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2014年07月号特集

Vol.196 | 生き残れない!口べたな日本人

「発信型教育」は家庭でするべし!

written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)


※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。

引用・転載元:
http://palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-1407/
船津洋『生き残れない!口べたな日本人』(株式会社 児童英語研究所、2014年)


特集イメージ1 「壁の花」もともとは、舞踏会で踊りに「誘われずに」壁際に立っている女性たちを指していたようですが、今日では会話の輪に入れずにいる女性を広く指すようです。
 確かに、立食パーティーのテーブルでの会話に入ることなく、壁際でひとりサンドイッチをほおばっている女性を見かけることは少なくありません。もとい、逆に特に若い女性にはそちら―壁の花―の方が多い、そんな印象すら受けます。
 知人に声をかけられて、会話の輪に入ってみるものの、どうにも会話を続けることができずに、結局はひとりぼっちになってしまっている。会話が苦手なのか、世間知らずで話しについて行けないのか、それともその両方なのか…。声をかけられるのを待っていて、しかし、声をかけられたとしても会話が長続きしない。そんなご経験をお持ちの読者も、ひょっとすると、いらっしゃるかもしれません。
 さて、この壁の花。女性側ばかりの問題ではないようです。声をかけるべき側であるはずの男性が、声をかけられずにいる。そんな側面もあります。
 着席のパーティーに一人で参加するようなことも、大人になれば何度かは経験するでしょう。そんな場で、隣に座っている人に声をかけられずにいる。隣のゲストが会話上手ならば、話もいくらかはできるが、やはり長続きしない。投げかけられた質問に答えるばかりで、自ら会話を広げていくことが苦手。そんな男性も少なくありません。
 ただ、男性の傾向として、自分の得意分野の話に水を向けられると話し続けることも案外できるようです。まったくの無口でいるよりはいくらかでもマシなのかも知れませんが、この類もお世辞にも会話上手とは言えません。
 そして、会話が上手な人たちばかりが交流の輪を広げて、会話の苦手な男子は、ひとり黙々と食事を取ったり、せっかくの壁の花に声をかけることもできなかったりで、ただ時間ばかりが過ぎていくのです。


| だって日本人だもの

特集イメージ2 同性同士でも会話を広げることができない。ましてや見ず知らずの異性に声をかけるなど到底できない。こんなことを書くと、まるで「そんなことではダメだ」と主張しているのか、と勘違いされそうですが、そうではありません。実はそんな人たち、日本人としては極めて自然な存在なのです。
 逆に、誰とでも会話を楽しめて、気楽に異性に声をかけられる、そんなタイプの人は一般的な日本人とは言えないでしょう。海外での生活が長く、そこで発信型の人格形成を余儀なくされでもしない限り、日本人として日本で教育を受けてくれば、自然と「壁の花・壁の草(壁の花の男子版をこうとでも呼んでおきましょう)」に育ってしまうのです


| 子どもたちの育つ環境

特集イメージ3 これには、子どもという存在に対する考え方と教育の仕方、さらに日本の社会のあり方が大きく影響しています。
 「子ども」には、幼い者、児童、娘や息子など、様々な意味がありますが、総じて「まだ社会に出ていない、社会の一員としては未熟な存在」を指しています。つまり社会の構成員として一人前の大人になる前段階の存在です。
 子どもたちは、一般的には手厚いケアのもと、大切に育てられます。(最近、思慮の足りない子どもがそのまま親となってしまい、様々な悲しい事件も起きていますが。)
 まずは親もとで、三度の食事と清潔な衣類、そして雨露をしのぐ屋根が無条件に与えられ、何不自由なく幼児期を過ごします。そして幼稚園という、集団生活や来るべき学習の準備段階を経て、小学校へと進みます。その中で子どもたちは、戸惑いを感じつつも、いつしか集団に馴染んでいきます。
 小学校では、決められたことを、みんなと同じようにこなすことが要求されます。もちろん学習能力や運動能力、社会性など個人差はありますが、それほど高度なことを要求されるわけでもないので、どんな子でもそれほどストレスを感じることなく、とりあえずみんなと仲良くしていれば問題なく次のステージ、中学校へと進むことができます。もっとも知力に関しては、中学受験ともなれば、相当なストレスにされますが、それでも程度の問題。みんな何となく中学生になることができます。
 中学へ入ると、環境は幾分変化します。それまでは自分の学力などほぼ問題にされなかったのが、中学では明らかな順位や偏差値で表されることになります。つまり、自分の頭の善し悪しに直面することになるのです。しかし、それでも、それも程度の問題。みんなと仲良く、そこそこに勉強していれば、そこそこの高校へ進学することになります。


| 社会に出るための準備?

