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2014年09月号特集

Vol.198 | 子どもの将来、出力が決め手!!

今なら間に合う、子どもに身につけさせたい生きる力

written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)


※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。

引用・転載元:
http://palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-1409/
船津洋『子どもの将来、出力が決め手!!』(株式会社 児童英語研究所、2014年)


特集イメージ1 子どもたちを取り巻く社会環境は変化し続けています。「ゆとり教育」が完全実施となってわずか十年、「円周率3ではものは作れない」などと様々な批判を受けつつも紆余曲折を経て、結局は「脱ゆとり」へと舵が切られました。学校の完全週休二日制度は崩れ、ゆとり教育で失われた学力を取り戻すかのように、月1回、隔週、もしくは毎週の土曜日にも授業が行われるようになっています。
 教育制度の変遷もさることながら、少子化も教育環境に大きな影響を与えています。戦後のベビーブーム時には270万人もあった年間出生数は、昭和四十年代後半の第二次ベビーブームの200万人を境に年々減少し続け、今日では年間100万人を超える程度で推移しています。単純な話、日本の将来を支える-俗な言い方をすれば我々の老後を支える-未来の潜在労働力が在りし日の1/3~1/2になっているのです。


| もう「狭き門」ではない「大学進学」

特集イメージ2 そんな中、某大手予備校が、大幅な校舎数の削減並びに人員の削減を余儀なくされたのは、記憶に新しいところです。この背景には、単なる少子化のみならず、学生や親たちの意識の変化も大いに影響しているようです。
 30年前には、今の全入時代では考えられないほど、大学とは「狭き門」でした。浪人するのは当たり前、多いときには3人に1人、30万人もの浪人生がいたのです。大学生の数は今とそれほど変わらないのですが、志願者が多く、あふれてしまった形でした。ちなみに、現在のアラフォー世代が大学生となっていた20年前では、18歳人口200万人に対して、大学の受け入れ定員は50万人。そこに、90万人以上が志願していました。つまり、大雑把に言えば大学へ進学できるのは志願者の約半分。20万人ほどが、翌春の雪辱へ向けて浪人していたのです。
 それが、今年の浪人生の数は一説には6万人とか。ピーク時の30万人から、20年前の20万人、そして現在と、減少の一途をたどっているわけです。もちろん、予備校に通う現役生もいますが、浪人生の減少は予備校にとっては大打撃でしょう。
 では、なぜ浪人する若者が減っているのでしょうか。少子化で18歳人口は減っているものの、大学進学率は年々上昇しており、今日では高校卒業後、半分の学生が大学へ進学しています。
 大学生の数だけ見れば、30年前とさほど変わらないのですが、その内容は大きく変わっています。大学進学は30年前の「狭き門」から、今日では「全入時代」となり、選り好みさえしなければ、希望者は全員大学へ進学できるようになっています。浪人生が減るのは当然です。
 また、日本では「子どもの大学進学」が「家計の損益分岐点」となっており、それまで貯蓄のあった家庭でも子どもの大学進学とともに家計が赤字に転落するといわれています。そんな厳しい経済事情の中で、浪人するということは、つまり1年間の予備校の学費(大凡100万円)が、大学の学費とはまた別の負担として発生するので、親が「浪人せずに、とりあえず大学へ進学してもらいたい」と考えるのは、切実な現実でしょう。


| 大学は「とりあえず行く」?

