ」のかけ流しでの英語の言語回路づくり、そして「アイキャンリード」 での読力(まず「読む」だけの力)の育成から、「アイラブリーディング」による読解力(読んだものを瞬時に理解できる力)への橋渡しに努めて参りましう。


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プロフィール

船津 洋(Funatsu Hiroshi)

株式会社児童英語研究所 代表。幼児英語教材「パルキッズ」をはじめ多数の教材制作・開発を行う。これまでの教務指導件数は6万件を越える。卒業生は難関校に多数合格、中学生で英検1級に合格するなど高い成果を上げている。大人向け英語学習本としてベストセラーとなった『たった80単語!読むだけで英語脳になる本』(三笠書房)など著書多数。

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