特集イメージ4 さて、このように、家庭から幼稚園、小学校から中学校、そして高校へと生活の場は変わっていきますが、基本的に子どもたちは、与えられたことをみんなと同じようにこなしていれば、集団からはみ出ることなく年齢を重ねていきます。そして、高校卒業です。
 例えば、アメリカでは、この「高校卒業」を子どもから大人への、大きな変化の節目として捉えています。高校までは親が面倒を見ますが、大学へ進学すると生活は一気に変わります。稀に親もとから大学に通うケースもありますが、優秀な大学では大半の学生が寮へ入ります。つまり親もとから離れるわけです。さらに学費について、これが日本とは大きく事情が異なります。金利の問題などで非常に評判の悪いものもある「奨学金」ですが、これまたほとんどの学生が利用します。つまり、アメリカでは、大学生になれば自分の学費や寮費は奨学金(つまり自分の借金)で賄うのです。
 これは何を意味するのでしょうか?アメリカは日本以上の学歴社会で、大学へ行くことは将来の自分の「より良い生活」に向けての投資です。そして、その投資は学生自らが行うのです。いかがでしょう。このあたり、ずいぶん日本と事情が違うように感じられます。
 もちろん、日本における「大学での勉強」も、一部の優秀な学生たちにとっては自分の将来に対する投資です。(親が投資を肩代わりしてくれるケースがほとんどではありますが…。)しかし、大半の日本の大学生にとっては、大学生活は投資ではなく、小中高の集団生活の単なる延長に過ぎないのです。もしくは、親が行かせてくれるから行く、とりあえず行っておく…、そんな存在なのです。
 従って、一部の優秀な学生たちがどんどん勉強をする一方で、「とりあえず大学へ進学」した学生たちはまったく勉強しない、ということが起きてきます。これは当然といえば当然のことです。アメリカの学生のほとんどが、自ら借金をしてでも投資すべき、自分が将来社会の一員となる日のための「準備段階」として大学を捉えているのとは、ずいぶん意識のがあります。
 さらに、就職事情も異なります。日本では、どれほどの時代錯誤か、いまだに「終身雇用」を希望する学生が多いようです。今日、高度成長期のような「集団の輪を優先」「株主配当よりも社員の給与を優先」などという時代はすでに終わっていて、個人が切磋琢磨し、終生にわたり自分の能力を高めていくことが要求される、そんな時代なのです。
 「社会に出れば、頼れる者は自分一人。自分と自分の家族は、自分で守る。」そのように時代が移り変わっているにも関わらず、安定を求める傾向の学生が多いことを見るに付け、彼らの将来に危うさを感じざるを得ません。そしてもし、就職した会社とうまく付き合えなくても、そのときは守ってくれる親がいる。そんな意識の子が、日本には少なくありません。独立心旺盛な彼の国の若者とは、同じ若者とは思えないほどです。
 しかし、彼らは悪くありません。小中高そして大学へととりあえず進み、一旦就職すれば終身雇用と年功序列型賃金が保証されていた、そんな時代を生きてきた大人たちが、この社会を動かし、さらには子どもをもうけて親となり、彼らを教育しているのですから。
 子どもたちに罪はありません。しかし残酷なことに、そんな無垢な、心の準備のできていない彼らも、能力主義的な新しい日本社会の荒波に容赦なく放り出されていくのです。
 このように、受動的、もしくは集団や場に依存する人格形成が成されれば、積極的に人に話すリスクや面倒さを回避して、「とりあえずその場にいるだけ」の自分を選ぶのも当然なのかも知れません。