特集イメージ3 さらに、子どもの方の意識も変化しています。過去のように「勉強のできる子だけ」が大学へ行くのではなく、「まあまあ普通の学力の子」まで大学へ進めるようになり、大学進学が大した努力をしなくても手の届く進路となったのです。つまり「大学へ行くぞ!!」という強い決意のもと勉強するわけでもなく、小中高の続きとして「皆が行くから、私もとりあえず」進学するという子が増えているのです。特に何を勉強したいわけでもなく「とりあえず」大学へ進学するのであれば、なにも浪人してまで上を目指す必要は無いわけで、そんなことも浪人生の減少の一因となっているのでしょう。
 少し脇道へそれます。これは、中学生への英語学習指導を通して、また現場の先生方との話の中から実際に感じることですが、現に「それほど勉強熱心でない子」も大学へ進んでいます。「とりあえず」勉強している子どもたちは、将来の目的も、明確な目標も持たないまま、なんとなく勉強していますが、その一方で、大学進学もしくは将来の目的が、ある程度しっかりと頭にあって勉強している子は、ものすごい勢いで勉強しています。この両者の差は歴然です。同じ中学生であるのかと疑いたくなるほど、前者と後者には隔たりがあるのです。
 偏差値でみると、50あたりを境に「勉強のできる子」と「できない子」に分かれているのではなく、60あたりを境に「積極的に勉強をする子」と「そうでない子」に分かれていて、この「そうでない子」の中でも、いじけずに「ある程度まじめにやっている子」、つまり偏差値50代の子どもたちも大学へ進んでいく…。あくまでも個人的な印象ですが、そんな感じを受けます。ざっくり人口比で言えば、「大学へ進学する子としない子が半々。全体の1割が一生懸命勉強をして難関大へ進み、とりあえずやっている4割も大学へ進学する。」ということになります。


| 就職浪人・就職留年

特集イメージ4 不勉強で、つい最近まで知らなかったのですが、大学生の就職事情に関して「就職留年」という言葉があります。
 「就職留年」とは、敢えて大学を卒業せずに、留年して在学しながら翌年の就活へと臨むことです。大学への切符を受け取れなかった子が大学受験の浪人生となるように、内定をもらえなかった学生が、卒業後、翌年へ向けて就活する「就職浪人」とは異なります。
 大学の卒業率は、おおよそ9割強です。その後、大学院へ進学する者と、就職も就活もせずにいる者を合わせると2割強となります。つまりそれ以外の7割程の大卒者が就職するのですが、最近では就職留年が増えて8万人もいるそうです。これは学生数の比率に直すと12%、大学4年生の8人に1人にあたります。既述の大学進学に向けての浪人生数が6万人なので、なんとそれを上回る数の学生が「就職留年」しているのです。
 内定がもらえずの再チャレンジであれば、就職浪人でも良さそうなものですが、留年すれば翌年の「新卒」となるわけですので、その新卒ブランドを維持する目的のために留年するようです。しかし、大学の学費も、国公立大で年間50万円、私立大なら文系で年間100万円、理系では150~350万円はかかります。大学進学時の浪人同様、親の側とすれば「就職留年」は何としても避けてもらいたいのが本音でしょう。(ちなみに、我が家にも理系の院生と学部生がいるので、このあたりの事情に関しては切実なる思いを込めてキーボードを打っています)


| 不安定な時代が続きます

特集イメージ3 どうやら、今の学生たちの心のどこかには「売り手市場意識」があるのでしょうか。内定がもらえないから留年するならともかくも、内定がもらえているにも関わらず、選り好みをして留年する学生がいるらしいのです。そのすべてが悪いとは言いません。もちろん、自分の望む仕事を手にすることは悪いことではありません。ただ、関連する報道を見聞きするにつけ、学生の心理のどこかに「もうちょっと自分は高く売れる」という意識が見え隠れします。
 確かに、見た目の経済は回復基調です。有効求人倍率は1.1倍。仕事があふれている。つまり、みんなに仕事があるのです。しかし、この数字を鵜呑みにすることはできません。職はあるのですが、その業種や雇用形態に目を向けると、決して明るい見方ばかりはできないのです。
 企業の倒産件数は減っているものの、最近増えているのが「人手不足倒産」。建設業や運送業、飲食業等での人手不足が顕著です。一見すれば分かるように、これらの職種にはそれほどの高学歴を必要としません。また、飲食などはその時々の景気に大いに左右されるので、あっという間に職を失うかもしれません。さらに、雇用形態に目を向ければ、最近の非正規雇用労働者の比率は雇用全体の35%、つまり3人に1人は正社員ではないのです。非正規雇用率は、20年前の20%から上昇傾向が続いています。需給のバランスから、今のところ全体としては時給も上昇していますが、決して安定的な雇用環境であるとはいえません。(大学も席数が余剰なので、選ばなければ誰でも入れますが、だからと言って皆が難関大学へ入れるわけではないのと同じ仕組みです)


| 「消える職業」

特集イメージ3 昨秋、オックスフォード大学のマーティンプログラムのホストで開催された『機械と雇用に関するワークショップ』で『未来の雇用 : コンピュータ化の影響を受けやすい職業』というレポートが発表されました。
 少々衝撃的な内容でニュースにもなりましたが、レポートでは「現在の702の具体的な職業のうち47%が、これから20年のうちにコンピュータに取って代わられる」というのです。
 レポートの内容を、かいつまんでご紹介しましょう。
 産業構造の変革は、人類の発展とともにありました。たとえば機械化。それまでは熟練工が手作りしていたものを、機械で大量に作れるようになりました。これにより、熟練工の仕事は奪われましたが、機械を操作する雇用が大量に生まれました。
 また、蒸気機関や電力の発見・発明によって、ものが大量に生産されるようになったときにも、同じように大量の失業者が出ました。しかし、一方で量産により価格が低下し、余剰の金員が他の新たな市場を生み出しかつ潤しました。このように従来の発展には負の一面がある一方、正の面も表裏一体として存在したのです。
 ところが、近年は少々様子が変わっていて、労働力を削減する発明が、労働者に新たな仕事を提供する以上のスピードで進んでいるのです。(これは米国での話ですが)近年の失業率の高止まりは様々な要因もあるが、多くの学者はコンピュータ化によるものだと結論づけています。現にオートメーションにより、2008年以降44%の企業が人員を削減しています。
 中賃金の製造業から低賃金サービス業へと、コンピュータ化は進んでいます。物作りの面では熟練工の手から職を奪い、物販の面ではネット通販などが販売員の職を奪っている図式です。
 この流れによって、高い認知力を必要とする高所得の仕事と直接人と対面する低所得の仕事との中間にある、ルーティン作業が、製造やサービスが、次々とコンピュータに置き換えられいます。販売関連業務に関しては、皆さんもネット通販や旅行チケットの手配などをされたことがあるでしょうから、それらの職業がコンピュータに置き換わっていることは実感できるでしょう。しかし、そればかりでなく、中間的な職業、営業、販売管理、財務管理といった、いわゆる昭和のサラリーマン的な仕事がコンピュータ化によって、どんどん省力化されているのです。
 さらに、コンピュータ化はそれだけにとどまりません。わずか10年前には、自動車の運転などはあまりにも高度な認知力を必要とするためコンピュータ化は不可能だと言われていましたが、運転者不要の自動運転車「グーグルカー」が登場しています。高度な認知力が必要とされていた作業分野にすら、コンピュータ化の波は押し寄せています。つまり、単純作業はもちろんのこと、中レベルの知的作業、加えてそれ以上に高い認知力を必要とする作業ですらコンピュータに奪われていくのです。
 同時にこのレポートでは、「今後もコンピュータによる置き換えが困難である職業」も提示しています。それらの特徴は、主に「身体の器用さ」、オリジナリティ・芸術などの「クリエイティブ系」と「社会的知能」だそうです。
 「身体の器用さ」とは、例えば外科医のように、様々な状況下で必要に応じて手先の器用さを発揮する能力、「クリエイティブ系」とは、様々な状況下で問題解決に向けてポジティブなアイデアを思いついたり、音楽やダンス、絵画、脚本、彫刻などを生み出したりという芸術的能力。確かに、これらは専門的な知識や技術の習得、さらには運やセンス、加えて年齢や経験とともに得られる知恵などが要求されます。なかなか凡人の手には負えない能力かもしれません。
 そして最後の「社会的知能」ですが、これはいくつかに分かれています。まずは他者の反応を見たり、なぜそのような反応するのかを理解したりする社会的知覚能力。人と人を結びつけたり、他者との差異を埋めたりする折衝力。他者の考え方や決断を変えさせる説得力。個人秘書などのいわゆるブレイン、治療、情緒的支援に加え同僚、顧客、患者などの支援…。これらの作業、英語で言えば ‘face to face personal communication’ のコンピュータ化は、今後も難しいようです。