| 沈黙は金ではない

特集イメージ3 『和を以て貴しとなす』。聖徳太子の十七条の憲法の第一条です。権謀術数が渦巻く時代を生きた太子のことですから、同憲法の第十七条にあるように「大切なことは腹を割って話し合いましょう」という意味で「和を以て云々」としたのであって、単に表面的な意味合いの「仲良くしなさいよ」という点を意図したのだとは思いたくありません。
 しかし、今日の日本では字面どおりの「仲良くしなさい」という解釈が広くおこなわれていて、さらには、「面従腹背」的な「とりあえず腹では思っていなくても表面上は逆らわないことが大切だよ」といった解釈にまで広がっているように思えます。
 そして、「沈黙は金」とか「黙して語らず」などに観られるように、「黙っている方が賢い」というイメージすら育まれています。賢者になってから黙るならまだしも、凡人のうちから賢者の真似をして黙っていては、何も始まりません。確かに「言わぬが花」に見られるような、すべてを語らぬことに趣を感じる日本人の粋の心はありますが、この伝が通用するのは日本国内のみでしょう。
 都市型の生活に移ることによって、また経済圏が日本からアジア、世界へと広がることによって、職場や顧客に多様な価値観を持った人たちが集まっている今日「黙っていたらわからない」のです。沈黙は金だからと黙っていては、誰も相手にしてくれません。こうして、パーティの時だけでなく、社会においても壁の花・壁の草となっていくのでしょう。


| 「発信」ってなに?

特集イメージ3 別段、誰が悪いわけでもない。なにも、親や学校の先生、地域の大人が強烈な意識を持って、子どもたちに「和を以て貴しとなす」だから議論するのは良くないよ、とか「沈黙は金」だから黙っていなさいね、と教育しているわけではありません。
 日本では「空気を読む」などと言われるように、その場の雰囲気を察して、周囲にあわせられることが大切だと考えられています。確かに相手の気持ちを「察する」のは日本人の得意技ですが、本当に相手の気持ちや考えを「理解する」ことができているのかどうかは、はなはだ疑わしい。やはり、相手のことを本当に理解し、自分の考えを正確に相手に理解してもらうためには「黙っていたらわからない」のです。しかし、学校でも家庭でも、自分の考え方を伝える・発信する方法を具体的には教えてくれませんし、ついでに言えば、親も先生もみんなが察してくれるものですから、発信する機会も必要性もほとんどありません。
 日本の学校の授業では、先生から一方的に発信されたものを、生徒が受信し続けるスタイルが一般的です。もちろん、生徒たちに発言を求める授業もありますが、それはあくまでも部分に過ぎず、また教師の授業運営の仕方にもよります。
 この点、欧米では発信型の授業がかなり行われています。生徒たちはまず課題を与えられます。そして、それらを予習してから授業に臨みます。教師は課題の内容について、生徒の考え方や彼らなりの理解を確認していくわけです。つまり、課題をこなしてこなければ、その子は授業に参加できないのです。
 日本では「授業が第一」、「宿題が第二」のように考えられていて、先生はいかに楽しく授業を進めるのか、いかに子どもたちの関心を引きつけるのか、そんな点ばかりに頭を悩ませますが、欧米では、「宿題が第一」で「授業が第二」。課題について、前もってよく考えておかなければ授業にならないのですから、頭を悩ませるのは、教師ではなく生徒の方なのです。
 日本の教育現場の風土に合うかどうか、もしくはそのように子どもたちから発言を引き出したり、彼らの頭の中を整理してあげる技術が教師にあるかどうかは別として、このような欧米型の授業に「日本人の発信力の改善」の鍵があることは間違いないでしょう。


| 積極的に話せばいいの?

特集イメージ3 さて、「沈黙は金」の日本人ですが、それを改善するためには、とにかく積極的に話せばよいのか?というと、これまた少々疑問が残ります。
 今でも思い出しますが、小学校時代、月ごとの朝礼で行われる校長の訓示…。私はこれが退屈で堪りませんでした。いや退屈なだけならまだしも、長かった…。夏場などには、今でいう熱中症で倒れる子まで出る始末。
 校長先生だけではありません。入学・卒業式の来賓スピーチなども、聞いていて、偉い人の話というのはなんとつまらないのだろう!と感じたものです。下って、結婚式のスピーチなども同じです。乾杯の挨拶を、シャンパングラスを持ち上げたまま数分にわたり聞かされる。話が面白く、ウィットに富んでいて、味わいがあり、しかも簡潔ならば、何分間乾杯がお預けでも、喜んで拝聴するのですが、これがそうでなければ3分でもつらい。そんなご経験はありませんか?
 なぜ、この時間がつらいのかというと、大概において「何を言いたいのかがわからない」からです。教訓を垂れたり、または祝っている気分だったりは伝わるのですが、そのポイントがわからない。さらに、繰り返しが多かったり、一度終わったかと思ったらさらに新しい話が続いたりなど、気分任せな話の展開に付き合わさせるのは、口にこそ出さないまでも、聞いている方は皆辛いものです。
 確かに、壁の花や草では残念ですけれども、それは個人の問題で、他人に迷惑はかけていません。一方で、闇雲に話をするのは、なんらかの相手を巻き込む分、これまた褒められたものではありません。
 黙っていたらわからない。でも闇雲に喋るだけではいけない。…そうなのです、単に喋るだけではなく、論理性と知識をもって「発信する内容を整理整頓すること」がまず必要なのです。


| 整理整頓

特集イメージ3 理路整然とした論理的思考、「ロジカル・シンキング」や「クリティカル・シンキング」については、過去に何度か触れているので、関心のある方はそちらをご参照頂ければ幸いです。*(※2012年7月号:子どもも大人も夏休みを有効活用!~英語力をグ~ンと伸ばすコツ~、2013年1月号:「稼げる子」に育てるために~だれも教えてくれない一石三鳥の子育て術~、2013年6月号:日本語と英語はこんなに違う!~コミュニケーション能力で決まるわが子の将来~)
 簡単に説明すると、論理的思考とは頭の中で混沌としている情報を、話の筋に合うように整理整頓することです。
 例えば、「平和への祈りと思いやる心が人類の絆へと繋がる」こんな文章があったとしましょう。いかにも響きの良い表現ですが、具体的にはどういう意味でしょう?
 言葉通りにたどれば「神社で平和祈願でもして、人に親切にするように心がけることが、人類全体の足かせ、重荷になる」というようなことになるでしょうか。ただ、具体的に説明できなくても、全体の雰囲気や言葉の響きなどから何となく言いたいことを「察する」ことができるのが日本人の特技ですから、具体性・論理性の不足は受け手側が補ってくれます。
 余談ですが、一般的に理系の学生が「コミュニケーションが苦手」だといわれる理由はここにあるのではないでしょうか。理系の学問では、常に「ロジック」が求められます。論理性のない実験では研究になりません。そんな論理的思考に日々明け暮れている学生たちは、文章を耳にしたり目にしたりすると、それを論理的に理解しようとします。当たり前ですね。先ほどの例文でいえば、「祈りと心」「絆」とは何か、そして、それらがどう結びつくのかという「過程」の理解も必要不可欠なのです。
 おそらく、論理的思考をする人は、論理性のない発言や文章に出会った時に「気分」や「雰囲気」を瞬時に「察して」反応することができないため、慎重に口を閉ざしてしまうのでしょう。それが、「コミュニケーションが苦手」という印象を持たれることに繋がるのかもしれません。
 例えば、「なぜ勉強するのか」という問に対して「うるさい」と言ってしまえば、取り付く島もありません。もし「みんなやっているから」「将来のため」「あなたのため」と答えるならば、その両者を結ぶロジックを提示しなくてはいけません。「勉強することが、なぜ自分の将来にためになるのか」をひとつひとつ段階を追って説明していく必要があるのです。卑近な例えですが、このような考え方、頭の整理整頓の仕方が論理的思考の一例です。


| 知識が大切

特集イメージ3 さて、壁の花にならないための「発信力」、闇雲に喋って相手に迷惑をかけないための「論理的思考」が必要なことがわかりました。しかし、これだけではまだ足りません。どんなに雄弁に語られたとしても、知識や常識に裏打ちされていない論理性などは、単なる屁理屈に過ぎません。
 「朝ご飯が1日のエネルギーの源だって先生が言ったから、私はケーキを食べる」「有酸素運動は老化を早めるらしいから、私は運動しない」…知識や常識の裏打ちのない論理性は、こんな屁理屈を生んだりもするのです。
 砂糖は、動脈中の血糖値を一気に上昇させることによってインスリンの過剰分泌を誘発し、結果として低血糖を引き起こし、集中力の欠如などを招きます。ゆっくり消化吸収される白米などが朝食に適していることは明白でしょう。また、有酸素運動で代謝を上げることができれば、それが酸化というマイナス面など補って余りあることもわかります。
 つまり、知識と常識を持って論理的思考に臨み、それを最終的に発信する。このようなマインドがトータルとして機能する必要があるのです。