| 「使えません」では済まされない

特集イメージ3 さて、ずいぶん長々と大学進学事情から未来の職業事情について書いて参りましたが、これらすべてがお子さまたちの将来に待ち受けているのです。
 往年の文系優勢は遠い過去の話。理系がもてはやされ、しまいには男子と異なり言われなくてもせっせと働く女子を賛美して「リケジョ」なる言葉まで生まれる昨今。
 ところが、そんなマスコミの言葉遊びを傍目に、どうやら世の中はものすごい勢いで新しい時代、人類が過去に経験したことの無い職業変革の時代へ突入していたようです。
 「バブル」をうっすら経験した私としては、当時バブルの恩恵をフルに被った世代がうらやましくもありました。しかし、今ではバブルを知らない世代が社会の中核を担うようになっています。
 我々の世代(バブル経験者たち)は、コンピュータを使えなくても、どうにか人がましく生きることができました。しかし一世代下になると事情は異なります。彼らが社会に出るときには、すでに職場にはコンピュータが配備されており、日常業務にはコンピュータが欠かせないものになっていました。さらにその下の世代では、職場どころか、家庭内にコンピュータが入り込んでいました。つまり、常にコンピュータが身近にある場所で成長した世代です。
 そして、未来の社会では、すでにアメリカでは実践されているように、学校教育のカリキュラムの中にもコンピュータ教育が深く入り込んでくるでしょう。親の世代ではコンピュータを使えなくて済んだとしても、子どもたちは、それでは済まない世の中に生きることになります。
 お子さんを理系に進ませるのは大いに結構なことですが、それだけでは済まず、さらにコンピュータを使いこなす側にいなければ、コンピュータに職を奪われてしまうかもしれません。


| コミュニケーション能力

特集イメージ4 さて、今回紹介したレポートの中で、コンピュータに取って代わられることが困難であろう系統の職業に関して、’face to face personal communication’ という言葉がありました。このコミュニケーション能力が未来へのキーワードでしょう。
 本誌先月号にて「英語の四技能の分け方」に関して、「リーディング・ライティングの文字系」、「リスニング・スピーキングの音声系」ではなく、「リーディング・リスニングの入力系」と「ライティング・スピーキングの出力系」で考えると良いこと、さらには入力系とはどのようなものかに関しては書きましたが、「出力系」に関しては触れませんでした。
 出力とは、入力して得られた情報を、まず知識や知恵を駆使して理解するところから始まります。そして、出力へと移るのですが、これが単に口にするだけではいけません。思いつくがままに口にしても、相手に伝わるかどうかは、受け取る相手次第です。何でもかんでも言いたいことを言うだけでは、コミュニケーションではありません。コミュニケートの目的は、こちらの考えを相手に理解させることに他なりません。頭の良い相手ならば、こちらの発言から真意を察してくれるかもしれません。しかし、言うだけ言って相手の理解を待つのではなく、相手に理解できるように話すことがコミュニケーションなのです。
 つまり、相手の発言から真意を探り理解し、相手もしくはお互いの利益にとって最も適切な答えを導き出し、それを相手の性格や表情を読みながら的確に伝えていく…。このような力が、コンピュータには置き換えることができないコミュニケーション能力なのです。
 今でさえ不透明な時代ですが、これからはさらに不透明さが増すことでしょう。そんな時代に私たちの子どもは生きていきます。彼らが生きる時代は、「自分次第だ」などと放り出されても、どうにか生き延びることができた「古き良き昭和」ではありません。そんな彼らには、生きるすべとして、英語力、コミュニケーション能力、そしてできることならば、コンピュータを使いこなせる能力を身につけさせてあげることが必要でしょう。

 さて、話は「パルキッズ」です。2学期も始まり、また日常に戻りますね。子どもたちには「パルキッズ」の学習を継続して、グローバル化する社会に通用する英語力を身につけさせるとともに、英語での読書を通じて、コミュニケーション能力の根っこともいえる論理的思考力の涵養に努めましょう。平成24年度からは中学校でのプログラミング教育もスタートし、コンピュータが苦手ではすまない時代になりました。今のうちからコンピュータの操作に慣れ、学習習慣も身につき、読解力さえも育てていく「オンラインレッスン」もぜひ併用くださいませ。


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プロフィール

船津 洋(Funatsu Hiroshi)

株式会社児童英語研究所 代表。幼児英語教材「パルキッズ」をはじめ多数の教材制作・開発を行う。これまでの教務指導件数は6万件を越える。卒業生は難関校に多数合格、中学生で英検1級に合格するなど高い成果を上げている。大人向け英語学習本としてベストセラーとなった『たった80単語!読むだけで英語脳になる本』(三笠書房)など著書多数。

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