| 世論調査

特集イメージ4 日本の世論調査を見ていると、選択肢に必ず入っているのが「どちらとも言えない・わからない」というものです。集団的自衛権を行使できるような憲法解釈の変更についても「賛成/反対」の他に「どちらとも言えない・わからない」があり、半数とは行かないまでも白黒はっきりさせない答えを選ぶのが日本人です。でも、学生時代に受ける試験には「分からない」という選択肢はありません。
 一方、欧米ではこうなります。学校の試験では「1, 2, 3, 4」の選択肢に加え、必ず5番目の選択肢として「該当無し」があります。つまり、日本では考えられませんが、選択肢の中に正答を提示していない場合があるのです。逆に、世論調査では「該当無し(わからない)」ではなく「yes」または「no」に、はっきりと答えがわかれるのです。
 このように書いてくると、欧米式教育法の方が、自分の意見を持ち、それを知識と常識のバックボーンを持って論理的に発信できる人を育てるには、適しているように感じられるかも知れません。日本でも従来の記憶重視、受動学習からの脱却を模索しているようです。しかし、これは日本式が悪くて欧米式が優れている、などといった単純な議論ではありません。
 従来の日本式学習法には、発信力や論理的思考を育むカリキュラムがありませんでした。しかし、知識教育においては素晴らしい成果を上げているのです。逆に、欧米ではクリティカル・シンキングに偏るあまり、知識教育が十分とは言えない部分があります。従って、薄っぺらい議論ばかりしている人たちも大勢いるのです。
 白黒はっきりさせるのを嫌う日本人なのですし、昔から知識を外国から取り入れることにおいて、そしてそれらの知識をまた別の次元へと昇華させることに長けている日本人なのですから、知識教育の良さは残しつつ、発信力、論理的思考力を伸ばす工夫を加えていけばよいのです。
 とはいえ、読者の皆様には、いつも同じ結論で恐縮ですが、仮にこのようなことが制度として提供されることになったとしても、それはずうっと未来の話で、もちろん、お子さまの教育には間に合いません。やはりそれらの技術は、各ご家庭でお子さまに身につけさせてあげる以外に無いのが現状です。
 さて、最後に朗報です。
 英語学習をお子さまに実施されているご家庭においては、お子さまに「英語の読解力」を身につけさせることで、少なくとも論理的思考力を育てることができます。
 英語というのは、文章の構造を見てもわかる通りに、とてもロジカルな言語です。ロジカルな英文をたくさん読むことは、すなわち筋が通った文章を読むことに繋がり、そのように筋が通った文章に大量に接するうちに、論理的な思考が自然と身についていくのです。
 さらに、英文をたくさん読むことによって、たくさんの知識を吸収することができます。もちろん知識の吸収だけなら、日本語の文章を通しても行うことができますが、世界の出版物数やインターネット上で扱われている情報量において、日本語は英語に遠く及びません。英語を読めることが、情報収集力に大きく貢献するのです。
 加えて、言うまでもありませんが、パルキッズで育った子どもたちは、もちろん読むだけではなく聞くことによっても情報を入手できます。ケーブルテレビなどで海外のニュースや番組が視聴できる今、日本のテレビ局からの、限定的で偏った情報だけではなく、英語で発信される異なった視点からの情報も受け取ることができるのです。
 つまり、英語ができて、しかも読めるようになれば、豊かな情報をベースにした論理的思考ができる人に育てることができるのです。さらに、先月号の特集のコンピュータサイエンスの技術を身につければ、鬼に金棒です。
 まずは早い段階で、しっかりと読める子、学習習慣の身についた子、パソコン操作に慣れた子に育てていきましょう。そして、発信力とコミュニケーション能力に関しては、またいつか特集していきたいと思います。


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プロフィール

船津 洋(Funatsu Hiroshi)

株式会社児童英語研究所 代表。幼児英語教材「パルキッズ」をはじめ多数の教材制作・開発を行う。これまでの教務指導件数は6万件を越える。卒業生は難関校に多数合格、中学生で英検1級に合格するなど高い成果を上げている。大人向け英語学習本としてベストセラーとなった『たった80単語!読むだけで英語脳になる本』(三笠書房)など著書多数。

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